30年来の生物学的謎が解決|クエオシン輸送体SLC35F2の発見で脳疾患・がん治療に新展開

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フロリダ大学とトリニティカレッジ・ダブリンの国際研究チームが、マイクロ栄養素「クエオシン」の細胞取り込みメカニズムを解明した。研究結果は2025年6月、米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表された。

クエオシンは人体で生成できないビタミン様物質で、食物と腸内細菌からのみ摂取可能である。脳機能、がん防御、記憶、学習に重要な役割を果たす。30年以上にわたり科学者が存在を疑っていた輸送体遺伝子「SLC35F2」を特定した。

この遺伝子は転移RNAを修飾し、DNA解読に不可欠な機能を持つ。研究にはUF/IFAS微生物学・細胞科学特別教授ヴァレリー・ド・クレシー=ラガード氏、トリニティカレッジ・ダブリン生化学・免疫学部教授ヴィンセント・ケリー氏が参加した。研究資金は米国国立衛生研究所(National Institutes of Health)、リサーチ・アイルランド(Research Ireland、旧Science Foundation Ireland)、北アイルランド保健社会保障(Health and Social Care Northern Ireland)が提供した。

クエオシンは1970年代に発見された顕微鏡サイズの分子である。

From: 文献リンクUF, Trinity College team cracks micronutrient mystery that could be key to brain health, cancer defense

【編集部解説】

今回の発見は、分子生物学における長年の謎を解く画期的な成果です。クエオシンという聞きなれない名前の物質ですが、実は私たちの生命活動において極めて重要な役割を担っています。

最も注目すべき点は、この研究が30年間にわたって科学界で探し続けられてきた「輸送体」の正体を明らかにしたことです。研究によると、SLC35F2遺伝子が高い特異性でクエオシンを細胞内に運ぶメカニズムが判明しました。HeLa細胞を用いた実験では、このトランスポーターのKm値(結合親和性の指標)が174 nMという高い親和性を示しています。

興味深いのは、このSLC35F2遺伝子が以前から「がん遺伝子」として研究されていた点です。つまり、がん治療薬の細胞取り込みに関与することは知られていましたが、健康な状態での機能は謎に包まれていました。今回の発見により、この遺伝子が正常な生理機能において必須の栄養素輸送を担うことが判明したのです。

クエオシンの作用機序についても詳しく解明されています。この物質は転移RNA(tRNA)の「ウォブル位置」と呼ばれる特定の部位を修飾し、コドン・アンチコドン結合の精度と効率を向上させます。これは遺伝子翻訳の微調整メカニズムであり、タンパク質合成の品質管理に直結します。

将来的な治療応用の可能性も見えてきました。クエオシンの血中濃度は通常1-10ナノモル程度とされており、この値が脳機能や抗がん作用と密接に関連している可能性があります。SLC35F2を標的とした治療法の開発により、がん治療における薬剤送達システムの改良や、神経変性疾患の新たなアプローチが期待されます。

ただし、潜在的なリスクも考慮する必要があります。SLC35F2は正常な生理機能とがん関連機能の両方に関与するため、治療的介入には慎重なアプローチが求められるでしょう。

この発見は、腸内細菌叢と宿主細胞の相互作用を理解する新たな視点も提供します。クエオシンが腸内細菌によって産生され、宿主細胞に取り込まれるメカニズムが明らかになったことで、マイクロバイオーム研究に新展開をもたらす可能性があります。

【用語解説】

クエオシン(Queuosine)
ビタミン様マイクロ栄養素で、7-デアザグアノシン誘導体。人体では生成できず、食物と腸内細菌からのみ摂取可能。転移RNA(tRNA)の「ウォブル位置」を修飾し、遺伝子翻訳の精度と効率を向上させる重要な物質である。

転移RNA(tRNA)
細胞内でタンパク質合成の際、遺伝情報(DNA)から写し取られたメッセンジャーRNA(mRNA)の情報をアミノ酸配列に翻訳する役割を担う分子。各tRNAは特定のアミノ酸を運搬し、遺伝暗号の解読に不可欠である。

SLC35F2遺伝子
ソリュート・キャリア・ファミリー35のメンバーF2。膜貫通型輸送タンパク質をコードする遺伝子で、これまでがん遺伝子として研究されていたが、今回の発見により正常細胞でのクエオシン輸送機能が判明した。

ウォブル位置
tRNAのアンチコドン(3つの塩基配列)の3番目の位置。この位置での塩基修飾により、コドン認識の特異性と翻訳効率が調節される。クエオシンはこの位置を修飾することで遺伝子翻訳を微調整する。

米国科学アカデミー紀要(PNAS)
1914年創刊の査読付き科学雑誌。米国科学アカデミーが発行する権威ある学術誌で、生物学、物理学、社会科学など幅広い分野の重要な研究成果を掲載する。

【参考リンク】

フロリダ大学(University of Florida)(外部)
米国フロリダ州ゲインズビルにある州立研究大学。1853年設立で医学、工学、農学など幅広い分野で高い研究実績を持つ

トリニティカレッジ・ダブリン(Trinity College Dublin)(外部)
1592年設立のアイルランド最古の大学。正式名称はダブリン大学トリニティカレッジで生化学・免疫学部を含む名門大学

米国国立衛生研究所(National Institutes of Health)(外部)
米国の生物医学・公衆衛生研究における主要機関。1887年設立で世界最大の生物医学研究機関として研究を支援

リサーチ・アイルランド(Research Ireland)(外部)
2024年8月設立のアイルランドの新しい競争的研究・イノベーション資金配分機関。旧SFIとIRCが統合

北アイルランド保健社会保障(Health and Social Care Northern Ireland)(外部)
北アイルランドの公的医療・社会保障制度。NHSとは別に創設されたが英国全体の国民保健サービスの一部

【参考記事】

The oncogene SLC35F2 is a high-specificity transporter for queuosine(外部)
SLC35F2遺伝子がクエオシンの高特異性輸送体であることを実証した原著論文。HeLa細胞での実験によりKm値174 nMという高い親和性を確認

Brain and Cancer Health Key Transporter Identified(外部)
この発見の医学的意義と将来的な治療応用の可能性について解説。クエオシンの血中濃度と脳機能、がん防御機能の関連性を分析

Scientists Unlock Micronutrient Secrets Potentially Crucial for Brain Health and Cancer Prevention(外部)
研究の背景と社会的インパクトに焦点を当てた解説記事。30年間探し続けられた輸送体の発見により、マイクロバイオーム研究と栄養学研究に新展開

Queuosine tRNA Modification: Connecting the Microbiome to Mitochondria(外部)
クエオシンの生物学的機能と腸内細菌叢との関連について包括的にレビューした最新の総説論文。マイクロバイオームから翻訳機構への影響経路を解説

【編集部後記】

私たちが普段意識することのない「マイクロ栄養素」が、実は脳機能やがん防御に深く関わっているという今回の発見。皆さんの食事や腸内環境が、遺伝子の翻訳レベルで健康に影響を与えているかもしれません。

この研究が示すように、まだ解明されていない生命現象は数多く存在します。30年かけて解決された謎もあれば、これから明らかになる発見も待っているはずです。皆さんは、どのような生物学的メカニズムに興味をお持ちでしょうか?また、今回のような基礎研究から生まれる将来の治療法について、どのような期待や懸念をお感じになりますか?

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TaTsu
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