1926年(大正15年)1月20日、東京・京橋電話局。
この日、日本の通信史における最大のパラダイムシフトが起きました。日本初となる「自動交換電話」のサービス開始です。
それまで、電話とは「交換手を呼び出し、相手の名前や番号を告げて繋いでもらう」ものでした。しかしこの日から、人々は自らの指で円盤(ダイヤル)を回し、誰の手も借りずに直接相手と話すことができるようになったのです。
なぜ、当時決して先進国とは言えなかった日本が、欧米ですら普及の途上だった最新鋭のシステムを都市レベルで一気に導入できたのでしょうか? その背景には、3年前に起きた「関東大震災」による首都の壊滅と、そこから生まれた「持たざる者の強み(リープフロッグ)」、そして現代の私たちが学ぶべき「既存資産を捨てる勇気」の物語がありました。

1923年、東京は沈黙した
時計の針を3年戻します。1923年9月1日、関東大震災発生。
東京市内は火災旋風に見舞われ、通信インフラは壊滅的な打撃を受けました。当時、東京にあった電話局の多くが焼失し、電話網は寸断。都市機能は完全に麻痺しました。
復興にあたり、当時の逓信省(現在の総務省など)は巨大な岐路に立たされます。
焼失した交換台を、以前と同じ「手動式」で復旧させるか。それとも、まだ実績の少ない最新鋭の「自動式(ストロジャー式)」に刷新するか。
「手動式」は技術が確立されており、安価で確実です。一方の「自動式」は高価で、市民への使い方の教育も必要です。しかし、当局は後者を選びました。
プライバシーの保護、将来的な通信量の爆発的増加への対応(スケーラビリティ)、そして何より「どうせ一から作り直すなら、世界最新のものにする」という、未来への投資を選んだのです。
【コラム】なぜ「ボタン」ではなく「ダイヤル」だったのか?
~100年前のエンジニアが挑んだUXと物理法則~
ここで少し技術的な寄り道をしましょう。
現代の私たちは「プッシュホン(ボタン)」に慣れていますが、当時の自動電話はなぜ「円盤を回す(ダイヤル)」形をしていたのでしょうか?
実はこれ、当時の技術的制約の中で、人間という「不確実な入力装置」を、機械と同期させるための見事なソリューションだったのです。
当時の自動交換機は、電気が流れたり止まったりする回数(パルス)を物理的に数えて動作していました。「1」なら1回、「0」なら10回、電気を途切れさせる必要があります。
人間が指でダイヤルを回し、指止めまで持っていく。これは「数字を角度(距離)」に変換する行為です。そして指を離すと、ダイヤルはバネの力で戻ります。実は、信号が送られるのはこの「戻る時」です。
なぜ「戻る時」なのか?
人間が回す速度は「せっかちな人」「ゆっくりな人」でバラバラだからです。これでは機械が正しくカウントできません。しかし、バネが戻る速度は常に一定です。
つまりダイヤルとは、人間のムラのある動作を、機械が処理できる一定速度の信号に変換する「入力速度正規化デバイス(バッファ)」だったのです。
高度な電子回路なしに、バネと歯車という「枯れた技術」だけでインターフェース問題を解決した、エンジニアリングの傑作と言えるでしょう。
「持たざる者」の強みと、捨てることの難しさ
話を戻しましょう。京橋電話局の自動化は、典型的な「リープフロッグ(カエル跳び)型発展」の事例です。
リープフロッグとは、インフラが未整備な地域が、段階的な進化を飛び越えて一気に最新技術を導入する現象です。現代では、銀行網がないアフリカ諸国で固定電話を飛ばして「モバイル決済」が普及した例などが有名です。
しかし、ここで私たちは残酷な事実に目を向ける必要があります。
なぜ1926年の東京は、世界最新になれたのか? それは「古い設備がすべて燃えてしまったから」に他なりません。
イノベーションの世界には「サンクコスト(埋没費用)の呪縛」があります。
もし震災が起きず、まだ使える手動交換機が大量に残っていたら、政府は莫大な予算を投じてまで自動化へ舵を切れたでしょうか? おそらく答えはNOです。
既存のインフラが整っている先進国や、成功した大企業ほど、「過去の投資」を無駄にすることを恐れ、次の一歩が遅れる。これこそが、クリステンセン教授が提唱した「イノベーションのジレンマ」の正体であり、現代の多くの日本企業がDX(デジタルトランスフォーメーション)で足踏みする原因でもあります。
「レガシーシステム(古い基幹システム)がまだ動いているから、捨てられない」。
その躊躇が、結果として組織全体の進化を阻害します。皮肉なことに、震災による「完全な破壊」が、イノベーションへの最大の障壁を取り払ってしまったのです。
次の「京橋」はどこにあるか
1926年1月20日、京橋電話局で鳴り響いた「ガチャン、ガチャン」という無機質な接続音は、日本が瓦礫の中から立ち上がり、テクノロジーによって未来を掴み取った音でした。
しかし、現代の私たちは災害による「強制リセット」を待つわけにはいきません。
問われているのは、平時において、自らの意思で「過去の成功体験」や「古びたシステム」を手放す勇気を持てるかです。
破壊を伴わない創造はありません。
今日、1月20日は、単なる「自動電話の日」ではありません。かつてこの国が、破壊をチャンスに変え、痛みを伴いながらも未来を選び取った「創造的復興」の記念日なのです。
【Information】
NTT技術史料館 (外部)
東京都武蔵野市にある、日本の電気通信技術の歴史を保存・展示する施設。本記事で紹介した「ストロジャー式自動交換機」の実機(重要科学技術史資料)も収蔵されており、当時のエンジニアリングを間近で見学することが可能です(※一般公開日は要確認)。
郵政博物館 (外部)
東京スカイツリータウン内にある博物館。旧・逓信省からの系譜を継ぎ、郵便・通信の歴史を網羅しています。関東大震災からの復旧作業や、当時の通信インフラに関する貴重な資料・アーカイブが保管されています。
NTT東日本:電信電話のあゆみ (外部)
1869年の電信サービス開始から現代の光通信に至るまで、日本の通信インフラがどのような変遷を辿ってきたか。その詳細な年表と解説が公開されており、技術と社会の変化を俯瞰することができます。









































