株式会社日立製作所は2026年4月1日、協創施設「Lumada Innovation Hub Tokyo」内に「フィジカルAI体験スタジオ」を開設する。
本スタジオは、次世代AIソリューション群「HMAX by Hitachi」を核に、フィジカルAIの社会実装をお客さまやパートナーと協創するための戦略拠点だ。体験できる技術は、Google CloudのGemini Enterpriseを活用したAIエージェント(エッジでの推論)、深層予測学習モデルを用いた自律学習型ロボット(学習)、デジタルツインによる現場安全管理(デジタルツイン)の3つである。また、AIを用いた業務改革を志向する企業向けカンファレンス「Hitachi Physical AI Day」を、2026年5月20日にザ・プリンスパークタワー東京にて開催する。
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日立、フィジカルAIの社会実装をお客さまと協創する「フィジカルAI体験スタジオ」を開設|株式会社日立製作所
【編集部解説】
「フィジカルAI」という言葉を初めて耳にした方も多いかもしれません。生成AIが「言葉や画像を生み出すAI」だとすれば、フィジカルAIは「現実の物理世界で動き、触れ、判断するAI」です。センサーから得た感触や映像をリアルタイムで処理し、ロボットの手先を動かしたり設備を制御したりする——そのサイクルを現場で繰り返しながら自律的に進化していく点が、従来の産業用ロボットとの本質的な違いです。
今回の発表の核心は、スタジオそのものよりも、日立が掲げた「カスタマーゼロ」という思想にあります。鉄道・エネルギー・製造など110年超にわたって自ら現場を持ち続けてきた日立が、その蓄積を「自社の現場を最初の顧客として」AIで磨き上げてきたという主張です。これは単なるマーケティングトークではなく、OT(制御・運用技術)領域における独自のドメインナレッジこそが、他社との差別化軸になるという戦略的な宣言と読み取れます。
このニュースが持つ影響の射程は、製造業に留まりません。日本では2025年時点で製造業における産業ロボットの導入台数が約4万9,000台に達する予想で、2030年には8万台規模への成長が予測されています(Next Move Strategy Consulting)。さらに2025年12月には内閣がフィジカルAIとロボティクスを日本の中核的競争力と位置付ける国家AI計画を承認しており、政策的な追い風も整いつつあります。日立の動きは、こうした国家戦略と足並みを揃えた布石とも言えます。
技術面で注目すべきは「100Hz高速AIモデル」の存在です。従来の産業ロボットが毎秒10回程度の指示しか処理できなかったのに対し、早稲田大学との共同開発による深層予測学習ベースのモデルは毎秒100回の制御を実現します。これにより、ワイヤーハーネスのような「しなやかで形が変わる部品」の組付けが自動化の対象に入ってきます。これまでのロボットが苦手としてきた「繊細な力加減」の壁を越えようとしている点は、製造工程の自動化に新たな扉を開く可能性があります。
一方で、冷静に見ておくべきリスクもあります。フィジカルAIは現場データを継続的に学習する仕組みであるため、学習データの品質や偏りが出力品質に直結します。また、AIが自律的に判断して物理的アクションを起こすシステムの安全基準は、まだ国際的に整備途上です。データプライバシーとサイバーセキュリティへのリスク増大も、業界全体で認識されている課題です。社会インフラに近い領域でフィジカルAIが稼働するほど、誤作動や不正アクセスの影響は甚大になりかねません。規制当局と産業界が連携したガイドライン整備が急務です。
長期的な視点から見ると、このスタジオ開設は「技術の社会実装速度を上げるための実験場」として機能することが期待されます。日立はGoogle CloudのGemini Enterprise、Microsoftとのエージェント協業、NVIDIAのAI Factoryなど、グローバルプラットフォーマーとのエコシステム構築を着実に進めており、単独での技術開発から「産業AIの協創プラットフォーマー」へとポジションを移行させようとしている姿勢が見えます。
「何から手をつければよいか分からない」という企業の声に寄り添う場を設けた点は現実的な戦略です。ただし、体験スタジオで生まれた協創がどれだけ実際の現場実装へと繋がるかが、この取り組みの真価を問う指標になるでしょう。
【用語解説】
フィジカルAI(Physical AI)
現場のセンサーやカメラから得たデータをAIがリアルタイムで分析・判断し、ロボットや設備の制御という「物理的なアクション」にまで結びつける技術。生成AIが「テキストや画像を生成する」のに対し、フィジカルAIは「現実世界で動き、触れ、判断する」点が本質的な違いである。このサイクルを繰り返すことでAIが継続的に進化する。
OT(Operational Technology/制御・運用技術)
工場や鉄道、電力設備など物理的な機械や設備を制御・監視するための技術の総称。ITがデータの処理・通信を担うのに対し、OTは現実の設備を動かすことに特化している。フィジカルAIはこのITとOTの橋渡し役として機能する。
ドメインナレッジ
特定の産業や業務領域における専門的な知識・経験の蓄積。日立の文脈では、鉄道・エネルギー・製造など100年以上にわたる現場運用から得た知見を指す。汎用AIとの差別化において核心となる概念だ。
深層予測学習
AIが将来の状態を予測しながら、現実とのズレを最小限に抑えつつ自律的に行動を決定・実行する深層学習技術。日立が早稲田大学との共同研究で開発し、毎秒100回の動作指示(100Hz)を可能にする高速AIモデルの基盤となっている。
デジタルツイン
現実の工場や設備・人の動きを、仮想空間上にリアルタイムで再現したモデルのこと。シミュレーションを通じて危険箇所の予測や作業計画の最適化を行い、その結果を現実世界のロボットや設備へフィードバックする。
カスタマーゼロ
自社の現場を「最初の顧客」として位置づけ、自らAI技術を実践・検証するアプローチ。日立が鉄道・エネルギー・製造など自社の多様な事業現場で先行検証を行い、その知見を顧客へ提供する戦略的な考え方を指す。
エッジでの推論
クラウドに送らず、スマートフォンや現場端末など「エッジデバイス」上でAIがその場で判断・処理を行うこと。通信遅延がなく、リアルタイム性が求められる現場作業や設備点検に適している。
【参考リンク】
株式会社日立製作所(外部)
ITとOT・プロダクトを融合した社会イノベーション事業を展開する日本の総合電機メーカー。2024年度売上収益は9兆7,833億円。
HMAX by Hitachi フィジカルAIサイト(外部)
日立のフィジカルAI戦略の全体像と最新の取り組みを紹介する公式ページ。ソリューション・ユースケースを掲載。
Lumada Innovation Hub Tokyo(外部)
JR東京駅直結のサピアタワー17階に設けた協創施設。フィジカルAI体験スタジオの開設場所であり顧客・パートナーとのDX推進拠点。
GlobalLogic(外部)
日立グループ傘下のデジタルエンジニアリング企業。ソフトウェア開発力とAI技術を強みにHMAXの開発を担う。
Google Cloud(外部)
Googleが提供するクラウドプラットフォーム。Gemini Enterpriseを活用したAIエージェントのデモを日立と提供する。
Microsoft(外部)
世界最大級のソフトウェア・クラウド企業。日立エナジーとのAIエージェント協業でグローバルユースケースを拡充する。
NVIDIA(外部)
GPU・AI半導体の世界的リーダー。日立のAI Factory基盤(HGX B200等)を提供するフィジカルAIの戦略パートナー。
【参考記事】
Japan Robotics Market: Automation Revolution, AI Integration & Industrial Transformation(外部)
2025年12月の内閣によるフィジカルAI国家戦略承認と、90万人超の介護人材不足など日本のロボティクス市場の構造変化を分析。
Japan Industrial Robotics Market Analysis | 2025-2030(外部)
2025年の導入台数4万9,000台から2030年に8万台(年平均成長率10.4%)への成長を予測する日本の産業ロボット市場レポート。
AI-Powered Industrial Robot Market Trends, 2026–2035(外部)
2035年までのAI産業用ロボット市場を予測。データプライバシーとサイバーセキュリティリスクを業界課題として明記している。
Hitachi to strengthen business structure to drive Lumada 3.0 growth through Physical AI(外部)
2026年1月29日付の日立公式リリース。「フィジカルAI世界トップクラスの使い手」を目指す経営方針とInspire 2027組織再編を詳述。
Hitachi Launches Expanded HMAX Solutions Accelerating Social Innovation Globally Across Industries(外部)
CES 2026でのHMAX正式発表リリース。モビリティ・エネルギー・産業の3分野展開と110年超のOT経験による差別化戦略を記載。
Hitachi Announces NVIDIA AI Factory to Accelerate Physical AI Innovation(外部)
2025年9月25日発表。NVIDIA HGX B200・Blackwell GPUを基盤とするグローバルAI Factory設立の詳細を解説した記事。
Physical AI Central to Hitachi’s Bold Restructure(外部)
日立の大規模組織再編をフィジカルAI戦略の視点で分析。「カスタマーゼロ」とLumada 3.0への転換を第三者視点で解説。
【編集部後記】
「フィジカルAI」という言葉、あなたはどう受け取りましたか。まだ遠い未来の話に感じる方も、すでに自分の仕事との接点を想像し始めている方も、いらっしゃるのではないでしょうか。私たちも、この技術が現場の景色をどう変えていくのか、まだ答えを探している途中です。ぜひ、みなさんの視点も聞かせてください。







































