1933年(昭和8年)12月26日。
この日は、日本の産業史における大きな特異点です。横浜市で、戸畑鋳物の鮎川義介により「自動車製造株式会社」が設立されました。後の日産自動車です。
当時、日本の道路を我が物顔で走っていたのは、フォードやGM(ゼネラルモーターズ)といったアメリカ製の自動車でした。「日本人に自動車製造は無理だ」——そんな諦念が支配する中、鮎川は「すべてを国産化する」という無謀とも言える挑戦に打って出ました。
しかし、この出来事が単なる「国産車成功物語」にとどまらない理由は、その歴史を深掘りすると見えてきます。創業期から「エネルギーの制約を技術で突破し、モビリティを民主化する」という、現代のテック企業にも通じる強烈なDNAが刻まれているからです。
本稿では、90年前の「ダットサン」、戦後の幻の名車「たま」、そして現代の「リーフ」を繋ぐ点と線から、次世代モビリティの行方を読み解きます。

1933年の破壊的イノベーション:「ダットサン」とモビリティの民主化
鮎川義介が目指したのは、一部の富裕層だけが乗れる高級車ではありませんでした。彼が見据えていたのは、一般庶民の手が届く「小型大衆車」の量産です。
これは現代で言えば、初期のスマートフォンやPCをコモディティ化し、世界中に普及させたプロセスに等しい「技術の民主化」です。
当時の日産(自動車製造)は、まさにディープテック・スタートアップでした。
鮎川は、アメリカのグラハム・ペイジ社から遊休設備や設計図を丸ごと買い取るという、当時としては破天荒なM&A戦略を実行。日本初となる本格的なベルトコンベア式量産体制を構築し、「ダットサン」を市場に送り出しました。
巨大プラットフォーマー(米ビッグ3)が支配する市場に対し、ニッチな小型車市場から切り込み、やがてメインストリームを奪取する。この「弱者の戦略」こそが、日産の最初のイノベーションでした。
歴史に埋もれたミッシングリンク:1947年の電気自動車「たま」
多くの人が「EV(電気自動車)は21世紀の新しい技術」だと捉えていますが、日産の歴史においてそれは誤りです。
太平洋戦争直後の1947年、深刻な石油不足に見舞われた日本で、ある一台の車が開発されました。電気自動車「たま」です。
開発したのは、旧・立川飛行機の技術者たち(後のプリンス自動車工業、日産と合併)。彼らは、行き場を失った航空機技術(空力特性や軽量化技術)と、当時比較的余っていた「電力」を組み合わせ、エネルギー危機の解決策を提示しました。
「たま」は一回の充電で65kmを走行し、タクシーや公用車として実用化されました。
「ガソリンがないなら、電気を使えばいい」。
この柔軟なピボット(方向転換)こそ、日産の中に眠る「エネルギー転換」の原体験と言えるでしょう。
そして「リーフ」へ:早すぎたゲームチェンジャー
時計の針を現代に進めます。2010年、日産は世界初の量産型EV「リーフ」を発売しました。
当時、テスラはまだ高級スポーツカー「ロードスター」を少量生産していた段階。トヨタがハイブリッドに注力する中、日産はあえてインフラも未整備な「ピュアEV」の大衆化に舵を切りました。
これは、1933年にGMやフォードに挑んだ時と同じ、「ファーストペンギン(群れの中で最初に海に飛び込む者)」の精神です。
既存の収益源である内燃機関(エンジン)との共食い(カニバリゼーション)を恐れず、破壊的イノベーションを自ら起こす。その姿勢は、多くのテック企業が学ぶべき教訓を含んでいます。
未来予測:Ambition 2030と「走る蓄電池」
では、このDNAはどこへ向かうのでしょうか。
現在、日産は長期ビジョン「Nissan Ambition 2030」を掲げ、全固体電池(ASSB)の実用化に注力しています。
全固体電池は、充電時間の短縮とエネルギー密度の向上を実現する、EV普及のラストワンマイルを埋めるキーテクノロジーです。1933年に「エンジンの国産化」に執念を燃やした技術者たちの魂は、今「電池の革新」へと受け継がれています。
さらに注目すべきは、V2H(Vehicle to Home)の概念です。
EVを単なる「移動手段」ではなく、「社会インフラの一部(動く蓄電池)」として再定義する試みです。災害大国である日本において、停電時に家の電気を支えるEVは、レジリエンス(強靭性)の象徴となります。
90年後の答え合わせ
12月26日は、単なる会社設立の記念日ではありません。
日本の産業界が「世界標準」への挑戦権を手にした日であり、その挑戦は90年後の今も、「脱炭素」という地球規模の課題解決に向けて続いています。
鮎川義介が90年前に夢見た「誰もが自動車に乗れる未来」は実現しました。
次に私たちが目にするのは、再生可能エネルギーとモビリティが完全に融合し、移動すればするほど社会がサステナブルになる——そんな未来かもしれません。
【Information】
日産ヘリテージコレクション(外部)
神奈川県座間市にある日産自動車の歴史的車両の保管庫です。「ダットサン12型」や電気自動車「たま」など、約300台の記念車が動態保存されており、本記事に登場した車両の実物を見ることができます(見学は要予約)。
日産グローバル本社ギャラリー(外部)
創業の地である横浜に位置する本社併設ギャラリーです。最新のラインナップに加え、「ヘリテージゾーン」では定期的に歴史的車両の展示や企画展が行われており、過去と未来の技術を同時に体験できます。
長期ビジョン「Nissan Ambition 2030」(外部)
日産が掲げる2030年に向けた長期ビジョンです。全固体電池の実用化スケジュールや、電動化によるサステナブルな社会の実現に向けたロードマップが詳細に記されています。































