1926年9月19日、愛知県豊橋市で生まれた小柴昌俊は、日本の科学史に燦然と輝くニュートリノ天文学の開拓者です。軍人の父を持つ厳格な家庭で育ちながら、病気という試練を乗り越え、「やれば、できる」という信念でノーベル物理学賞を獲得した彼の人生は、挫折を力に変える日本人科学者の典型的な成功譚として語り継がれています。
運命を変えた一冊の本
軍人の息子から物理学者への転身
小柴少年は、陸軍歩兵大佐・小柴俊男の長男として、武士道精神を重んじる厳格な家庭で育ちました。幼少期は「陸軍軍人か音楽家になりたい」という夢を抱いていましたが、12歳の時に小児麻痺に罹患し、半年近くの入院生活を余儀なくされます。
この入院が人生の転機となりました。担任の数学教師から贈られたアインシュタインらが書いた物理学の本が、小柴少年と物理学との運命的な出会いとなったのです。病床で読み耽ったその一冊が、後に世界を変える科学者への第一歩となりました。

「やれば、できる」の原点
旧制第一高等学校時代、小柴青年は当初成績が振るわず、将来はドイツ文学や音楽の研究を考えていました。しかし、寮の風呂場で物理教師と同級生が自分を貶める会話をしているのを偶然耳にし、強烈な屈辱感を味わいます。
この経験が彼を奮起させました。同室の同級生・朽津耕三(後の東京大学理学部名誉教授)を家庭教師に迎え、物理の猛勉強を開始。この体験から生まれた「やれば、できる」という信念は、小柴氏が生涯にわたって大切にした座右の銘となりました。
三つの顔を持つ科学者
研究者として:カミオカンデの父
1970年代、小柴氏は素粒子物理学の最前線で活躍していましたが、大統一理論の検証という壮大な目標に向かって歩み始めます。陽子崩壊の観測を目的として、1983年に岐阜県神岡鉱山の地下1000メートルに「カミオカンデ」を建設しました。
皮肉なことに、本来の目的である陽子崩壊ではなく、1987年2月23日の超新星1987Aからのニュートリノ検出により世界的な注目を集めることになります。この予想外の発見が「ニュートリノ天文学」という新分野を切り開き、2002年のノーベル物理学賞受賞につながりました。

企業家として:国際プロジェクトの統率者
米国留学中の1960年、指導教授マルセル・シャインの急逝により、小柴氏は突然12カ国参加の大規模国際共同研究の責任者となりました。この危機的状況で発揮された「企業家としての経営センス」は、後の大型実験プロジェクト運営の基盤となります。
欧州合同原子核研究所(CERN)での電子・陽電子衝突実験を先導し、現地に送り込んだ教え子たちを鼓舞しながら国際実験を成功させた手腕は、純粋な研究者を超えた組織運営能力を示していました。
教育者として:次世代への情熱
小柴氏の教育者としての情熱は伝説的でした。研究室では「未来のノーベル賞パーティー」と称して下宿ですき焼きパーティーを開き、学生たちとの交流を深めていました。ノーベル賞受賞後は賞金を基に平成基礎科学財団を設立し、科学教育の普及と次世代科学者の育成に力を注ぎました。
人間・小柴昌俊の魅力
友情を大切にした人柄
天体力学者・古在由秀氏との友情は、小柴氏の人間性を物語る美しいエピソードです。1988年、超新星1987Aからのニュートリノ検出成功の翌年に実現した対談では、科学的発見よりも学生時代の思い出話で盛り上がったといいます。純粋な科学への情熱と同時に、人間関係を大切にする温かい人柄が伺えます。
血液型A型の完璧主義者
血液型A型の小柴氏は、細部まで妥協を許さない完璧主義者でした。カミオカンデの設計から運営まで、すべての工程で厳格な品質管理を貫き、世界最高水準の実験装置を実現させました。
最後まで燃え続けた研究魂
晩年まで電子・陽電子物理学への情熱を持ち続け、国際リニアコライダー(ILC)を「世界が作るべき次の素粒子物理学施設」として強力に推進しました。2020年11月12日に94歳で永眠するその瞬間まで、科学への情熱を燃やし続けた真の研究者でした。
現代への遺産:ハイパーカミオカンデへの道
小柴氏が築いた基盤は、現在建設中のハイパーカミオカンデへと継承されています。2025年7月に完成した超巨大地下空洞は、小柴氏の夢を具現化した「宇宙の謎解明装置」として、2028年の観測開始を待っています。
9月19日という小柴昌俊の誕生日は、単なる個人の記念日を超え、日本の科学技術力と不屈の探究心を象徴する特別な日として、科学界に永遠に記憶されることでしょう。
【編集部後記】
小柴昌俊さんの記事を書いていて、「入院中に読んだ一冊の本」の話が一番印象に残りました。
12歳で小児麻痺になって軍人の夢を諦めた少年が、担任の先生からもらったアインシュタインの本で物理学者を目指すことになったなんて、まさに運命的な出会いですよね。
「やれば、できる」という言葉も、風呂場で先生に悪口を言われて奮起したのが始まりだったというのも、なんだか身近に感じられるエピソードです。
今年9月19日で生誕99年。来年は生誕100年の記念年になります。現在建設中のハイパーカミオカンデが2028年に稼働する予定なので、小柴さんの夢がまた新たなステージに進むのが楽しみです。
【Information】
東京大学宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設(外部)
小柴昌俊氏が建設したカミオカンデ・スーパーカミオカンデの運営機関。現在ハイパーカミオカンデの建設も進めている。
東京大学宇宙線研究所(外部)
小柴氏が長年所属し、カミオカンデプロジェクトを主導した研究機関。現在もニュートリノ研究の世界的拠点として活動中。