EU AI法に延期案、トランプ政権と大手テック企業の圧力で欧州委員会が方針転換を検討

[更新]2025年11月8日14:29

 - innovaTopia - (イノベトピア)

欧州委員会は、トランプ政権と企業からの圧力を受けて、EUのAI法の一部延期を検討している。

同法は2024年8月に施行されたが、多くの条項は未適用で、高リスクAIシステムに対する義務は2026年8月またはその1年後に発効予定である。

Financial Timesによると、委員会は最高リスクAIの規則違反企業に1年間の猶予期間を与えること、生成AIプロバイダーに1年間の猶予を付与すること、AI透明性規則の違反への罰金課徴を2027年8月まで延期することを検討している。

提案は11月19日に発表予定で、その後EU加盟国と欧州議会の合意が必要となる。

Metaは汎用AIモデルの実施規範への署名を拒否し、同社のジョエル・カプランはヨーロッパのAI政策を批判した。

Airbus、Lufthansa、Mercedes-Benzを含む46社の欧州企業は2年間の停止を求める公開書簡に署名した。

From: 文献リンクEU could water down AI Act amid pressure from Trump and big tech

【編集部解説】

世界初の包括的AI規制法として2024年8月に施行されたEUのAI法が、今、重大な岐路に立たされています。わずか4カ月前の7月、欧州委員会のトーマス・レニエ報道官は「時計を止めることはない。猶予期間もない。一時停止もない」と力強く宣言していました。しかし11月に入り、状況は劇的に変化しました。

この変化の背景にあるのは、二つの強力な圧力です。一つは米国トランプ政権による関税の脅しです。トランプ大統領は「米国のテクノロジー企業を害したり差別したりするように設計された」と判断する規制を持つ国々に関税を課すと繰り返し警告しています。もう一つは、Airbus、Mercedes-Benz、ASMLなど46社の欧州大手企業による2年間の延期要求です。

特に注目すべきは、Metaのジョエル・カプラン最高グローバル・アフェアーズ責任者の発言です。同氏は「ヨーロッパはAIについて間違った道を進んでいる」と述べ、汎用AIモデルの実施規範への署名を拒否しました。これは単なる企業の抵抗ではなく、規制が技術革新を窒息させる可能性への警告として解釈できます。

しかし、この問題の本質は単純な規制緩和の是非ではありません。人類史において、新しい技術が登場するたびに、私たちは同じ問いに直面してきました。活版印刷、蒸気機関、電気、インターネット──そしてAI。それぞれの技術革新は社会を変革する力を持ちながら、同時にリスクももたらしました。

EUのAI法は、高リスクAIシステムを「健康、安全、または基本的権利に深刻なリスクをもたらす」ものと定義し、段階的な規制を導入しています。2026年8月までに高リスクAIの主要義務が発効予定ですが、肝心の実施規範やガイドラインの公開が大幅に遅れています。当初5月に予定されていた汎用AI実施規範は7月にようやく公開されましたが、業界からは「法的不確実性を生み出す」との批判が噴出しました。

11月19日に欧州委員会が発表を予定している「簡素化パッケージ」には、以下の内容が含まれる見通しです。最高リスクAI規則違反企業への1年間の猶予期間、既に市場投入されている生成AIプロバイダーへの1年間の適応期間、AI透明性規則違反への罰金課徴を2027年8月まで延期──これらの措置は、規制の現実的な実装への配慮を示しています。

イタリア社会民主党のブランド・ベニフェイ議員が「時計を止めることや遅延は、法的不確実性を生み出し、AI法が比例的に対処するように設計されたリスクに人々をさらすだけだ」と警告しているように、延期は単なる時間稼ぎではなく、保護を遅らせることも意味します。

この問題が示しているのは、民主主義社会が技術をどうガバナンスするかという普遍的な課題です。米国が市場主導のアプローチを取る一方、EUは人権と安全性を重視した規制的アプローチを選択しました。しかし、技術の進化速度は想像を超え、2021年に起草された規則は2025年にはすでに時代遅れになりつつあるという指摘もあります。

アムステルダム自由大学のティボー・シュレペル准教授は「単に欠陥のある法律を延期しても問題は解決しない」と指摘し、技術の進化に合わせて変化できる「適応型規制」の必要性を説いています。これは重要な視点です。AI技術は指数関数的に進化しており、静的な規制枠組みではその変化に追いつけない可能性があります。

この議論は、単なるヨーロッパの問題ではありません。AIのガバナンスをめぐる米欧の対立は、今後の世界秩序を決定づける可能性を秘めています。トランプ政権が規制撤廃を武器に欧州に圧力をかける一方、EUは「主権的権利」として自らの立法権を主張しています。

結局のところ、私たちは歴史的な実験の真っ只中にいます。AIという前例のない技術を、民主主義社会がどのように制御し、人類の利益に向けて導くことができるのか。EUの試みは完璧ではありませんが、少なくとも市民の権利と安全を守ろうとする意志を示しています。

11月19日の決定は、その実験の行方を示す重要な節目となるでしょう。延期が実現すれば、それは企業の圧力に屈したというより、より実効性のある規制を目指す現実的な判断と見ることもできます。しかし同時に、それは技術企業の力が民主的なプロセスをどこまで左右できるかの試金石でもあります。

【用語解説】

AI法(AI Act)
欧州連合が2024年8月に施行した世界初の包括的な人工知能規制法。AIシステムをリスクレベルに応じて分類し、高リスクシステムには厳格な義務を課す。段階的な施行スケジュールを採用している。

汎用AI(GPAI:General-Purpose AI)
特定の用途に限定されず、テキスト生成、画像作成など複数のタスクを実行できる強力なAIシステム。ChatGPTやGeminiなどの大規模言語モデルが該当する。

実施規範(Code of Practice)
AI法の義務を満たすための自主的な枠組み。透明性、著作権、安全性に関する要件を含む。署名企業は規制当局による監督が簡素化される。

高リスクAIシステム
健康、安全、または基本的権利に深刻なリスクをもたらす可能性のあるAIシステム。医療、警察、雇用、教育などの分野での使用が該当する。

トランプ政権
2025年1月に就任したドナルド・トランプ米国大統領の第2期政権。テクノロジー規制に対して関税を武器とした強硬な姿勢を取っている。

Brando Benifei(ブランド・ベニフェイ)
イタリア社会民主党所属の欧州議会議員。AI法の起草に関わった重要人物で、延期案に強く反対している。

【参考リンク】

欧州委員会(European Commission)(外部)
欧州連合の行政執行機関でAI法の実施と監督を担当する組織

Meta Platforms(外部)
Facebook等を運営する米国企業でEUの汎用AI実施規範への署名を拒否

Airbus(外部)
欧州を代表する航空宇宙機器メーカーでAI法延期を求める公開書簡の署名企業

Mercedes-Benz(外部)
ドイツの高級自動車メーカーでAI法の2年間延期を求める公開書簡に署名

ASML(外部)
オランダの半導体製造装置メーカーでAI法延期を求める主要企業の一つ

Mistral AI(外部)
フランスの新興AI企業で欧州を代表するAI開発企業として柔軟な規制を要求

【参考記事】

EU moves to weaken landmark AI Act amid pressure from Trump and U.S. tech companies(外部)
高リスクAIへの1年間猶予と透明性規則罰金の2027年8月延期を詳述

EU Considers Delaying AI Act Rollout Amid US and Big Tech Pressure(外部)
7月の一時停止なし方針から4カ月での方針転換と硬直的枠組みの問題を指摘

EU Signals Retreat on AI Act Timeline Amid Intense US and Big Tech Pressure(外部)
欧州委員会の劇的な方針転換と45社以上の企業連合による2年凍結要求を報道

Meta refuses to sign EU’s AI code of practice(外部)
Metaのジョエル・カプランによる実施規範批判と法的不確実性への懸念を詳述

Trump Squares Off with Brussels Over its Digital Rulebook(外部)
トランプ大統領の関税警告とEUの主権的権利主張による対立構造を分析

Europe’s biggest companies call for two-year pause on EU’s landmark AI Act(外部)
44社のCEOによる延期要請と不明確な規則が欧州AI投資を阻害する警告を報道

The European Commission considers pause on AI Act’s entry into application(外部)
実施規範の大幅遅延と調和規格開発の2026年持ち越しなど実装課題を詳細分析

【編集部後記】

AI規制をめぐる米欧の攻防は、私たち一人ひとりの未来に直結する問題です。技術の進化と人権保護、どちらを優先すべきなのでしょうか。

実は、この問いに正解はありません。EUは市民の安全を守ろうとし、米国は技術革新を最優先する。どちらも正しく、どちらも不完全です。

私たちinnovaTopiaは、この歴史的な実験の目撃者として、皆さんとともにその行方を見守りたいと思います。

11月19日の欧州委員会の決定は、民主主義が技術をどうコントロールできるかを示す重要な試金石となるでしょう。皆さんは、この問題をどう見ますか?

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Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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