11月15日【今日は何の日?】「上越新幹線開業」——43年目の問いかけ

 - innovaTopia - (イノベトピア)

1982年11月15日。大宮駅のホームに、緑のラインを纏った200系新幹線が滑り込みました。上越新幹線の開業です。「あさひ」11往復、「とき」10往復。東京と新潟が、初めて高速鉄道で結ばれた日。

本州を横断する初の新幹線。太平洋側と日本海側をつなぐ、国家の意志。

43年が経った2025年。この新幹線は、新潟に何を運び、何を運び去ったのでしょうか?

政治家の野心が山を貫いた

「新潟と群馬の間にある山、邪魔だなあ」

田中角栄はそう考えました。1972年、『日本列島改造論』を発表。新幹線を「地域開発のチャンピオン」と呼び、全国を高速交通網で結ぶ構想を描きました。目指したのは「国土の均衡ある発展」——太平洋ベルトに集中する富を、日本海側へも。

政治的な力学は複雑でした。東北新幹線は鈴木善幸、上越新幹線は田中角栄、成田新幹線は水田三喜男。それぞれの選挙区を通る3路線が、1971年、わずか1時間半の審議で決定しました。大蔵省の懸念も、国鉄の赤字問題も、押し切られました。

浦佐駅前には今も、田中角栄の銅像が立っています。屋根付きで。

山は抵抗した

1971年12月、工事が始まりました。谷川岳の地下を貫く大清水トンネル、22.2km。当時の山岳トンネルとしては世界最長級。1979年1月25日、貫通式が行われました。

その2ヶ月後、火災が起きました。

1979年3月20日。掘削機械の解体作業中、金属を切断する火花がおがくずに燃え移りました。油がしみ込んでいました。消火器は古く、使えませんでした。空気呼吸器は30分しかもちませんでした。16人が亡くなりました。

中山トンネルでは、異常出水が発生しました。大量の水が噴き出し、工事は止まりました。ルートを80m東へずらす決断。その代償として、半径1500mの急カーブが残りました。今も、このトンネルでは最高速度160km/hの制限がかかっています。上越新幹線の最高速度240km/hは、ここでは出せません。

犠牲と妥協の上に、新幹線は完成しました。

43年後の数字

新潟県の人口は、1997年に249万人でピークを迎えました。上越新幹線開業から15年後のことです。2025年現在、約208万人。40万人以上が減りました。

ある統計によれば、上越新幹線開業前後の5年間を比較すると、開業後のほうが人口増加率も県内総生産も伸び率が鈍化したといいます。2019年、新潟県の日本人減少数は全国で3位でした。

東京へは最速1時間29分。進学する若者、就職する若者。新幹線は毎日、人を運びます。東京への通勤圏も広がりました。便利になりました。選択肢が増えました。

そして、新潟に残る人は減りました。

これを「ストロー効果」と呼ぶ人もいます。大都市が地方から人や経済活動を吸い取る現象。新幹線は両方向に走るはずなのに、一方向ばかりに流れが生まれます。田中角栄が描いた「国土の均衡ある発展」は、実現したのでしょうか。

つながることの意味

ただし、数字がすべてを語るわけではありません。

新潟から東京の大学へ通う学生。新潟に本社を置きながら、東京の顧客と仕事をする企業。週末、東京から越後湯沢のスキー場へ向かう人々。ガーラ湯沢駅は、スキーシーズンだけ営業します。新幹線がなければ、この駅は存在しませんでした。

地方の衰退は、新幹線だけの問題ではありません。少子高齢化、産業構造の変化、東京一極集中——複数の要因が絡み合います。上越新幹線がなかったら、新潟はもっと栄えていたのでしょうか?それとも、もっと忘れられていたのでしょうか?

答えは、誰も持っていません。

2025年の上越新幹線は、他の新幹線と比べれば遅い存在です。東海道新幹線は285km/h、東北新幹線は320km/h。上越は240km/h。北陸新幹線の開業で、北陸方面への輸送の主役も譲りました。かつての花形は、今は地味な存在です。

でも、毎日走っています。新潟と東京をつなぎ続けています。

遺されたもの

1982年11月15日から43年。新幹線は、新潟に何をもたらしたのでしょうか。

高速交通の利便性。東京との距離の短縮。選択肢の拡大。そして、人口の流出。地方経済の構造変化。

インフラは、それ自体では何も保証しません。つながることは、流れを生みます。その流れがどちらへ向かうかは、つながった後の問題です。田中角栄の理念は正しかったのでしょうか、間違っていたのでしょうか。

浦佐駅前の銅像は、何も答えません。ただ立っています。


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Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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