米国の神経技術スタートアップParadromics社が開発した完全埋め込み型脳チップConnexus BCIの臨床試験がFDAに承認された。これは完全埋め込み型システムでの発話復元を探求する初の承認研究となる。
Connect-One Early Feasibility Studyと呼ばれるこの試験は2人の参加者から始まり、麻痺患者の発話復元能力を評価する。Connexus BCIはチタン製ボディに421個の白金イリジウム電極を備え、脳表面下に配置される。
電極は運動皮質の神経発火パターンを記録し、胸部のワイヤレストランシーバーを経由してデータを送信、外部コンピューターの言語モデルがテキストまたは合成音声に変換する。試験参加者には幅7.5ミリメートルの電極アレイが1.5ミリメートルの深さに埋め込まれ、文章を話すことを想像しながらデバイスが各音の神経シグネチャーを学習する。
これはリアルタイム合成音声生成を正式に目標とする初のBCI試験である。初期結果が良好であれば試験は10人に拡大される可能性がある。Paradromics社はSynchron社やNeuralink社と並ぶBCI分野の主要企業で、単一ニューロンの詳細を捉える完全埋め込み型システムという中間的アプローチを採用している。
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Fully implantable brain chip aims to restore real speech – CyberGuy
【編集部解説】
今回のParadromics社によるFDA承認は、BCI(ブレイン・コンピューター・インターフェース)分野における重要な転換点を示しています。完全埋め込み型システムでの発話復元を目的とした臨床試験としては初めての承認であり、この分野が研究段階から実用段階へと移行していることを象徴する出来事です。
Connexus BCIの最大の特徴は、そのデータ転送速度にあります。前臨床試験では200bits per second以上の情報転送速度を達成しており、これは人間の音声に含まれる言語情報量(約40bps)を大きく上回ります。Neuralink社の初期報告値である8bpsと比較すると約20倍の性能を誇ります。この高速データ転送により、ユーザーの意図をほぼリアルタイムで文字や音声に変換できる可能性があります。
技術的な観点から見ると、Paradromics社のアプローチは興味深い位置づけにあります。Synchron社が血管内に配置するステント型デバイスで広範な神経パターンを記録する低侵襲アプローチを採用し、Neuralink社がロボットによって「糸」を挿入する高密度記録を行うのに対し、Paradromics社は完全埋め込み型でありながら単一ニューロンレベルの詳細な信号を捉えるという中間的なアプローチを取っています。
421個の白金イリジウム電極を備えたConnexusは、髪の毛よりも細い電極で個々のニューロンから直接信号を記録します。チタン合金製の本体と医療グレードの素材により、長期使用に耐える設計となっています。3年以上にわたる安定した前臨床記録の実績は、デバイスの耐久性を裏付けています。
システムの構造も注目に値します。脳内の電極アレイから胸部のトランシーバーまで細いケーブルで接続し、そこから体外のトランシーバーへ光学リンクでワイヤレス送信する設計です。誘導充電方式の採用により、スマートフォンと同様の充電体験を提供します。外部コンピューターで高度なAI言語モデルが神経活動を解析し、テキストまたは合成音声に変換するという多段階のプロセスは、技術の複雑さと同時に洗練度を示しています。
臨床試験の設計も慎重に計画されています。まず2人の参加者で安全性と有効性を1年間評価した後、最大10人まで拡大する計画です。参加者には幅7.5ミリメートルの電極アレイが1.5ミリメートルの深さに埋め込まれ、文章を話すことを想像しながらシステムが各音の神経シグネチャーを学習します。
ALS患者の発話喪失という切実な問題に対する解決策として、このBCIの意義は大きいものがあります。ALSの延髄発症型患者の場合、発症から23ヶ月で発話機能を失うというデータがあり、80~95%のALS患者が最終的に日常的なコミュニケーションに自然な発話を使用できなくなります。CEOのMatt Angle氏は、毎分60語での会話が可能になると予測しており、これは通常の会話速度(毎分120~150語)の半分程度ですが、コミュニケーション手段を完全に失った人々にとっては画期的な進歩となります。
市場の視点から見ると、Morgan Stanleyが推定するBCI市場の潜在規模は米国だけで4000億ドルに達するとされています。初期の実行可能市場は約800億ドル、中期的には3200億ドルまで拡大する可能性があります。2030年頃には商業化が始まると予測されており、Paradromics社を含む各社の動きが加速しています。
しかし、課題も存在します。デバイスのコストは高額に達すると予想され、保険適用や償還制度の整備が必要です。また、デバイスを埋め込む外科医の確保、長期的な安全性の検証、プライバシーやデータセキュリティの問題など、実用化に向けて解決すべき課題は少なくありません。
それでも、この承認は重要な一歩です。実験室の研究から実際の患者への適用へ、そして最終的には日常生活で使用できる医療機器への道のりにおいて、大きな前進を意味しています。2025年第1四半期に開始予定のこの臨床試験の結果は、BCI技術全体の将来を占う重要な指標となるでしょう。
【用語解説】
ALS(筋萎縮性側索硬化症)
運動ニューロンが進行性に変性する神経変性疾患である。筋力低下、麻痺、発話・嚥下・呼吸の障害を引き起こす。世界的な発症率は人口10万人あたり1.5~2.5人とされ、診断時の平均年齢は55歳、平均余命は診断から2~5年程度である。
BCI(ブレイン・コンピューター・インターフェース)
脳の電気的活動と外部デバイスの間に直接的な通信経路を確立する技術である。脳波を検出し、コンピューターや義肢などの外部機器の制御を可能にする。侵襲型と非侵襲型に分類される。
運動皮質
大脳皮質の一部で、随意運動の計画・制御・実行を担う脳領域である。唇、舌、喉頭などの発話に関わる筋肉の制御もこの領域が司る。
治験機器免除(IDE: Investigational Device Exemption)
FDAが未承認の医療機器について臨床試験を実施する許可を与える制度である。安全性と有効性を評価するための重要なステップとなる。
bits per second(bps)
情報転送速度の単位である。BCIの性能指標として用いられ、脳信号からどれだけの情報量を抽出できるかを示す。人間の音声に含まれる言語情報量は約40bps程度とされる。
白金イリジウム電極
白金とイリジウムの合金で作られた電極である。生体適合性が高く、腐食に強いため、長期間体内に埋め込む医療機器に使用される。
誘導充電
電磁誘導を利用してワイヤレスで電力を伝送する技術である。スマートフォンのワイヤレス充電と同じ原理で、体内デバイスに非接触で電力を供給できる。
合成音声
人工的に生成された音声である。BCIシステムでは、患者の過去の音声録音を基にAIで音声を生成し、患者本人の声で話せるようにする。
【参考リンク】
Paradromics公式サイト(外部)
テキサス州オースティンに拠点を置く神経技術企業で、高データレートのBCIプラットフォームを開発している。
FDA(米国食品医薬品局)(外部)
米国の医薬品・医療機器の承認を管轄する政府機関。BCIデバイスの治験承認や規制情報を提供。
ALS Association(外部)
ALS患者とその家族を支援する非営利団体。疾患情報、研究支援、患者サポートプログラムを提供。
BrainGate(外部)
ブラウン大学を中心とした神経科学研究コンソーシアム。BCI技術の臨床研究をリードしている。
Morgan Stanley Research(外部)
投資銀行モルガン・スタンレーのリサーチ部門。BCI市場の将来予測や投資分析レポートを発行。
【参考記事】
Speech-restoring brain chip gets FDA approval for human trial(外部)
ParadromicsのConnexus BCIがFDA承認を取得。421個の電極、200bps以上のデータ転送速度を詳述。
Paradromics Receives FDA Approval for the Connect-One Clinical Study(外部)
Paradromics社の公式プレスリリース。3年以上の前臨床記録、200bps以上の性能達成を発表。
A brain implant that could rival Neuralink’s enters clinical trials(外部)
Nature誌による科学的分析。リアルタイム合成音声生成を目指す初のBCI試験であることを解説。
Paradromics Gets FDA Approval to Trial Its Brain Implant in People(外部)
羊での200bpsデータ転送達成、毎分60語での会話可能性、AIによる音声クローン計画を報告。
Analysts see $400B BCI opportunity(外部)
Morgan Stanleyの市場分析。米国で4000億ドルのBCI市場規模、約5年後の商業化を予測。
SONIC: A Benchmarking Paradigm for Brain-Computer Interfaces(外部)
ParadromicsのSONICベンチマーク論文。羊での実験で200bps以上、56ミリ秒遅延を実証。
Communication Support for People with ALS(外部)
ALS患者の80~95%が自然な発話を失うこと、発話支援技術の重要性を解説する包括的研究。
【編集部後記】
私たちは今、脳と機械が直接対話する時代の入り口に立っています。Paradromics社のこの挑戦は、単なる技術革新を超えて、声を失った人々に再び「自分の言葉」を取り戻す可能性を秘めています。かつては科学の夢物語だったBCIが、いよいよ実用段階へと歩み始めました。この技術が人々の人生にどのような変化をもたらすのか、そして私たち自身の未来のコミュニケーションがどう進化していくのか、一緒に見守っていきませんか。innovaTopia編集部では、引き続きこの分野の最新動向をお届けしてまいります。
























