ロボット開発の「次」の羅針盤:人間中心設計(HCD)とインクルーシブ・ロボティクスが「共生」の鍵である理由

[更新]2025年12月4日

 - innovaTopia - (イノベトピア)

もし、あなたの生活空間に1台のロボットが導入されるとしたら。

そのロボットを、あなたは「信頼できるパートナー」として受け入れるでしょうか。それとも、どこか操作が難しく、冷たい「機械」として距離を置いてしまうでしょうか。その運命を分ける境界線は、一体どこにあるのでしょう。

これまでの連載で、私たちはロボットの「定義と歴史」、AI時代の「倫理」、そしてロボットを支える「5大テクノロジー」と、その進化の軌跡を追ってきました。

しかし、どれほど高度な知能(AI)を持ち、どれほど精密な身体(テクノロジー)を手に入れたとしても、それだけでは「人と共生する」という最大の目標は達成できません。

技術の粋を集めて作られたはずのロボットが、特定の利用者(例えば高齢者や障がいを持つ人、あるいは単に機械が苦手な人)にとっては「使いにくい」存在だとしたら? あるいは、良かれと思って設計された機能が、文化や価値観の違いによって「不快」なものとして受け止められてしまったら?

ロボット開発の最前線で今、問われているのは「技術的に何が可能か」以上に、「人間が本当に求めているものは何か」という視点です。

本稿では、ロボットが真に社会の一員となるために不可欠な設計思想であり、これからの時代の羅針盤となる「人間中心設計(HCD)」と、その先にある「インクルーシブ・ロボティクス(誰も排除しないロボット工学)」の重要性に迫ります。

1. 人間中心設計(HCD)とは何か?

人間中心設計(Human-Centered Design、以下HCD)とは、その名の通り、設計プロセスの「主語」を「技術」から「人間」へと置き換えるアプローチです。国際規格(ISO 9241-210)でも定義されており、「使いやすさ(ユーザビリティ)」を達成するための最も効果的な手法とされています。

従来の「技術起点」の開発が「こんな凄い技術ができた。これで何ができるか?」と考えるのに対し、HCDは「人間はこんな課題を抱えている。それを解決するために、どの技術をどう使うべきか?」という問いから出発します。

HCDが目指すもの

HCDの目的は、単に「使える(Usable)」製品を作ることだけではありません。その先にある、以下の3つの段階を満たすことを目指します。

  1. 使える (Usable): ユーザーが意図した通りに、迷わず操作できる。
  2. 役に立つ (Useful): ユーザーが本当に抱えている課題を解決し、明確な価値を提供する。
  3. 使いたい (Desirable): 使っていて心地よい、楽しい、愛着が湧くといったポジティブな感情体験(UX:ユーザーエクスペリエンス)を生み出す。

ロボットが真に社会に溶け込むためには、この「使いたい」と感じさせるレベルのデザインが不可欠です。


2. なぜ今、ロボット工学にHCDが不可欠なのか

これまでのロボット開発は、工場の製造ラインのように「閉鎖された空間(Closed World)」で、いかに「速く」「正確に」「強く」動作するか、という技術的な最適化が中心でした。

しかし、現代のロボット(特にサービスロボットやヒューマノイド)が活躍する場所は、家庭、病院、公共施設といった「人間の生活空間」です。

この環境の変化が、HCDを不可欠なものにしました。

理由1:複雑で予測不能な「人間の文脈」への対応

人間の生活空間は、予測不能な出来事と多様な価値観(文脈)であふれています。

  • 突然、子どもが走り出してくるかもしれない(安全性)
  • ユーザーが方言で話しかけるかもしれない(多様な入力)
  • ロボットの「効率的な動き」が、人間には「威圧的」に映るかもしれない(心理的受容性)

技術的なスペックだけを追求しても、これらの複雑な「文脈」に対応することはできません。HCDは、こうした現場の「生きた状況」を設計の初期段階から組み込むための手法です。

理由2:「不気味の谷」と「社会的受容性」の克服

第1弾(定義編)や第2弾(倫理編)でも触れたように、ロボットには「不気味の谷」という心理的な壁が存在します。人間は、ロボットの見た目や行動が「中途半端に人間らしい」と、強い嫌悪感を抱くことがあります。

HCDは、この「社会的受容性」を確保する上でも鍵となります。 例えば、ユーザーテストを通じて「どの程度の見た目なら親しみやすいか」「どんな声のトーンなら信頼できるか」「どのくらいの距離感(パーソナルスペース)を保つべきか」といった、数値化しにくい人間の感覚的なフィードバックを設計に反映させることができます。

理由3:「道具」から「パートナー」への転換

HCDは、ロボットを単なる「命令を実行する道具」から、利用者の意図を汲み取り、寄り添う「パートナー」へと昇華させるために必要です。

例えば、介護ロボットの開発において、HCDのプロセス(後述)を用いることで、技術者が当初想定していた「ベッドから車椅子へ移乗させる」という機能的なニーズだけでなく、「介護される側の尊厳を傷つけない、ゆっくりとした優しい動き」といった、より本質的で感情的なニーズを発見することができます。


3. HCDの具体的な反復プロセス

HCDは「一度やれば終わり」の作業ではなく、「反復(イテレーション)」を前提としたサイクルで進められます。

ステップ1:共感(利用の状況の把握)

設計者が「ユーザーはこうだろう」と想像するのではなく、実際の利用現場に出向き、ユーザーを深く観察し、話を聞く(共感する)ことから始めます。

  • 手法: フィールドワーク、エスノグラフィ(行動観察)、ユーザーインタビュー
  • 目的: ユーザー自身も言葉にできていない「潜在的なニーズ」や「本当の課題(ペインポイント)」を発見します。

ステップ2:定義(ユーザー要求事項の明示)

ステップ1で得られた観察結果(生データ)を分析し、「ユーザーが本当に解決したい課題は何か」を明確に定義します。

  • 例: 「介護者が移乗作業で疲れている」→「腰を曲げずに、最小限の力で、安全に移乗をアシストできる必要がある」

ステップ3:創造(設計ソリューションの作成)

定義された課題を解決するためのアイデアを出し、それを素早く形にします。HCDの核となるのが「ラピッド・プロトタイピング(迅速な試作)」です。

  • 手法: スケッチ、ペーパープロトタイプ(紙の模型)、3Dプリントなど。
  • ポイント: いきなり完璧な実機を作ろうとせず、コストをかけずにアイデアを可視化し、すぐに試せる「たたき台」を作ります。

ステップ4:テスト(設計の評価)

ステップ3で作ったプロトタイプを、実際にユーザーに使ってもらい、フィードバックを得ます。

  • 手法: ユーザビリティテスト
  • 目的: 「このボタンは分かりにくい」「この動きは怖い」といった具体的な問題点を発見します。

そして、ステップ4で得られた課題を元に、ステップ1(または2)に戻ります。 この「共感→定義→創造→テスト」のサイクルを何度も高速で繰り返すことで、設計は徐々に洗練され、技術者の思い込みではなく、真にユーザーに寄り添ったロボットが完成していくのです。


インクルーシブ・ロボティクスとは何か?

インクルーシブ・ロボティクス(Inclusive Robotics)とは、「できるだけ多様な人々が、その能力、年齢、性別、文化、経験に関わらず、ロボットの恩恵から排除されることなく利用できる」ことを目指す設計思想であり、そのためのアプローチです。

これは「インクルーシブ・デザイン(Inclusive Design)」の考え方をロボット工学に応用したものです。

HCD(人間中心設計)との違いと関係

HCDとインクルーシブ・デザインは密接に関連していますが、焦点の当て方が異なります。

  • HCD(人間中心設計): 主に「プロセス・手法」を指します。特定のユーザー(ペルソナ)を設定し、その人のニーズを深く掘り下げて「使いやすさ」を追求します。
  • インクルーシブ・デザイン: 「哲学・目標」を指します。特定のペルソナに最適化するだけでなく、「その設計によって排除されてしまう人はいないか?」と常に問いかけ、多様な人々を包摂することを目指します。

つまり、「インクルーシブな(誰も排除しない)ロボット」という目標を達成するために、「HCD」のプロセス(共感やテスト)が用いられる、という関係性にあります。

なぜ今「インクルーシブ」が不可欠なのか?

ロボットが工場という「閉鎖空間」から、家庭や公共の場という「開かれた生活空間」に進出したいま、この思想は不可欠です。なぜなら、現実社会に「平均的なユーザー」は存在しないからです。

課題1:「平均」を基準にすると「排除」が生まれる

従来の設計は、しばしば「健康な成人男性」や「テクノロジーに慣れた若者」といった、暗黙の「標準ユーザー」を想定しがちでした。

しかし、そのロボットを実際に使うのは、

  • 力の弱い高齢者
  • 車椅子を利用している人
  • 背の低い子ども
  • 視覚や聴覚に障がいを持つ人
  • 日本語(あるいは特定の言語)が流暢でない人
  • テクノロジーに不慣れで不安を感じる人 など、非常に多様です。

「標準」に合わせて設計されたロボットは、これら多くの人々にとって「使いにくい」「怖い」「自分には関係ない」ものとなり、結果として彼らをロボットがもたらす便益から「排除」してしまいます。

課題2:倫理・バイアス問題との直結(第2弾記事との関連)

第2弾の倫理編で触れた「AIバイアス」の問題は、インクルーシブの欠如が引き起こす典型的な例です。

  • 技術的バイアス: 特定の人種(肌の色)を認識しにくい画像認識AIを搭載したロボットは、その人種の人々を「認識しない(=排除する)」ことになります。
  • 社会的バイアス: 「アシスタント=女性の声」「エンジニア=男性の声」といった固定観念をロボットのAIに反映させることは、社会的な偏見を再生産し、強化することにつながります。

インクルーシブ・ロボティクスは、こうした技術的・社会的なバイアスを設計段階から意識的に取り除くことを強く求めます。

3. インクルーシブ・ロボティクスを実現するアプローチ

では、具体的にどうすればロボットをインクルーシブにできるのでしょうか。

アプローチ1:多様な操作とフィードバック(マルチモーダル)

ユーザーとの接点(インターフェース)を1つに限定しません。

  • 多様な入力(操作):
    • 視覚障がい者や手が不自由な人でも使える音声認識
    • 聴覚障がい者や騒がしい場所でも使えるタッチパネル物理ボタン
    • 身体の動きで直感的に指示できるジェスチャー認識
  • 多様な出力(フィードバック):
    • 聴覚障がい者にも伝わる視覚的なアラート(画面表示、光の点滅)。
    • 視覚障がい者にも伝わる音声ガイダンス触覚フィードバック(振動)。

ユーザーが自分の得意な方法や、その時の状況に合わせて最適な手段を選べるように設計します。

アプローチ2:物理的・認知的アクセシビリティ

  • 物理的: 車椅子の利用者の目線の高さでも操作パネルが見えるか? 非力な高齢者でも押せる重さのボタンか?
  • 認知的: 操作プロセスが複雑すぎないか? 専門用語を使わず、誰にでも理解できる言葉で説明されているか? ロボットの次の動きが予測可能で、利用者を不安にさせないか?

アプローチ3:「エクストリーム・ユーザー」から学ぶ

インクルーシブ・デザインでは、あえて設計上の「両極端(エクストリーム)」にいるユーザー(例:全盲のユーザー、重度の運動障がいを持つユーザー、あるいはロボットを全く知らない子ども)の視点に立って設計を行います。

一見、ニッチな対応に見えますが、最も困難な条件の人が使える設計は、結果として他のすべての人にとっても使いやすいものになります。

参考:縁石効果(カーブカット・エフェクト) 道路の縁石(段差)をなくすスロープは、もともと「車椅子の利用者」のために設計されました。 しかし現在では、ベビーカーを押す親、スーツケースを引く旅行者、自転車に乗る人など、車椅子の利用者以外の人々にも広く恩恵をもたらしています。

このように、特定の「排除されていた」人々のために設計されたものが、結果的に社会全体の利便性を向上させることを「縁石効果」と呼びます。インクルーシブ・ロボティクスが目指すのも、まさにこの効果です。

「弱者救済」ではなく「未来の標準」へ

インクルーシブ・ロボティクスは、特定の誰かのための「福祉」や「オプション機能」ではありません。

ロボットが、電力や水道のような「社会インフラ」として、多様な人々が共存する社会に真に受け入れられるための「必須要件」です。そして、「排除しない」という視点こそが、これまで見過ごされてきた新たなニーズを発見し、イノベーションを生み出す源泉となるのです。


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