ソフトバンクグループは2025年10月8日、スイスのABBからロボティクス事業を総額53.75億ドル(約8,187億円)で買収する最終契約を締結した。買収は2026年中頃から後半にクロージングされる見込みで、欧州連合、中国、米国などの規制当局承認が必要となる。
SBGは人工超知能(ASI)の実現をミッションに掲げ、AIチップ、AIロボット、AIデータセンター、エネルギーの4分野への投資を強化している。ABBのロボティクス事業は約7,000名の従業員を擁し、2024年12月期の売上高は22.79億ドル。本買収により、SBGは既存のロボティクス関連投資先であるソフトバンクロボティクスグループ、Berkshire Grey、AutoStore、Agile Robots、Skild AIなどと統合し、AIロボティクスのイノベーションを加速させる。孫正義会長兼社長は「次なるフロンティアはPhysical AI」と述べ、人工超知能とロボティクスの融合を推進する方針を示した。
From: Acquisition of ABB Ltd’s Robotics Business | SoftBank Group Corp.
【編集部解説】
今回の買収が注目される理由は、単なる産業用ロボット事業の取得にとどまらず、SBGが描く「Physical AI」戦略の中核となる可能性を秘めているからです。ABBのロボティクス事業は産業用ロボット市場で長年トップクラスのシェアを持ち、自動車製造、電子機器組み立て、物流などの分野で強固な顧客基盤を築いています。この既存の販売網と顧客関係に、SBGが投資するAI技術を組み合わせることで、従来の「プログラム通りに動く機械」から「状況を理解して自律的に判断するロボット」への進化が加速すると考えられます。
特に興味深いのは、SBGが保有する複数のロボティクス関連企業との統合シナリオです。Skild AIは汎用的なロボット制御AIを開発しており、AutoStoreは倉庫自動化システムを提供し、Agile Robotsは協働ロボットに強みを持っています。これらの技術をABBの産業用ロボットプラットフォームに統合することで、製造現場での柔軟性が飛躍的に向上する可能性があります。例えば、従来は専門技術者が数週間かけてプログラミングしていた作業を、AIが数時間で学習して実行できるようになるかもしれません。
一方で、この大型買収にはいくつかの課題も存在します。まず、53.75億ドルという買収額はABBロボティクス事業の2024年売上高の約2.4倍に相当し、相当なプレミアムが上乗せされています。SBGは過去にもWeWorkやArmなど大型投資で成功と失敗の両方を経験しており、今回の投資がどう実を結ぶかは注目点でしょう。また、約7,000名の従業員を抱える事業の統合には時間とコストがかかり、文化的な融合も課題となります。
規制面では、欧州連合、中国、米国の承認が必要とされており、特に米中間の技術競争が激化する中で、ロボティクスとAIの組み合わせは安全保障上の懸念対象となる可能性があります。中国は世界最大の産業用ロボット市場であり、この市場へのアクセスが制限されれば、買収のシナジー効果は大きく損なわれるでしょう。承認プロセスが2026年中頃から後半まで続く見込みであることからも、各国政府の慎重な姿勢がうかがえます。
長期的な視点では、この買収は製造業の在り方を根本から変える可能性を秘めています。AIを搭載したロボットが普及すれば、少量多品種生産のコストが劇的に下がり、地産地消型の製造モデルが現実的になるかもしれません。同時に、製造現場の雇用構造も変化し、プログラマーではなくAIトレーナーのような新しい職種が生まれる可能性があります。SBGが掲げる「人工超知能」の実現にはまだ時間がかかるでしょうが、産業用ロボットという具体的な応用分野を手に入れたことで、AI技術の実用化が加速することは間違いありません。
【用語解説】
ABB Ltd
スイスを拠点とする多国籍企業で、電化、ロボティクス、自動化技術分野における世界的リーダー。1988年設立。産業用ロボット市場では長年トップクラスのシェアを誇る。
Physical AI
物理世界で動作するAI技術のこと。画面上のデジタル空間だけでなく、ロボットなどの実体を持つ機器がAIによって自律的に動作し、現実世界で作業を行う技術領域を指す。
人工超知能(ASI)
Artificial Super Intelligenceの略。人間の知能を全ての面で超越するAIを指す。現在のAIは特定タスクに特化した狭いAIであるのに対し、ASIは汎用的かつ人間以上の能力を持つとされる。
AutoStore
ノルウェー発の倉庫自動化システム企業。立方体状のグリッド構造の中でロボットがコンテナを移動させる独自の保管・ピッキングシステムを提供し、物流業界で高い評価を得ている。
Skild AI
ロボット向けの汎用AI技術を開発するスタートアップ企業。単一のAIモデルで多様なロボットを制御できる基盤技術の開発を目指しており、ロボティクス分野で注目を集めている。
Agile Robots
ドイツに本社を置くロボティクス企業。人間と協働できる協働ロボット(コボット)や高精度な力制御技術に強みを持ち、製造業や医療分野での応用が進んでいる。
Berkshire Grey
米国のロボティクス企業で、物流・倉庫向けのAI搭載ロボットシステムを開発。商品のピッキング、仕分け、梱包などの作業を自動化する技術を提供している。
【参考リンク】
SoftBank Group Corp. 公式サイト(外部)
ソフトバンクグループの企業情報、投資先企業、財務情報、ニュースリリースなどを掲載。AI、ロボティクス、エネルギー分野への投資戦略や、孫正義会長のビジョンについても詳しく紹介されている。
ABB Robotics 公式サイト(外部)
ABBのロボティクス事業部門の公式ページ。産業用ロボット製品、ソリューション、導入事例、技術資料などを提供。自動車、電子機器、物流など様々な産業向けのロボティクスソリューションを展開している。
SoftBank Robotics 公式サイト(外部)
ソフトバンクロボティクスの公式サイト。ヒューマノイドロボット「Pepper」や清掃ロボット「Whiz」などの製品情報、企業向けソリューションを紹介している。
AutoStore 公式サイト(外部)
AutoStoreの倉庫自動化システムの詳細、導入事例、技術仕様などを掲載。世界中の物流施設での導入実績や、システムの効率性についての情報が提供されている。
【編集部後記】
53.75億ドルという巨額投資で、孫氏が描く「Physical AI」の輪郭が見えてきました。AutoStoreの倉庫網、Skild AIの汎用制御、Agile Robotsの協働技術、そしてABBの製造現場での実績。これらが統合されたとき、どんなロボットが生まれるのでしょうか。工場の作業員がAIにタスクを教え、ロボットが即座に学習する未来は意外と近いかもしれません。一方で、米中欧の規制承認に1年以上かかる見込みというのは、ロボティクスとAIの融合が各国にとってどれほど重要な技術領域なのかを物語っています。製造業の雇用はどう変わるのか、地政学リスクは投資リターンにどう影響するのか、注目が続きます。