熟練技術者の「勘と経験」は、もう失われない。AIが学習し、量子インスパイアード技術が9.3×10の157乗通りという人間の想像を超える組み合わせから最適解を導き出す。トヨタと富士通が実現した、暗黙知のデジタル継承がものづくりの未来を変えようとしている。
株式会社トヨタシステムズと富士通株式会社は2026年1月14日、トヨタ自動車とともに、車載コンピュータ(ECU)のコネクタピン配置設計の自動化を自動車業界で初めて実現したと発表した。100ピンの端子配列は理論上9.3×10の157乗通りの組み合わせがあり、配置検討の長期化と属人化が課題だった。
両社は富士通の量子インスパイアード技術「デジタルアニーラ」とAIを活用し、熟練技術者の知見をAIモデルに学習させ、数式情報に変換して高速計算することで最適配置を自動算出する仕組みを構築した。従来手法に比べ20倍以上の高速化に成功し、2025年5月よりトヨタ自動車の量産ECUを対象に実業務での適用を開始している。今後、適用範囲を拡大し、開発スピードと品質の向上、コスト低減に取り組む。
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トヨタシステムズと富士通、持続可能な開発体制に向け量子インスパイアード技術とAIを活用し、車載コンピュータ設計の効率化を実現
【編集部解説】
今回トヨタシステムズと富士通が発表したECUコネクタピン配置設計の自動化は、製造業における暗黙知の形式知化という、長年の課題に対する具体的な解決策を示した事例として注目に値します。
まず技術的な背景を整理しましょう。ECUは車載コンピュータの総称で、現代の自動車には100個以上搭載されるケースもあります。エンジン、ブレーキ、カーナビなど、あらゆるシステムを制御する重要な部品です。そのECUに接続するコネクタピンの配置設計は、電気信号の伝達効率、ノイズ対策、放熱、配線の取り回しなど、多数の制約条件を考慮する必要があり、熟練技術者の経験と勘に大きく依存していました。
100ピンの端子配列で9.3×10の157乗通りという組み合わせ数は、想像を絶する規模です。比較のため例を挙げると、20拠点を巡回する経路を考える「巡回セールスマン問題」でさえ約243京通りですから、その複雑さは桁違いといえます。
この課題に対して両社が採用した富士通の「デジタルアニーラ」は、いわゆる量子コンピュータではなく、量子インスパイアード技術と呼ばれるものです。量子コンピュータの計算原理にヒントを得ながら、従来のデジタル回路で実装することで、常温動作が可能で安定性も高いという実用的な特性を持ちます。量子コンピュータ本体が絶対零度近くの冷却を必要とし、エラーも多く実用化にはまだ距離があるのに対し、デジタルアニーラは組合せ最適化問題に特化することで、すでに実業務で成果を出しています。
今回の取り組みで特に重要なのは、熟練技術者の知見をAIモデルに学習させ、それを数式情報に変換してデジタルアニーラで高速計算するという、AIと量子インスパイアード技術のハイブリッドアプローチです。従来手法に比べて20倍以上の高速化を実現したことで、設計プロセスの属人化という課題を解消し、設計品質の安定化と開発期間の短縮を両立しています。
すでに2025年5月から量産ECUを対象に実業務での適用が開始されており、これは実証実験ではなく本格運用という段階です。トヨタシステムズは今後、この仕組みをサプライヤー企業にも展開する方針を示しており、自動車産業のサプライチェーン全体でのデジタル化が加速する可能性があります。
モビリティ産業が直面する人材不足という構造的課題に対して、最先端技術で応えた今回の事例は、他の製造業分野にも示唆を与えるものといえるでしょう。暗黙知を形式知化し、技術の継承と効率化を同時に実現する。これこそが、未来の姿なのかもしれません。
【用語解説】
ECU(車載コンピュータ)
Electronic Control Unitの略。エンジン、ブレーキ、カーナビなど車両の各システムを制御する小型コンピュータの総称。現代の自動車には100個以上搭載されることもある。
コネクタピン
部品や回路を相互に接続し、電気信号や電力の伝達を可能にする金属端子。ECUと各種センサーやアクチュエータをつなぐ重要な部品。
量子インスパイアード技術
量子現象に着想を得たコンピューティング技術。量子コンピュータそのものではなく、量子コンピュータの計算原理をヒントに従来のデジタル回路で実装した技術。常温で動作し、安定性が高い。
組合せ最適化問題
与えられた条件の中から、最も良い組合せを選び出す問題。巡回セールスマン問題やスケジュール最適化など、ビジネス現場で多く発生する。従来のコンピュータでは計算量が膨大になり、現実的な時間で解くことが困難。
CAE解析
Computer Aided Engineeringの略。コンピュータ上で製品の設計や性能をシミュレーションし、評価・検証することで、開発期間短縮、コスト削減、品質向上に貢献する工学手法。
属人化
特定の業務や知識が特定の個人に依存している状態。その人がいないと業務が回らなくなるリスクがある。技術継承の観点からも課題とされる。
【参考リンク】
株式会社トヨタシステムズ(外部)
トヨタグループを技術力でサポートするITソリューション企業。量子コンピューティング活用も推進。
富士通デジタルアニーラ(外部)
組合せ最適化問題を高速で解く量子インスパイアード技術。物流、生産計画など幅広く活用。
トヨタシステムズ – 量子インスパイアード技術活用(外部)
車両製造の生産順序最適化など、量子インスパイアード技術の具体的な活用事例を紹介。
【参考記事】
トヨタの量産ECUのコネクターピン配置設計を自動化、20倍以上の高速化を実現(外部)
100ピンで9.3×10の157乗通りの組合せから最適解を従来比20倍以上の速度で算出した事例を報告。
トヨタシステムズと富士通、「デジタルアニーラ」を活用し大規模物流の効率化を共同で実証(外部)
300万以上のルート候補に対してデジタルアニーラを適用し、約2〜5%のコスト削減効果を実証。
トヨタシステムズと富士通、自動車の生産順序組み合わせに「デジタルアニーラ」を活用し、稼働を開始(外部)
トヨタ自動車の堤工場で車両生産指示システムの稼働を開始。国内初の自動車生産業務への適用事例。
スパコンで8億年かかる計算を1秒で解く富士通の「デジタルアニーラ」(外部)
1,024bit規模でビット間全結合、常温動作可能など、デジタルアニーラの技術的優位性を詳解。
【編集部後記】
あなたの職場にも、ベテラン社員の「勘と経験」に頼り切っている業務はありませんか。今回の事例は、9.3×10の157乗という途方もない組合せの中から最適解を導き出すという、人間の能力をはるかに超えた課題に対して、AIと量子インスパイアード技術を組み合わせることで答えを出しました。
製造業に限らず、多くの業界で直面する「暗黙知の継承」という課題に、テクノロジーはどこまで応えられるのでしょうか。そして、人間にしかできない仕事とは何なのか。この問いについて、ぜひ皆さんと一緒に考えていきたいと思います。



































