スタンフォード大学の化学工学教授ブライアン・ヒー氏率いる研究チームが、Arc InstituteのEvo 1およびEvo 2モデルを使用してAI生成設計による合成バクテリオファージの作成に成功した。
研究チームは9月18日にプレプリントサービスbioRxivに論文を投稿した。これはAI生成ゲノムが現実世界で生産され機能することが確認された初回である。研究では大腸菌を標的とするバクテリオファージΦX174を出発点とし、302の候補ゲノムを生成した。
このうち285が完全なゲノムを生成でき、16が大腸菌の成長を阻害した。最高性能のEvo-Φ69は6時間の感染期間で16倍から65倍の拡大率を示し、天然のΦX174の1.3倍から4倍を大きく上回った。
研究チームはΦX174耐性の大腸菌3株を進化させ、人工バクテリオファージの変異が複数の合成ファージ株の組み換えにより細菌耐性を克服できることを確認した。現在論文は査読中である。
From: AI can now design more deadly virus genomes
【編集部解説】
今回のスタンフォード大学とArc Instituteによる研究は、AIが生命の設計図であるゲノム全体を一から創造できることを世界で初めて実証した画期的な成果です。従来の合成生物学では既存の生命体の一部を改変することが主流でしたが、この研究はAIが完全に新しい機能的なゲノムを生成できることを示しました。
使用されたEvo 1およびEvo 2モデルは、大規模な生物学的配列データで訓練された言語モデル型のAIです。ChatGPTが文章を生成するように、このモデルはDNA配列を生成します。研究チームは約5386塩基対という比較的小さなゲノムを持つΦX174というバクテリオファージを出発点として選択しました。
最も注目すべき結果は、AI設計されたバクテリオファージが天然のものを大幅に上回る性能を示したことです。特にEvo-Φ69という名称の合成ファージは、6時間で16倍から65倍という驚異的な増殖率を記録しました。これは元となったΦX174の1.3倍から4倍を大きく凌駕する数値です。
この技術の医療応用において最も期待されるのは、抗生物質耐性菌に対する新たな治療法の開発です。研究チームは実際に薬剤耐性大腸菌株に対してもAI設計ファージが有効であることを確認しており、複数の合成ファージを組み合わせることで耐性菌の突破が可能であることを実証しました。
一方で、このブレークスルーには重要な安全保障上の懸念も存在します。バイオセキュリティ専門家らが指摘するように、同様の技術が悪意ある目的で使用される可能性があります。HIVゲノムは約10,000塩基対、新型コロナウイルスは約30,000塩基対と、今回のバクテリオファージと比較して桁違いに大きくはありません。
ただし、研究を主導したブライアン・ヒー教授は、人間のウイルス設計には現在のシステムでは大きな技術的障壁があると強調しています。Evoモデルは人間ウイルスのデータでは訓練されておらず、今回の成功も大量の追加データと複雑な計算処理が必要だったためです。
この研究は合成生物学の新時代の幕開けを告げるものです。将来的には作物病害の治療、環境浄化、さらには複雑な生命システムの設計まで応用範囲が広がる可能性があります。現在論文は査読中であり、科学界での正式な評価が待たれています。
【用語解説】
バクテリオファージ
細菌に感染するウイルスの総称。ファージとも呼ばれる。細菌細胞内で増殖し、最終的に細菌を破壊する。抗生物質に代わる治療法として注目されている。
ΦX174
1970年代に詳細に解析された小型の一本鎖DNAウイルス。大腸菌に感染するバクテリオファージで、ゲノムサイズが約5386塩基対と小さく、遺伝学研究のモデル生物として広く使用されている。
bioRxiv
生物学分野の査読前論文を公開するプレプリントサーバー。研究者が査読プロセスを経る前に研究成果を迅速に共有できるプラットフォーム。
Evo 1・Evo 2モデル
Arc Instituteが開発した生物学的配列生成に特化したAIモデル。大規模な生物学的データで訓練され、DNA、RNA、タンパク質配列を生成・設計できる。
推論時ガイダンス
AI生成時に特定の条件や制約を与えることで、より目的に適した出力を得るための技術。今回の研究では特定のバクテリオファージ配列を生成するために使用された。
ファージ療法
バクテリオファージを利用して細菌感染症を治療する手法。抗生物質耐性菌に対する新たな治療選択肢として期待されている。
【参考リンク】
スタンフォード大学(外部)
米国カリフォルニア州に位置する世界有数の研究大学。今回の研究を主導した化学工学部で先端的な研究を実施
Arc Institute(外部)
AI駆動の生物学研究を推進する非営利研究機関。Evoモデルをはじめとする革新的なAI技術を開発
bioRxiv(外部)
コールドスプリングハーバー研究所運営の生物学分野プレプリントサーバー。査読前論文の迅速な共有が可能
【参考記事】
AI-designed viruses are here and already killing bacteria(外部)
MIT Technology ReviewによるAI設計ウイルスの技術的側面と医療応用に関する詳細解説記事
バクテリオファージをAIが設計、ゲノム生成時代の幕開け(外部)
MIT Technology Review日本版による技術的詳細とAI訓練データに関する包括的記事
AI Designs Viable Bacteriophage Genomes, Combats Antibiotic Resistance(外部)
遺伝子工学専門誌による抗生物質耐性菌対策としてのファージ療法の可能性に関する技術解説
AI Creates Bacteria-Killing Viruses: ‘Extreme Caution’ Warns Genome Pioneer(外部)
Newsweekによるバイオセキュリティ観点からの懸念と専門家警告に関する詳細報道
【編集部後記】
今回のAIによるウイルスゲノム設計の成功は、抗生物質に頼れない未来の医療に新たな光を当てました。もし身近な人が薬剤耐性菌に感染したとき、AIが設計した「細菌だけを狙い撃ちするウイルス」が治療選択肢になるかもしれません。
一方で、この技術が悪用される可能性についてはいかがお考えでしょうか。私たちは期待と不安の狭間で、この革新をどう受け止めるべきか。ファージ療法という聞き慣れない治療法が、実は100年以上前から存在していたことも興味深い発見でした。読者の皆さんなら、この技術をどのような用途で活用したいと思われますか。