ニューメキシコ大学の神経病理学者エレーヌ・ベアラー (Elaine Bearer)は、血管性認知症に関する新しい分類法を提案したレビュー研究をAmerican Journal of Pathology誌に発表した。
彼女は認知症で死亡した患者の脳血管を化学染色し顕微鏡で分析することで、動脈肥厚、少量出血、微小脳卒中など複数の疾患プロセスを特定した。
研究では血管性認知症とアルツハイマー病の病理に重複があることも判明し、両疾患に異常なアミロイドベータタンパク質の存在が確認された。さらに、ベアラーのチームが開発した新しい顕微鏡法により、認知症患者の脳内に正常な被験者よりも多くのマイクロプラスチックやナノプラスチックが存在することが明らかになった。
プラスチック量は認知症の程度やタイプと相関しており、炎症レベルの上昇とも関連していた。血管性認知症は19世紀後半から知られていたが、他の認知症と比較して研究が不足していた。
From: Microplastics May Be Tied to Vascular Dementia Cases, Review Finds
【編集部解説】
この研究が重要なのは、これまで「見えなかった」ものを可視化する新しい顕微鏡技術を確立した点にあります。ベアラー博士のチームが開発した手法により、従来の検査では検出できなかったナノスケールのプラスチック粒子を脳組織内で特定できるようになりました。
血管性認知症は認知症全体の約20〜30%を占めるとされていますが、アルツハイマー病と比較して診断基準が曖昧で、治療法の開発も遅れていました。今回提案された新しい分類法は、動脈の肥厚、微小出血、微小梗塞といった具体的な病理学的変化に基づいており、今後の臨床診断や治療戦略の標準化に貢献する可能性があります。
特に注目すべきは、マイクロプラスチックと認知症の相関関係です。研究では認知症患者の脳内プラスチック量が健常者よりも多く、その量が認知症の重症度と関連していることが示されました。ただし、これはあくまで相関関係であり、因果関係が証明されたわけではありません。プラスチック粒子が血管損傷の原因なのか、それとも血管バリアの破綻によって侵入しやすくなった結果なのかは、今後の研究課題となります。
この発見は環境保健の観点からも重要です。マイクロプラスチックは飲料水、食品、大気中に広く存在し、すでに人体の血液、肺、胎盤などからも検出されています。脳という最も保護された臓器にまで到達している事実は、プラスチック汚染の深刻さを物語っています。
また、血管性認知症とアルツハイマー病の病理が重複している点も示唆に富んでいます。両者を明確に区別するのではなく、血管因子が他の認知症の進行を加速させる可能性を考慮した、より統合的なアプローチが求められるでしょう。
今後の課題としては、プラスチック粒子が脳組織に与える具体的なメカニズムの解明、予防策の開発、そして既に蓄積したプラスチックを除去または無害化する治療法の研究が挙げられます。
【用語解説】
血管性認知症
脳への血流障害によって引き起こされる認知症の一種。脳卒中や微小な脳梗塞、脳出血などによって脳組織が損傷し、認知機能が低下する。アルツハイマー病に次いで多い認知症のタイプとされている。
マイクロプラスチック
5mm以下の微小なプラスチック粒子の総称。ナノプラスチックはさらに小さく1マイクロメートル未満のもの。環境中に広く分散しており、海洋汚染だけでなく、食物連鎖を通じて人体にも蓄積することが近年明らかになっている。
アミロイドベータタンパク質
脳内で異常に蓄積するタンパク質の一種で、アルツハイマー病の主要な病理学的特徴とされている。このタンパク質が凝集して老人斑を形成し、神経細胞の機能障害や死を引き起こすと考えられている。
神経病理学
神経系の疾患における組織や細胞の変化を研究する医学の分野。顕微鏡などを用いて脳や神経組織の異常を調べ、疾患のメカニズムを解明する。
ニューメキシコ大学
米国ニューメキシコ州アルバカーキに本部を置く州立大学。1889年創立で、医学、工学、研究分野で高い評価を得ている。
【参考リンク】
American Journal of Pathology(外部)
病理学分野における査読付き学術誌。米国病理学会が発行し、疾患のメカニズムや診断に関する研究を掲載。今回のベアラー博士の研究もここに掲載された。
University of New Mexico Health Sciences Center(外部)
ニューメキシコ大学の医学研究および医療サービスを担う機関。今回の研究を主導したエレーヌ・ベアラー博士が所属している。
Mayo Clinic – Vascular Dementia(外部)
血管性認知症に関する症状、原因、診断、治療法について詳しく解説している信頼性の高い医療情報サイト。
【参考記事】
Vascular Disease is an Overlooked Contributor to Dementia, UNM Researcher Finds(外部)
ニューメキシコ大学の公式ニュースリリース。ベアラー博士の研究について詳細に報じており、血管性認知症の新しい分類法とマイクロプラスチックの発見について解説。
Scientists Link Microplastics and Vascular Damage to Dementia(外部)
ベアラー博士の研究チームが脳組織内のマイクロプラスチックを可視化する新しい顕微鏡技術を開発したことを報じている。
This doctor can see microplastics in brain tissue(外部)
米国化学会の科学誌C&ENによる記事。ベアラー博士が開発した顕微鏡技術の詳細と、脳組織内のマイクロプラスチック検出方法について技術的な側面から解説。
【編集部後記】
私たちの暮らしは便利なプラスチック製品に囲まれていますが、それが見えない形で脳にまで蓄積しているという事実に、皆さんはどう感じられるでしょうか。
以前、脳内のマイクロプラスチック濃度が8年間で約1.5倍に増加したという研究を報じました。今回はそれに続く発見として、新しい顕微鏡技術により、ペットボトルやレジ袋から生まれた可能性のある微粒子が、脳の中でも特に厳重に保護されているはずの血管の壁を構成する細胞にまで到達しているという現実が示されました。

今回のエレーヌ・ベアラー博士の研究は、プラスチックが単に「存在する」だけでなく、血管性認知症といった特定の疾患の病理と「どのように関わっているのか」という、より深い問いへの扉を開きました。プラスチックが血管を傷つけ認知症のリスクを高めるのか、それとも弱った血管がプラスチックの侵入を許してしまうのか。因果関係の解明は今後の研究を待たねばなりませんが、この現実は私たちのライフスタイルと健康の関係を改めて考える機会になるはずです。
完全にプラスチックを避けることは難しい時代ですが、使い捨てプラスチックを減らす小さな選択の積み重ねが、未来の自分や大切な人の脳を守ることにつながるのではないでしょうか。皆さんは日常でどんな工夫をされていますか。