1963年10月26日、午後。茨城県東海村の日本原子力研究所で、技術者たちが息を詰めて計器を見つめていました。動力試験炉「JPDR」が、日本で初めて原子力による発電に成功した瞬間です。電気出力1万2500キロワット。わずか18年前、この国は原子爆弾で敗戦を迎えました。その同じ国が今、原子の力を制御し、電気を生み出している——歴史の転換点でした。
この日を記念して、翌年、10月26日は「原子力の日」として制定されました。奇しくも同じ日付、1956年10月26日に日本は国際原子力機関(IAEA)に加盟していました。「破壊」から「創造」へ。原子力技術は、人類に何をもたらすのか。
あれから62年。私たちは今、どこに立っているのでしょうか。
核分裂の発見から平和利用へ
1938年12月、ベルリン。化学者オットー・ハーンは、ウランに中性子を照射する実験で奇妙な結果を得ました。ウランよりはるかに軽いバリウムが生成されている。計算が合わない。彼はスウェーデンに亡命していた元同僚、物理学者リーゼ・マイトナーに手紙を送りました。ユダヤ系だったマイトナーは、ナチスの迫害を逃れてドイツを去っていたのです。
マイトナーと甥のオットー・フリッシュは、液滴模型を用いてこの現象を説明しました。原子核が二つに分裂している——「核分裂」です。1つの核分裂あたり約200メガ電子ボルトものエネルギーが放出される。この発見は、すぐに軍事利用へと向かいました。マンハッタン計画、広島、長崎。人類は原子核を扱う技術を、まず破壊のために用いたのです。
1953年12月8日、アメリカのアイゼンハワー大統領は国連総会で演説しました。「Atoms for Peace(平和のための原子力)」。冷戦下、核開発競争が激化する中、彼は原子力の平和利用を世界に訴えました。「この最大の破壊力は、全人類の利益のために、偉大な恵みへと発展させることができる」
翌年、1954年6月27日。ソ連のオブニンスクで、世界初の商業原子力発電所が運転を開始しました。電気出力わずか5メガワット。しかしそれは、原子力が平和利用できることを示す象徴でした。アイゼンハワーの演説からわずか6ヶ月後のことです。
そして1963年10月26日、日本もその道を歩み始めました。
拡大と、限界の露呈
1970年代、世界中で原子力発電所の建設ラッシュが始まりました。石油危機を背景に、原子力は「夢のエネルギー」として期待されました。日本でも次々と原発が建設され、1990年代には電力供給の3分の1を原子力が担うまでになります。
しかし、技術は人間の想定を超えました。1979年スリーマイル島、1986年チェルノブイリ、2011年福島。事故は、原子核を扱うことの困難さを示しました。完璧な制御は存在しない。この認識が、次の技術開発の出発点となります。
次世代への模索—2025年、技術は成熟したか
2025年現在、原子力技術は新たな段階に入っています。
小型モジュール炉(SMR)の台頭
電気出力30万キロワット以下の小型原子炉「SMR」が、世界中で開発されています。従来の大型炉が100万キロワット以上だったことを考えると、大幅な小型化です。工場でモジュールとして製造し、現地で組み立てる。建設期間は短縮され、外部電源や人の操作なしでも数日間冷却できる受動的安全システムを持ちます。
注目すべきは、Google、Amazon、Metaといったテック企業がSMRに投資していることです。AI・データセンターの電力需要は急増しています。脱炭素と電力需要増、この二つの要請に応えられる安定電源として、SMRは期待を集めています。日立GEニュークリア・エナジーが開発する「BWRX-300」は、カナダのダーリントン原子力発電所で2028年の完成を目指しています。
ただし、課題もあります。米国NuScale社の初期プロジェクトは、コストの問題から中止されました。小型化すれば必ずしも経済的とは限らない。技術開発は続いています。
核融合—70年越しの挑戦
太陽と同じ原理でエネルギーを生み出す核融合発電。1938年の核分裂発見から16年後の1954年、すでに商業発電が始まっていました。しかし核融合は、2025年の今も実用化していません。
フランスで建設中の国際熱核融合実験炉「ITER」。日本、欧州、米国、ロシア、中国、韓国、インドの7極が参加する巨大プロジェクトです。当初2025年の実験開始予定は2034年に延期され、核融合運転は2035年以降となりました。日本は超伝導コイルやダイバータといった最も製造が困難な機器を担当しています。ダイバータが受ける熱負荷は、小惑星探査機が大気圏突入時に受ける熱負荷に匹敵します。
一方で、民間セクターが動き始めています。世界で53社以上の核融合スタートアップが誕生し、累計約1兆4千億円の投資を集めました。2024年7月から2025年7月の1年間だけで、26億ドルの新規投資が流入しています。
米国Helion Energyは、Microsoftと2028年からの電力供給契約を結びました。日本の京都フュージョニアリングは105億円を調達し、核融合炉の周辺機器開発で世界をリードしています。「FASTプロジェクト」と名付けられた日本初の民間主導トカマク型核融合炉は、2030年代の発電実証を目標に掲げました。
なぜ今、民間なのか。ある核融合スタートアップのCEOはこう語ります。「ITERのような国際プロジェクトは失敗が許されない。だからコストがかかり、開発も遅くなる。私たちは『フェイル・ファスト』のメンタリティーを持っている」
慎重さと速度。どちらが正解かは、まだ誰にもわかりません。
カーボンニュートラルという文脈
これらの技術開発を後押ししているのが、気候変動対策です。2025年2月に閣議決定された日本の第7次エネルギー基本計画では、生成AIの普及によるデータセンターの電力需要増加が指摘されました。脱炭素と電力需要増。この二つを両立できる選択肢として、原子力が再び注目されています。
技術は、使う者の成熟を待ってくれるのか
1938年、リーゼ・マイトナーは核分裂を発見しました。1943年、彼女は核兵器開発への協力を求められ、「爆弾に関わるつもりはありません」と断っています。彼女の墓碑には「人間性を失わなかった物理学者」と刻まれました。
87年が経ちました。私たちは原子核を扱う技術を磨き続けてきました。SMR、核融合、次世代炉。技術は進化しています。
しかし、問いは残ります。技術は、使う者の成熟を待ってくれるのか。答えはまだ、出ていません。未来は今、進行中です。































