12月15日【今日は何の日?】「日本初の定期観光バス運行開始」――都市を見せる技術の100年

 - innovaTopia - (イノベトピア)

1925年12月15日、上野駅前。冬の朝の冷たい空気の中、16人乗りのバスに一人の若い男性が乗り込みました。大学を卒業したばかりの彼の役割は、運転でも整備でもありません。「案内人」でした。バスが動き始めると、彼は乗客に語りかけます。皇居の歴史、銀座の賑わい、明治神宮の成り立ち。ガラス窓の向こうに流れる東京の風景に、声という補助線を引いていきます。

これが日本初の定期観光バス「ユーランバス」の始まりでした。東京遊覧乗合自動車によって運行が開始されたこのバスは、上野を起点に、皇居前、日比谷公園、銀座通り、愛宕山、明治神宮を巡りました。ただ移動するだけではありません。ガラス窓という枠を通して都市を「見る」、そして案内人の声を通して都市を「読む」。新しい体験の装置が、大正の東京に生まれました。

都市を見るという行為は、誰が、何を、どう見せるかで決まります。100年の間に、その「誰が」は変わりました。

声が選ぶ景色

案内人の仕事は、単なる道案内ではありませんでした。彼らは東京という都市の「読み方」を教える存在でした。無数にある建物、通り、人々の中から、何を見るべきか、何が重要なのかを選び取ります。そして選んだものに、歴史や物語という文脈を与えます。

東京遊覧乗合自動車は当初、通常2人の案内人を乗車させました。最初は「大学卒の知識豊富な男性」が採用されました。しかしやがて、「流暢でやさしい口調の若い女性」が多く採用されるようになりました。声のトーン、語り方、存在そのものが、体験の一部として設計されていったのです。

興味深いのは、ユーランバスが「途中乗降可能」だったことです。現代の観光バスとは異なり、乗客は好きな場所で降りることができました。案内人が語る東京と、自分で歩く東京。キュレートされた体験と、自由な探索。その両方が共存していました。

16人乗りのバスという密室。ガラス窓というフレーム。案内人という声。これらが組み合わさって、「移動する劇場」が成立しました。見知らぬ人たちが同じ窓から同じ景色を見て、同じ声を聞く。都市を体験するための、精巧なインターフェース設計でした。

人間がキュレートするということ。それは選択であり、解釈であり、省略でした。案内人は東京のすべてを語ることはできません。だから選びます。何を見せ、何を語り、何を沈黙するか。その選択そのものが、体験を形作りました。

アルゴリズムが縫う世界

2007年5月25日。Google創業者の一人、Larry Pageには一つのビジョンがありました。「360度の世界地図」。人々がコンピューターから、まるでその場に立っているかのように場所を体験できるようにする。

そのためにチームは、カメラを車に積み込みました。最初のストリートビューカーは、2007年当時、6つのレンズを搭載し、解像度は4.8メガピクセルでした。サンフランシスコ、ニューヨーク、ラスベガス、マイアミ、デンバー。5つの都市から撮影が始まりました。

技術の核心は「縫い合わせ」にありました。複数のカメラで撮影範囲が少しずつ重なるように写真を撮影し、特殊な画像処理技術で1枚の360度画像を作り出します。継ぎ目が目立たないように、スムーズに。GPS装置、速度計、方位計からの信号を組み合わせて、地図上の正確な位置に画像を配置します。

撮影車のルーフには球状のカメラ。2008年には9つのレンズで45メガピクセル、2011年には15個のレンズで75メガピクセル。そして2017年からは7つのレンズで140メガピクセルという360度カメラを使用しています。画像に映る人の顔には、顔認識技術で自動的にぼかしが入ります。

2025年現在、ストリートビューは100以上の国と地域をカバーし、1,700億枚以上の画像を撮影しました。撮影車が走行した距離は1,600万km以上。地球を400回以上周回する距離です。

ユーランバスの案内人が選んだ景色と、ストリートビューの「すべて」。そこには根本的な違いがあります。誰も「語らない」のです。選択肢は無限にあり、解釈は各自に委ねられています。アルゴリズムは撮影し、処理し、配置します。しかし何を見るべきかは、教えてくれません。

声からデータへ

ユーランバスは1940年、戦争の影響で運行を終了しました。しかし戦後、1948年に新日本観光株式会社(後のはとバス)として復活します。1963年には社名を「株式会社はとバス」に改称。東京観光の代名詞となりました。

はとバスのガイドたちは、300ページにもおよぶ教本を暗記します。東京都内のガイドに関するものだけでその分量です。さらに全国各地のエリア別教本が約20種類。毎年1月には必ず改訂されます。季節ごとの年中行事、日本の自然、最新の情報。膨大な知識を更新し続けることが求められました。

しかし1970年代、オイルショックとバスガイド不足が重なります。はとバスはアルバイトガイドの採用で対応しました。そして技術も変化していきます。

音声ガイドの登場です。録音された声が、案内人の代わりに観光スポットを解説します。感染症対策、コスト削減、多言語対応。様々な理由で導入が進みました。録音された声は、常に同じクオリティで、同じ内容を伝えます。伝え漏れがありません。しかし、目の前の乗客の反応を見て語り方を変えることもありません。

カーナビが普及し、Googleマップがスマートフォンに入りました。AI音声ガイドの実験が始まり、自動運転観光バスの試験運行も行われています。

技術の変遷は、「誰が選ぶか」の変遷でした。人間から録音へ。録音からアルゴリズムへ。そして今、AIへ。

見ることと、見せられること

1925年12月15日から100年。都市を見せる主体は変わりました。

案内人は選びました。何を見せ、どう語るか。その選択には、知識と、経験と、その日の乗客への配慮がありました。アルゴリズムは選びません。すべてを撮影し、すべてを提示します。選ぶのは見る者です。

「見る」という行為は、見せられることなのか。それとも、選ぶことなのか。

上野駅前のバスに乗り込んだ若い案内人も、ストリートビューカーを設計したエンジニアも、同じ問いに向き合っていたのかもしれません。都市をどう体験させるか。何を可能にし、何を制約するか。技術は常に、この問いへの一つの答えです。

私たちが都市を見るとき、その視線の先には、誰かが設計した枠組みがあります。技術は進化を続けます。その先に何が待っているかは、まだ誰も知りません。


Information

参考リンク:

用語解説:

キュレーション(Curation) 膨大な情報の中から、目的や文脈に応じて適切なものを選び出し、意味のある形で提示すること。美術館の学芸員(キュレーター)が展示を企画することに由来します。

インターフェース(Interface) 人間と機械、システムとユーザーの間を仲介するもの。ユーランバスにおける案内人は、乗客と都市の間のインターフェースとして機能しました。

アルゴリズム(Algorithm) 問題を解決するための手順や計算方法。ストリートビューでは、複数の画像を縫い合わせる処理や、顔を認識してぼかしを入れる処理などがアルゴリズムによって自動化されています。

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Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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