インドの映画配給会社エロス・メディア・グループが2025年8月1日、2013年公開のボリウッド映画「Raanjhanaa」(ラーンジャーナー)をタミル語版タイトル「Ambikapathy」でAI技術により改変されたハッピーエンディングとして再リリースする。
原作は2013年6月21日にヒンディー語版が公開され、約一週間後にタミル語版が公開されたヒンドゥー教徒男性とムスリム女性の悲恋を描いた作品である。音楽はA・R・ラーマンが担当した。監督のアーナンド・L・ライは自身のスタジオ「Colour Yellow Productions」を通じてメディア報道で改変を知り、「意図と著作者性が使い捨て可能」として強く批判している。
エロスCEOプラディープ・ドヴィヴェディ氏は、同社が保有する2,000以上の作品ライブラリから類似のAI処理を検討中であると述べた。エロスのストリーミングサービス「Eros Now」は11,000以上のデジタルタイトルを配信している。ライ監督はインド映画テレビ監督協会を通じた法的対応を検討しており、映画評論家は監督の多くが自作品の権利を所有していない現状を指摘している。
From: Indian film company to rerelease romantic drama with AI ‘happy ending’
【編集部解説】
この事件は映画業界におけるAI活用の新たな局面を象徴する出来事です。単なる技術革新の話ではなく、クリエイターの権利と企業の知的財産権の境界線、そしてエンターテインメント業界の未来を左右する重要な議論の発端となっています。
検証した複数の英語メディア報道によると、主要な争点は法的権利の所在です。インド著作権法では、映画の製作者(プロデューサー)が法的著作者とされ、道徳的権利も製作者に帰属するため、エロスの主張には法的根拠があります。一方で、監督らは事後承諾なしの改変に強く反発しており、業界団体を通じた法的対応も検討されています。
このケースが特に重要なのは、AI技術による映画コンテンツの改変が世界初の試みであることです。従来のディレクターズカット版や特別編集版とは本質的に異なり、AIが創造的な判断を下して物語の結末を変更しています。エロス側は「探索的な第一歩」と説明していますが、その具体的な制作プロセスは不透明な部分が残ります。
この事件がもたらす影響は多岐にわたります。まず、映画業界全体でのAI利用指針の確立が急務となるでしょう。2025年1月の調査では、映画業界の専門家の48%がキャスティング、脚本、編集にAIを既に活用していることが報告されており、技術の浸透が加速しています。
技術的な観点では、AIによる映像編集技術の急速な進歩が背景にあります。現在のAI技術は、既存の映像素材を解析し、新たなシーンを生成することが可能になっています。これにより、俳優の再撮影なしでも映画の結末を変更できる時代が到来しており、制作コストの大幅な削減も実現できます。
しかし、ポジティブな側面と同時に深刻なリスクも存在します。最も重要な懸念は、クリエイターの創作意図と権利の保護です。映画は単なる商品ではなく、監督をはじめとする制作陣の芸術的表現であり、その改変は文化的価値の毀損につながる可能性があります。
また、観客との信頼関係にも影響します。映画の結末が後から変更される可能性があるとすれば、作品への没入感や情緒的なつながりが損なわれかねません。特に、異なる宗教間の恋愛という敏感なテーマを扱った「Raanjhanaa」において、ハッピーエンディングへの変更は社会的メッセージの改竄とも受け取られています。
規制面では、各国でAI生成コンテンツに関する法整備が進んでいます。2025年3月にはドイツでBFFS協定が発効し、映画・TV制作におけるAI使用に関する詳細な規定が設けられました。これらの動向はインドの映画業界にも影響を与える可能性があります。
長期的な視点では、この事件はエンターテインメント業界のビジネスモデル変革の先駆けとなるかもしれません。エロスが2,000以上の作品ライブラリでの類似処理を検討していることからも、既存コンテンツのAI改変による収益化が新たなビジネス領域として確立される可能性があります。
一方で、創作者の権利保護とAI技術の活用のバランスをどう取るかは、業界全体の持続可能性に関わる重要な課題です。中国では2025年にブルース・リーやジャッキー・チェンの古典映画をAI技術で現代化する計画が発表されており、米国の Directors Guild of America は「映画製作者の芸術的作品を歪曲または破壊するためにAIを遡及的に使用すべきではない」と強く反対しています。技術の進歩を拒絶するのではなく、クリエイターとテクノロジーが共存できる新しい枠組みの構築が求められています。
【用語解説】
異宗教間恋愛映画
異なる宗教間の恋愛を描いた映画ジャンル。インドでは社会的に敏感なテーマであり、宗教対立や社会問題を背景にした作品が多い。
AI生成コンテンツの透明性表示
AI技術を使用して制作・改変されたコンテンツに対する表示義務。EU AI法などで義務化が進んでいる。
【参考リンク】
Eros Now – Watch over 11,000+ HD Movies(外部)エロス・メディア・ワールドが運営するインド最大級のOTTプラットフォーム。11,000以上のHD映画やTV番組を配信している。
Eros Media World(外部)インドの大手映画エンターテインメント企業の公式サイト。映画制作・配給・デジタル配信事業を手がけている。
【参考記事】
AI-Altered ‘Raanjhanaa’ Ending Escalates Eros-Aanand L. Rai Dispute Over Creative Rights(Variety)(外部)エロスと監督の間で発生したAI改変をめぐる争いの詳細を両者の主張と業界への影響から包括的に分析。
Indian Film Company to Rerelease Raanjhanaa with AI-Generated Happy Ending(SSB Crack)(外部)AI生成エンディングによる再リリースの詳細と業界への影響を詳しく報告し、世界初の事例として重要性を分析。
Raanjhanaa re-release: Eros ‘categorically’ rejects Aanand L Rai’s allegations(Hindustan Times)(外部)エロス・インターナショナルの公式反論とAI改変の正当性を主張する立場を詳細に報じた記事。
2013 Bollywood film to be re-released in theatres with AI ‘happy ending’(The Independent)(外部)英国メディアによる国際的視点からの報道で、AI技術の映画業界への影響を分析した記事。
How AI is Changing Entertainment in 2025(Spherex)(外部)2025年における映画業界でのAI技術の革新的活用とリアルタイム編集技術の進歩について分析した記事。
【編集部後記】
この事件は、私たちが愛する映画コンテンツの未来について重要な問題を提起しています。AIが映画の結末を変えることができる時代において、クリエイターの創作意図と観客の体験、そして技術革新のバランスをどう取るべきでしょうか。
みなさんは、お気に入りの映画がAIによって「改良」された場合、それを受け入れられますか?それとも、オリジナルの作品性を重視したいと思いますか?また、この技術が日本のエンターテインメント業界にも広がった時、どのような活用方法なら歓迎できるでしょうか。
ぜひ、この記事をきっかけに、AI時代のクリエイティブ産業について考えてみてください。