Science誌が2025年10月2日に報じた記事によると、放射性医薬品への関心が急増している。
オークリッジ国立研究所のビルディング7920では、トリウム229を収容した試験管から放射性同位体アクチニウム225を抽出しており、この希少な放射性同位体はがん治療の最先端にあるが、供給不足により臨床試験が停滞している。
ノバルティスの2つの薬剤ルタテラとプルビクトは、放射性同位体ルテチウム177を用いて消化器がんおよび前立腺がん細胞を標的化し、2024年の合計売上高は約20億ドルに達した。RayzeBioが開発した実験薬RYZ101は、アクチニウム225を使用したアルファ放出体であり、来年結果が出る予定である。
Journal of Nuclear Medicineの2024年のレビューによると、26のアクチニウム225放射性医薬品が開発中で、13が臨床試験に入っており、2032年までに世界中で50万人のがん患者が治療を受ける可能性がある。
From: New radioactive isotope therapies promise more targeted attacks on cancer – Science
【編集部解説】
放射性医薬品は、がん細胞だけを狙い撃ちにする「精密誘導ミサイル」のような治療法です。従来の化学療法が体全体の細胞に影響を及ぼすのに対し、この技術は放射性同位体を特定の標的分子に結合させることで、がん細胞のみに放射線を届けます。
特に注目されているのがアルファ放出体と呼ばれるタイプです。ベータ粒子が数ミリメートルの範囲に影響するのに対し、アルファ粒子はわずか数細胞分の距離にすべてのエネルギーを集中させます。これにより、DNAの二重らせんを完全に切断でき、修復が極めて困難になるのです。
市場規模の拡大も顕著で、標的化放射性核種治療市場は2024年の86.8億ドルから2032年には300億ドルに成長すると予測されています。ノバルティスのルタテラとプルビクトは2024年に合計約24億ドルの売上を記録しました。同社は同年、25万回分の投与量を生産できる体制を整えています。
しかし課題も存在します。最大の問題は放射性同位体の供給不足で、オークリッジ国立研究所のトリウム「牛」から得られるアクチニウム225は年間数百人分にすぎません。このため、Nusano、NorthStar Medical Radioisotopes、TerraPower Isotopesといった企業が線形加速器や核融合技術を用いた新しい生産方法を開発中です。
安全性については、口腔乾燥症、腎臓への毒性、血液学的副作用が主な懸念事項として挙げられています。アクチニウム225は10日という比較的長い半減期を持つため、健康な細胞への影響も考慮が必要です。一方、半減期7時間の鉛212や10時間のアスタチン211といった短寿命のアルファ放出体の開発が進んでおり、これらはより安全性が高いと期待されています。
将来的には、放射性医薬品を他の治療法と組み合わせることで効果を高める試みも進行中です。DNA修復酵素阻害剤との併用により、がん細胞の修復能力を奪う戦略などが臨床試験段階にあります。2032年までに世界中で50万人のがん患者がアクチニウム225ベースの治療を受ける可能性があるとの予測もあり、がん治療のパラダイムシフトが起きつつあります。
【用語解説】
放射性医薬品(Radiopharmaceuticals)
放射性同位体と標的化分子を組み合わせた薬剤で、がん細胞に放射線を直接届ける治療法である。従来の化学療法と比べて副作用が少ないとされる。
アクチニウム225(Ac-225)
強力なアルファ粒子を放出する放射性同位体で、がん細胞のDNAを破壊する。半減期は10日間で、がん治療の次世代医薬品として期待されているが、供給不足が課題となっている。
ルテチウム177(Lu-177)
ベータ粒子を放出する放射性同位体で、ノバルティスのルタテラとプルビクトに使用されている。消化器がんや前立腺がんの治療に承認されている。
アルファ放出体
陽子2個と中性子2個からなるアルファ粒子を放出する放射性同位体の総称。ベータ粒子よりも破壊力が強く、数細胞分の範囲にエネルギーを集中させるため、DNAの二重鎖を完全に切断できる。
ベータ放出体
高エネルギーの電子や陽電子(ベータ粒子)を放出する放射性同位体。アルファ粒子よりも範囲が広く(数ミリメートル)、従来の放射性医薬品で使用されてきた。
キレーター(Chelator)
放射性同位体を保持する金属結合化合物。標的化分子とリンカーを介して結合し、放射性同位体をがん細胞まで運ぶ役割を果たす。
リンカー分子
放射性同位体を抱えたキレーターと標的化分子を結合する化学構造。体内での薬剤の動態を制御し、副作用を最小限に抑えるよう設計されている。
半減期
放射性同位体の放射能が半分になるまでの時間。治療用同位体は数時間から数週間の短い半減期を持ち、健康な組織への影響を抑える。
ソマトスタチン受容体
神経内分泌腫瘍の表面に多く存在する受容体。ルタテラなどの放射性医薬品がこの受容体を標的として腫瘍細胞に到達する。
PSMA(前立腺膜特異抗原)
前立腺がん細胞で発現が増加するタンパク質。プルビクトなどの放射性医薬品がこのタンパク質を標的として前立腺がん細胞を攻撃する。
線形加速器(Linear Accelerator)
粒子を高速に加速させる装置。Nusanoなどの企業が放射性同位体の生産に使用している新しい技術である。
トリウム229(Th-229)
放射性崩壊によってアクチニウム225を生成する放射性同位体。オークリッジ国立研究所では「トリウム牛」と呼ばれる容器に保管され、定期的に「搾乳」されている。
【参考リンク】
Novartis(ノバルティス)公式サイト(外部)
スイスの大手製薬会社。放射性医薬品ルタテラとプルビクトを開発し、2024年に合計約20億ドルの売上を記録した放射性医薬品市場のリーダー企業。
Oak Ridge National Laboratory(オークリッジ国立研究所)(外部)
米国テネシー州にある国立研究所。トリウム229からアクチニウム225を抽出する世界最大の供給源であり、がん治療用放射性同位体の生産拠点。
Telix Pharmaceuticals(テリックス・ファーマシューティカルズ)(外部)
オーストラリアのバイオテック企業。前立腺がんをターゲットとした改良型放射性医薬品を開発中で、2027年に第3相試験完了予定。
RayzeBio(レイズバイオ)(外部)
サンディエゴの放射性医薬品スタートアップ。アクチニウム225を使用したRYZ101を開発し、ブリストル・マイヤーズ スクイブに買収された。
Brookhaven National Laboratory(ブルックヘブン国立研究所)(外部)
ニューヨーク州にある米国エネルギー省の国立研究所。アクチニウム225やその他の医療用放射性同位体の生産研究を行っている。
Dana-Farber Cancer Institute(ダナ・ファーバーがん研究所)(外部)
ハーバード大学の提携機関で、ボストンにある世界有数のがん治療・研究センター。核医学部門が放射性医薬品の臨床研究を主導している。
Nusano(外部)
ソルトレイクシティ近郊で線形加速器を用いた放射性同位体生産施設を建設中の企業。最大40種類の放射性同位体を製造可能な技術を開発している。
NorthStar Medical Radioisotopes(ノーススター・メディカル・ラジオアイソトープス)(外部)
ウィスコンシン州ベロイトに拠点を置く企業。アクチニウム225専用の線形加速器を建設中で、2025年後半に出荷開始予定。
【参考記事】
Novartis continues strong momentum of sales growth with margin expansion, reaches key innovation milestones in 2024(外部)
2025年1月30日のノバルティスの公式発表。2024年通期の業績報告で、プルビクトが14億ドルの売上を達成したことを明らかにしている。
Product sales – Novartis(外部)
ノバルティスの製品別売上データ。ルタテラとプルビクトの四半期ごとの売上推移を確認できる公式資料であり、放射性医薬品市場の成長を示している。
Exploring the Clinical Insights into [225Ac]Ac-PSMA(外部)
2025年8月17日発表の論文。アクチニウム225を用いたPSMA標的療法の臨床的知見をまとめ、アルファ放出体の有効性と副作用に関する最新データを提供。
Global Targeted Radionuclide Therapy Market Research Report(外部)
2024年12月18日発表の市場調査報告。標的化放射性核種治療市場が2024年の86.8億ドルから2032年には300億ドルに成長すると予測。
Recap of Recent Radiopharmaceutical Deals – Maven Bio(外部)
2024年7月14日のMaven Bioのレポート。放射性医薬品業界の最近の取引を総括し、ノバルティスの製品が2024年に合計20億ドルを超える見込みと報告。
Mayo Clinic treats first person in the US with a novel radiopharmaceutical therapy(外部)
2025年8月1日のメイヨークリニックの報告。米国で初めて乳がん患者に新規放射性医薬品療法を実施したことを発表し、適応拡大を示す重要な事例。
Groundbreaking Cancer Therapy Clinical Trial with U.S.-Produced Actinium-225(外部)
2025年6月17日のブルックヘブン国立研究所の発表。米国で生産されたアクチニウム225を用いた画期的ながん治療の臨床試験が開始されたことを報告。
【編集部後記】
がん治療の選択肢が広がりつつある今、放射性医薬品という技術がどのように患者さんの未来を変えていくのか、皆さんはどう感じられるでしょうか。従来の化学療法が抱えていた副作用の問題を、この技術がどこまで解決できるのか注目しています。
一方で、供給不足という現実的な課題もあり、技術が確立しても患者さんに届かなければ意味がありません。医療の進歩と社会実装のバランスについて、皆さんと一緒に考えていきたいテーマだと感じています。