データは誰のものなのか。企業が管理する便利さと、個人が主権を持つ自由さ。この二律背反を解決する新たなインフラが、いま日本発で動き始めている。
NTTドコモ・グローバルとアクセンチュアが発表した「Universal Wallet Infrastructure」は、デジタル社会における信頼の概念そのものを再定義しようとする試みだ。
NTTドコモ・グローバルとアクセンチュアは2026年1月7日、企業や公共機関が認証情報やトークンを安全に発行・管理・検証できる次世代プラットフォーム「Universal Wallet Infrastructure(UWI)」を共同で構築し、グローバル展開に向けた協業を開始すると発表した。
UWIは、デジタルID、通貨、資産、文書などを官民や業界の垣根、国境を越えて相互利用できる世界を実現する。分散型技術を基盤に、企業・組織ごとにサイロ化されていた既存システムを連携させ、リアルタイムなデータ共有と相互運用性を実現する。行政サービスでは手続きの簡素化と不正利用の抑止、民間ビジネスでは人事領域の業務効率化や旅行分野でのシームレスな体験創出が可能になる。NTTドコモ・グローバルは2024年7月に事業を開始している。
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NTT ドコモ・グローバルとアクセンチュア、AI およびデータ駆動型社会における新次元の「信頼」を実現する、Universal Wallet Infrastructure のグローバル展開で協業
【編集部解説】
今回の発表で注目すべきは、「分散型技術」を企業や行政が実用レベルで採用できる基盤を、世界的な大手企業2社が共同で提供しようとしている点です。これは単なる技術プラットフォームの発表ではなく、デジタル社会における「信頼」のあり方を根本から変える試みといえます。
UWIが解決を目指すのは、現代のデジタル社会が抱える構造的な矛盾です。生活者は自分のデータを自分で管理したいと考える一方、企業は効率的にデータを活用してサービスを向上させたい。この両者のニーズは従来、対立関係にありました。UWIは分散型技術を使うことで、ユーザーが自分のデータの管理権を持ちながらも、企業が必要な同意を得てデータにアクセスできる仕組みを実現します。
具体的には、デジタルID、通貨、資産、文書といった情報を「Verifiable Credentials(検証可能な資格情報)」という形式で管理します。これにより、例えば旅行の際に航空会社、ホテル、入国審査のそれぞれに同じ個人情報を何度も入力する必要がなくなります。ユーザーは必要な情報だけを選択的に開示でき、受け取る側も情報の真正性を即座に検証できるのです。
デジタルIDの国際標準化も進展しています。OpenID Foundation(OIDF)が2025年7月に実施した相互運用性テストでは、複数の事業者間でデジタルID発行・検証の技術検証が行われ、標準規格に基づくシステム連携の実現可能性が示されました。UWIもこうした国際標準に準拠することで、グローバルな相互運用性を確保していくと考えられます。
しかし、分散型アイデンティティには課題も存在します。最大の懸念は、ユーザー自身がデータ管理の責任を負う点です。従来の集中型システムでは、第三者機関がセキュリティ対策を実施していましたが、分散型では個人が自分のウォレットを守る必要があります。秘密鍵を紛失すれば、アクセス権を永久に失う可能性もあります。
また、相互運用性の確保も簡単ではありません。異なるプラットフォーム間で標準を統一し、規制要件の異なる国や地域をまたいで機能させるには、技術面・法制面の両方で調整が必要です。さらに、どの企業や機関がどのデータにアクセスしたかを管理し続けるには、ユーザー自身が能動的に同意を管理する必要があり、これがデジタルリテラシーの新たな障壁となる可能性もあります。
規制面では、金融機関と同等の水準がデジタルウォレット事業者にも求められつつあります。米国の消費者金融保護局(CFPB)は2024年末にデジタルウォレット事業者への規制強化を発表しており、データプライバシー、エラー・不正への対応、競争環境の公平性が重視されています。UWIがこうした規制要件に対応できる「エンタープライズグレード」の基盤を目指している点は、実用化に向けた重要な戦略です。
長期的には、この取り組みはAIエージェントがユーザーの代理でサービスを利用する時代への布石でもあります。栗山社長のコメントにもあるように、AIがユーザーの代わりに旅行を予約したり、手続きを行ったりする際、検証可能な認証基盤が不可欠になります。UWIはそのための「信頼のインフラ」として機能することを想定しているのです。
NTTドコモ・グローバルが2024年7月に設立されたばかりの新会社であることも注目に値します。グローバル展開を前提とした体制で、通信事業者としてのインフラ運用実績と、アクセンチュアの約78万4000人というグローバル規模の人材ネットワークを組み合わせることで、世界規模での展開を狙っています。
【用語解説】
Universal Wallet Infrastructure(UWI)
NTTドコモ・グローバルとアクセンチュアが共同開発する次世代プラットフォーム。デジタルID、通貨、資産、文書などを安全に管理し、企業や国境を越えて相互利用できる仕組みを提供する。分散型技術を基盤とし、ユーザーが自分のデータを主体的に管理できる点が特徴である。
分散型技術
データや権限を単一の中央機関に集中させず、複数の主体に分散させて管理する技術方式。ブロックチェーンなどが代表例で、特定の管理者に依存せず透明性と改ざん耐性を高めることができる。デジタルアイデンティティの分野では、ユーザー自身がデータの管理権を持つ仕組みを実現する。
Verifiable Credentials(検証可能な資格情報)
デジタル形式で発行され、暗号技術によって真正性を検証できる証明書や資格情報。発行者、保持者、検証者の三者間で安全にやり取りでき、偽造や改ざんを防ぐことができる。デジタルIDや学歴証明、資格証明などに応用される。
OpenID for Verifiable Credentials(OpenID4VC)
OpenID Foundationが策定した、検証可能な資格情報の発行と検証に関する国際標準規格。異なるシステム間での相互運用性を確保し、デジタルIDウォレットが世界中で使えるようにするための技術仕様である。
相互運用性(インターオペラビリティ)
異なるシステムやプラットフォーム間でデータや機能を共有し、連携して動作できる能力。デジタルウォレットの分野では、異なる企業や国が提供するサービス間でシームレスに情報をやり取りできることを指す。
エッジでのAI活用
クラウドではなく、デバイスやネットワークの末端(エッジ)でAI処理を行うこと。リアルタイム性が高く、プライバシーを保護しやすいため、個人に最適化されたサービス提供に適している。
サイロ化
企業や部門ごとにシステムやデータが分断され、相互に連携できない状態。情報共有が困難になり、効率性や利便性が低下する問題を引き起こす。
エンタープライズグレード
企業や組織が業務で使用するために必要な、高い信頼性、セキュリティ、拡張性、サポート体制を備えた品質水準。個人向けサービスとは異なり、厳格な規制対応や大規模運用に耐えうる仕様が求められる。
【参考リンク】
Universal Wallet Infrastructure 公式サイト(外部)
NTTドコモ・グローバルとアクセンチュアが共同構築する次世代デジタルウォレット基盤の概要、技術仕様、パートナーエコシステムに関する情報を提供。
NTTドコモ・グローバル(外部)
2024年7月に事業を開始したNTTドコモグループのグローバル事業会社。Open RANやUWI事業を通じて世界中の人々と企業にサービスを提供。
アクセンチュア株式会社(外部)
約78万4000人の人材を擁する世界有数のソリューション企業。デジタル技術とAIを活用して企業や組織の変革を支援している。
OpenID Foundation(外部)
デジタルアイデンティティの国際標準を策定する非営利団体。OpenID for Verifiable Credentialsなどの仕様を開発し、相互運用可能なデジタルID基盤の普及を推進。
【参考記事】
Universal Wallet Infrastructure from Accenture, NTT aims to increase utility of data(外部)
バイオメトリクス専門メディアによる報道。UWIが検証可能な資格情報を活用し、ユーザーの同意に基づくデータ利用を実現する仕組みを紹介。
OIDF Demonstrates Interoperability of OpenID4VCI Spec(外部)
OpenID Foundationによる相互運用性テストの報告。2025年7月に実施された技術検証により、標準規格に基づくシステム連携の実現可能性が示された。
What are the challenges of decentralized identity systems?(外部)
分散型アイデンティティシステムの課題を解説。秘密鍵紛失のリスク、相互運用性の確保の難しさ、デジタルリテラシーの必要性など潜在的な問題点を指摘。
Decentralized Identity Management Risks(外部)
分散型IDの管理リスクを専門的に分析。セキュリティ責任のユーザー移行、プライバシー保護とデータ活用のバランス、規制対応の複雑さについて詳述。
CFPB’s New Regulations on Payment Apps and Digital Wallets(外部)
米国消費者金融保護局(CFPB)が2024年末に発表したデジタルウォレット規制を解説。金融機関と同等の水準が求められ、データプライバシーと不正対応が重視される。
Why interoperability matters between digital wallets for mass adoption(外部)
デジタルウォレットの普及における相互運用性の重要性を解説。異なるプラットフォーム間でのシームレスな取引が実現しなければ、大規模な普及が困難になると指摘。
【編集部後記】
自分のデータを自分で管理できる世界は、本当に私たちが望む未来なのでしょうか。便利さと引き換えに、データ管理の責任まで個人が負うことになるかもしれません。
一方で、企業に預けたデータがどう使われているか不透明な現状も、決して理想的とは言えないはずです。UWIのような取り組みが広がる中で、みなさんはデジタル社会における「信頼」をどのように築いていきたいと考えますか。ぜひご意見をお聞かせください。
































