食事をすると、腸はあるホルモンを血液に送り出します。GLP-1です。いまでは糖尿病や肥満症の薬として世界中で使われていますが、そこに至るまでに約40年、数えきれない人たちの仕事が、手から手へ渡されてきました。腸の不思議に気づいた人、遺伝子の設計図を読んだ人、壊れやすいホルモンを薬に変えた人、そして臨床試験に参加した人たち。10月5日にはノーベル生理学・医学賞の発表を控えますが、結果にかかわらず、このリレーを走ってきた人たちの仕事を、順にたどります。
GLP-1は食事に応じて小腸から分泌されるホルモンで、血中の半減期は1〜2分だ。腸がインスリンの分泌を促すという考えは、1906年の腸の抽出物の実験、1932年の「インクレチン」の命名、1964年の実験的な証明を経て形づくられた。1980年代に遺伝子の解析から配列が見つかり、活性型の同定、受容体の発見、ヒトでの確認が続いた。GLP-1の発見から、それをもとにした最初の薬の承認までには、ほぼ20年かかった。2型糖尿病の薬として始まり、のちに肥満症の薬にもなった。日本では肥満症にウゴービとゼップバウンドが使えるが、施設や期間などの条件が定められている。17,604人が参加した試験では、心血管の病気がある肥満の人で、心血管死、心筋梗塞、脳卒中のリスクが20%下がった。一方、厚生労働省は2026年6月16日、美容・痩身目的の使用の安全性と有効性は確認されていないとする通知を出した。
【編集部解説】
GLP-1とは何か:本来の目的と、いま起きていること
GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)は、食事をとると小腸の内分泌細胞(L細胞)から分泌されるホルモンです。同じ仲間のGIPとあわせて「インクレチン」と総称され、食後の血糖の上がり方を整える仕組みの一部を担います。膵臓では、血糖が高いときにインスリンの分泌を後押しし、血糖を上げるグルカゴンの分泌を抑えます。血糖値に応じて働くため、低血糖を起こしにくい性質があります。胃では食べたものが送り出される速さを遅らせ、脳に働きかけて食欲を抑えます。ただし、天然のGLP-1は血中で1〜2分しかもちません。この短さが、薬づくりの最大の壁になりました。
GLP-1をもとにした薬は、まず2型糖尿病の薬として生まれました。2005年に最初の薬が米国で承認され、のちに体重を減らす作用が注目されて、2014年には米国で肥満の治療にも使われるようになります。日本では、ウゴービが2023年3月に肥満症の薬として承認され、2024年2月に発売されました。
日本で肥満症の薬を使うには、条件があります。BMIや健康障害の基準を満たし、専門医のいる施設で6か月以上の食事療法・運動療法を続けても十分な効果がなかった人が対象で、投与の期間も最大で68週(ウゴービ)または72週(ゼップバウンド)と決められています。
その外側で起きているのが、美容や痩身、いわゆるダイエットを目的とした使用です。厚生労働省は2026年6月16日、一部の医療機関でこうした使用が行われている実態が確認されているとして、適応外で使った場合の安全性と有効性は確認されていないと注意を呼びかけました。適応外で使って重い健康被害が出ても、副作用被害救済制度の給付を受けられない可能性が非常に高いとも、厚労省は書いています。使える条件や制度の詳細は、末尾の参考リンクにまとめました。
この記事の中心は、ここから先です。このホルモンが薬になるまでに、誰が何を手渡してきたのかをたどります。
約40年のリレー:それぞれが手渡したもの
GLP-1の薬は、一人の発見から生まれたものではありません。腸の働きをめぐる問いが、100年以上前から少しずつ受け継がれ、1980年代からの約40年で、複数の国と分野をまたいで手渡されてきました。この章では、誰が何をしたかを、仕事の順に書きます。名前の並びは仕事の順で、評価や順位の順ではありません。ここに挙げた人がすべてではないことも、先にお断りしておきます。
第1走:腸のなかの「何か」を探した人たち(1906〜1980年代)
1906年、ムーア氏(Moore)らは、腸の粘膜の抽出物を糖尿病の患者に与える試みを報告しました。腸が膵臓に何かの合図を送っているのではないか、という発想の始まりです。1932年には、ベルギーの生理学者ラ・バール氏(Jean La Barre)が、腸の粘膜から抽出され血糖を下げる物質に「インクレチン」という名前を与え、糖尿病の治療に使える可能性にも触れています。
ただ、その実体はなかなかつかめませんでした。転機は、インスリンを血液中で測る方法が整ったことです。1964年、マッキンタイア氏(McIntyre)らと、米国のエルリック氏(Elrick)らが、それぞれ独立に、口から摂ったブドウ糖のほうが、静脈内に注射したブドウ糖よりインスリンを多く出させることを示しました。1967年には、ペアリー氏(Perley)とキプニス氏(Kipnis)が、同じ血糖値にそろえて比べても、静脈内の注射では口から摂った場合の30〜40%程度のインスリンしか出ないことを確かめています。この差を生む腸のホルモンが「インクレチン」です。
最初に見つかったインクレチンは、GIPでした。1970年代にジョン・ブラウン氏(John Brown)が単離し、1973年にはデュプレ氏(Dupre)とブラウン氏らが、GIPがヒトでブドウ糖に応じたインスリン分泌を高めることを示しました。ドイツ・ゲッティンゲンのナウク氏(Michael Nauck)、クロイツフェルト氏(Werner Creutzfeldt)らは1986年、2型糖尿病ではこのインクレチン効果が弱まっていることを報告しています。腸のホルモンが糖尿病の治療の鍵になりうる、という見通しが、ここで具体的になりました。
第2走:設計図を読んだ人たち(1980年代前半)
GLP-1そのものは、遺伝子の側から見つかりました。ボストンのハベナー氏(Joel Habener)の研究室では、1980年代の初めに、ランド氏(Kay Lund)、グッドマン氏(Dick Goodman)らがアンコウのプログルカゴン遺伝子を解析しました。そして、グルカゴンのほかに、グルカゴンに似たペプチドの配列があることを見つけました。
なぜアンコウだったのか。ハベナー氏はのちのあいさつで、当時は温血動物での組換えDNA実験に一時的な制約があったこと、魚類は膵臓のホルモンを別の器官(ブロックマン小体)でつくるため、質の高いメッセンジャーRNAを得やすかったことを挙げています。制約の中で選んだ回り道が、発見につながりました。
同じ頃、カイロン社のグレアム・ベル氏(Graeme Bell)らが、ハムスター、ウシ、ヒトの配列を明らかにし、このペプチドをGLP-1と名づけました。哺乳類のプログルカゴンには、グルカゴンのほかに、GLP-1とGLP-2の二つのペプチドが含まれることが分かりました。
第3走:働く形を見極めた人たち(1985〜1987年)
配列が分かっても、体の中で実際に働くGLP-1がどの形なのかは、別の問題でした。この問いには、複数の場所で同時に答えが出ます。
ゲッティンゲンでは1985年、シュミット氏(Schmidt)、ジーゲル氏(Siegel)、クロイツフェルト氏が、単離したラットの膵島で、GLP-1がインスリンの放出を促し、GLP-2はそうしないことを報告しました。
ボストンでは、ペプチド化学者のモイソフ氏(Svetlana Mojsov)が、固相合成の技術でGLP-1を合成し、抗体をつくり、長い型と短い型を分けて検出する方法を整えました。この試薬と方法が土台になり、短い型のGLP-1(7-37)が腸に存在することを、1986年に示すことができました。1984年にハベナー氏の研究室に加わったドラッカー氏(Daniel Drucker)は、1987年に、短い型が膵島の細胞株でインスリン遺伝子の発現と、血糖に応じたインスリン分泌を高めることを示しました。モイソフ氏とゴードン・ウィアー氏(Gordon Weir)は、取り出したラットの膵臓で、ごく低い濃度でもインスリン分泌が高まることを確かめています。
コペンハーゲンでは、ホルスト氏(Jens Juul Holst)らが別の道をたどっていました。胃の手術のあとに起きる低血糖への関心から腸のホルモンの研究が始まり、ヘディング氏(Lise Heding)のグルカゴン研究に触発されたと、本人たちは書いています。
GLP-1とGLP-2を測る検査法を整え、ブタとヒトの腸から天然のホルモンを取り出したところ、それは短い型で、強くインスリンを出させることが分かりました。さらに、GLP-1がグルカゴンの分泌を抑えることも、同じグループから示されています。同じ1987年の12月には、ロンドンのクレイマン氏(Kreymann)とスティーブン・ブルーム氏(Stephen Bloom)らが、短い型がヒトでインスリン分泌を高めることを報告しました。
ゲッティンゲン、ボストン、コペンハーゲン、ロンドン。数年のうちに、別々の場所で、似た結論に近づいていました。
第4走:受け手を突き止めた人たち(1992〜1996年)
ホルモンが働くには、それを受け止める受容体が要ります。1992年、ベルナール・トーレンス氏(Bernard Thorens)は、ラットの膵島の遺伝子ライブラリーから、GLP-1の受容体の遺伝子を突き止めました。この仕事は、トーレンス氏が一人で成し遂げたものとして紹介されています。受容体はGLP-1にだけ強く結合し、グルカゴンやGIPには結合しませんでした。翌1993年には、複数のグループがヒトの受容体を相次いでクローニングし、トーレンス氏らは、トカゲ由来のエキセンディン-4がこの受容体を働かせることも示しています。
受容体が分かったことで、体の中でGLP-1が本当にインクレチンとして働いているのかを確かめる道が開けました。トロントのドラッカー氏の研究室で、スクロッキ氏(Scrocchi)らは1996年に、GLP-1の受容体をもたないマウスをつくり、体内のGLP-1がインクレチンとして血糖の調節に働いていることを示しました。同じ1996年には、GLP-1をラットの脳に注入すると、食べる量が大きく減るという論文も出ています(ブルーム氏ら)。食欲という、もう一つの扉が開きました。
第5走:ヒトで確かめた人たち(1992〜2002年)
1992年には、ボストンのデビッド・ネーサン氏(David Nathan)らとハベナー氏、モイソフ氏が、ヒトでインスリン分泌の促進と血糖の低下を確かめました。カロリンスカ研究所のエフェンディック氏(Suad Efendic)らも、同じ年に、糖尿病の人を含む研究でGLP-1の作用を報告しています。1993年には、ゲッティンゲンのナウク氏らが、GLP-1の点滴によって、長く続く2型糖尿病の患者の高い空腹時血糖が正常に戻ることを示しました。この論文には、コペンハーゲンのホルスト氏らも共著者として並んでいます。国をまたいだ共同の仕事でした。
けれども、皮下注射ではほとんど効きませんでした。理由はやはり、血中での分解の速さです。2002年、コペンハーゲンのグループは、GLP-1を6週間、皮下に持続的に注入する試験を行いました。効果が弱まる様子はなく、血糖は下がり、体重は約2kg減りました。これが、GLP-1による治療が成り立つことを示す、最初の確かな証拠になりました。
第6走:壊れやすさに挑んだ人たち(1990年代〜2020年代)
残る課題は、1〜2分で壊れるホルモンを、どうやって薬にするかでした。
ホルスト氏とデーコン氏(Deacon)は、キールのメントライン氏(Rolf Mentlein)の着想も得て、GLP-1がDPP-4という酵素で切られることを、生体内で示しました。この酵素を止めれば、体内のGLP-1を長くもたせられる。その考えは1998年に示され、飲み薬の道につながります。メルクのナンシー・ソーンベリー氏(Nancy Thornberry)は1999年にDPP-4の研究計画を始め、アン・ウェーバー氏(Ann Weber)らとともに、シタグリプチンの発見チームを率いました。シタグリプチンは2006年に米国で承認された、最初のDPP-4阻害薬です。
別の道は、思いがけない場所から来ました。ニューヨーク・ブロンクスの退役軍人省の医療センターで、ジョン・エング氏(John Eng)は、ラウフマン氏(Jean-Pierre Raufman)らとともに、アメリカドクトカゲの毒からエキセンディン-4を見つけました。1990年代初めのことです。DPP-4で分解されにくいこのペプチドが、最初に臨床で使われたGLP-1受容体作動薬、エキセナチド(2005年承認)になりました。
ヒトのGLP-1そのものを壊れにくくする道を拓いたのは、ノボ ノルディスクのクヌーセン氏(Lotte Bjerre Knudsen)のチームです。脂肪酸を付けて血中のアルブミンにくっつけ、分解と排出から守りながら少しずつ放す設計にたどり着きました。脂肪酸の長さや付ける位置を変えた類縁体を数多くつくって比べた末に生まれたリラグルチドは、皮下注射後の半減期が1.2時間から13時間に延び、欧州で2009年、米国で2010年に承認されました。そのあいだにも、大学との協働は続いています。1998年には、クヌーセン氏とホルスト氏、デーコン氏らが共著で、DPP-4に強いGLP-1類縁体の性質を報告しました。
次の目標は週1回でした。イェスパー・ラウ氏(Jesper Lau)とトーマス・クルーセ氏(Thomas Kruse)が率いる化学者のチームは、約4,000の化合物を調べ、半減期が165時間にまで延びた化合物を見つけます。これがセマグルチドで、2017年に米国で承認されました。
クヌーセン氏は、ブルーム氏らの1996年の論文に注目し、肥満にも使えるという考えを推しましたが、抵抗に遭ったと伝えられています。本人はのちのあいさつで、肥満の薬物治療を信じる企業がほとんどなかった時代に開発を進められたと振り返っています。
イーライリリーのリチャード・ディマルキ氏(Richard DiMarchi)は、エフェンディック氏との共同研究でGLP-1の研究を始めました。2003年にインディアナ大学へ移ってからは、マティアス・チョップ氏(Matthias Tschöp)との共同研究で、GIPやグルカゴンなど複数のホルモンの働きを一つの分子に組み込む考え方を示しています。ディマルキ氏自身は、GIPとGLP-1の両方に働くチルゼパチド(2023年に米国で肥満の治療に承認)は、この技術の上に築かれていると述べています。
リリーの社内では、ディマルキ氏の最初のポスドクだったジョン・メイヤー氏(John Mayer)が、ペプチド研究グループを10年以上率い、チルゼパチドを含む複数の候補を前に進めました。
第7走:証拠をつくった人たち(2010年代〜)
薬が広く使われるには、効くだけでなく、長く使って安全か、命に関わる病気を減らすのかを確かめる必要があります。2型糖尿病の人では、2016年のLEADER試験(リラグルチド)やSUSTAIN-6試験(セマグルチド)などで、心血管の病気への影響が確かめられてきました。
2023年に報告されたSELECT試験は、糖尿病のない、肥満で心血管の病気がある人を対象にしました。41か国、804の施設で、17,604人が参加しています。平均で3年あまりの観察の結果、心血管死、心筋梗塞、脳卒中を合わせたリスクが20%下がりました。
日本の人たちも、このリレーに加わっています。ウゴービの日本人・韓国人を対象にした試験には401人、ゼップバウンドの国内の試験には267人が参加しました。試験の期間中は、決められた時期ごとに、食事と運動のカウンセリングが続けられました。ウゴービの試験では、それが4週ごとの来院や電話でした。参加した人たちと、その一回一回を担った人たちの名前は、論文にも、この記事にも出てきません。
別の道へ:GLP-2というもう一つの薬
このリレーは、肥満や糖尿病の外にも届いています。トロントのドラッカー氏の研究室は、1996年にGLP-2が小腸の粘膜を増やすことを見つけ、分解されにくい類縁体をつくりました。これがテデュグルチドで、短腸症候群の薬として2012年12月に米国で承認されています。コペンハーゲンのジェッペセン氏(Jeppesen)らの、2000〜2001年ごろの患者での試験が、その開発を後押ししました。
日本の走者たち
日本からも、このリレーに加わった人たちがいます。清野裕氏は、日本糖尿病学会の雑誌の総説(2009年)で、合成GIPが血糖に応じてインスリン分泌を促すことを、自分たちも確認したと記しています。矢部大介氏と清野氏は同じ年に、インスリン分泌の障害が主体の日本の2型糖尿病では、インクレチンの働きを利用する薬が効く例が多いのではないか、という見方を示しました。日本では2010年に、最初のGLP-1受容体作動薬が上市されています。
飲み薬の新しい道を開いたのも、日本の研究者たちです。リリーの飲み薬オルフォルグリプロンは、中外製薬が創製した、GLP-1の受容体に作用する非ペプチド型の低分子です。中外製薬は2018年に、その開発と販売の権利をリリーに許諾しました。この薬は2026年4月1日に、米国で肥満の治療薬(Foundayo)として承認されています。
当事者の言葉
この仕事の担い手たち自身は、この協働をどう語っているのでしょうか。
ドラッカー氏、ハベナー氏、ホルスト氏は、2017年に3人で、GLP-1の歴史をまとめた総説を書いています。この研究は30年以上にわたり、複数の研究者の貢献を含むと冒頭で述べ、臨床への橋渡しの成功は、30年にわたってGLP-1を研究した数十人の同僚の貢献によるものだと書いています。謝辞では、各自の研究室のメンバーと、数百人の共同研究者に感謝しています。同じ総説は、この分野が、目立たないが堅実な研究の積み重ねで築かれたとも述べています。その多くは専門分野の雑誌に載り、「記述的」「漸進的」と呼ばれがちな研究だったといいます。
クヌーセン氏は、のちのあいさつで、科学が一人の仕事であることはまれだと述べ、旅をともにした数えきれない優れた人たちを代表して受ける、という趣旨を語りました。薬の開発には、証拠をつくり、薬を必要な人に届ける、数えきれない人たちの仕事があるとも述べています。
モイソフ氏は、GLP-1の合成を1983年11月4日に始めたと、日付まで挙げて振り返りました。使った振とう器は、恩師のブルース・メリフィールド氏(Bruce Merrifield)が研究室から送ってくれたものだったそうです。仕事は、化学者と生物学者と臨床医の協働で、最初は大学で、のちに製薬企業で進んだ、とも述べています。
ハベナー氏は、キャリアを振り返って、偶然(セレンディピティ)が節目ごとに働いたと語り、計画をともに立てたポスドクとして、ランド氏とグッドマン氏の名を挙げています。ハベナー氏は、2025年12月28日に亡くなりました。
AAASは2024年に、クヌーセン氏とディマルキ氏の仕事を表彰した際、貢献した科学者は多く、その事実を二人が真っ先に語る、と記しています。
ここに書けなかった人たち
この章に並べた名前は、すべてではありません。ドラッカー氏らが謝意を述べた数百人の共同研究者の多くは、ここに出てきません。臨床試験を支えた医療者、薬を製造し、品質を守り、審査し、届けてきた人たちも同じです。誰の仕事が最も大きかったかを、順位づけることもしません。どの仕事も、次の仕事の前提になっているからです。インスリンを測る方法があって、インクレチン効果が示されました。モイソフ氏の試薬と方法は、短い型の存在を示す土台になりました。ホルスト氏とデーコン氏の発見は、薬の設計の課題を定めました。その積み重ねの全体が、いま私たちが使っている薬になっています。
リレーが抱えてきた課題
このリレーは、順調に進んだわけではありません。
まず、時間です。GLP-1が見つかってから、それをもとにした最初の薬が承認されるまで、ほぼ20年かかりました。皮下注射では効かないという壁を越えるために、酵素の阻害、動物由来のペプチド、化学修飾という、三つの別々の道が必要でした。
次に、肥満の薬としての位置づけです。クヌーセン氏が肥満への応用を推したとき、抵抗に遭ったと伝えられていることは先に書きました。ラスカー財団の解説は、肥満は意志の弱さの問題と見なされがちだが、多くの人にとって食事と運動だけでは解決しない、と書いています。
副作用も、つねに課題として付いてきました。悪心、嘔吐、下痢、便秘などの消化器症状は、臨床試験で多く報告されています。急性膵炎、胆石症、脱水による急性腎障害、動物試験で見られた甲状腺の腫瘍などへの注意は、国のガイドラインに明記されています。欧州医薬品庁の委員会は2025年、目の病気(NAION)を、セマグルチドのごくまれな副作用と結論づけました。減量に伴って筋肉を含む除脂肪量も減ることへの対策は、まだ研究の段階です。
そして、薬が知られるにつれて生じた問題があります。日本では2023年、需要の急増で一部の製剤が限定出荷になり、2型糖尿病の治療に支障が出る懸念が指摘されました。美容や痩身を目的とした適応外の使用が広がり、厚生労働省は2026年にも改めて注意を呼びかけています。
最後に、証拠の偏りです。WHOの委託でまとめられたコクランレビュー(2025年10月30日公表)は、これらの薬が臨床的に意味のある減量を示すとしています。一方で、含まれる研究の多くが製薬企業の資金で行われている点を挙げ、長期のデータと独立した研究が必要だと指摘しています。費用の問題もあります。米国の調査では、使ったことのある人の56%が、費用の負担が難しかったと答えています。
どれだけの人に届き、何を変えたか
この薬が「何人を救ったか」は、直接には測られていません。言えるのは、測られた範囲の事実です。
一つ目は、命に関わる病気への効果です。先に見たSELECT試験では、心血管の病気がある肥満の人で、心血管死、心筋梗塞、脳卒中のリスクが20%下がりました。同じ試験の解析では、腎臓の病気の進行を示す複合的な指標も22%下がっています。
二つ目は、体重の変化です。日本人を含む臨床試験では、ウゴービ2.4mgで68週に平均13.4%(日本人と韓国人が対象)、ゼップバウンド15mgで72週に平均22.6%(糖尿病の既往がない日本人が対象)体重が減りました。ただし、対象も期間も解析の方法も異なる別々の試験の値であり、数字を直接比べることはできません。どちらの試験でも、プラセボの群で体重が1.8〜1.9%減っています。食事と運動の取り組みが全員に付いていたためで、薬の効果は群の差で見る必要があります。
三つ目は、広がりです。米国の調査(2025年10〜11月)では、成人の12%が現在GLP-1の薬を使っており、使ったことがある人は18%でした。糖尿病と診断された人では、45%が現在使っています。日本で同じように使用の広がりを示す公的な統計は、今回の調査では見つかりませんでした。
四つ目は、対象となる病気の広がりです。2型糖尿病から始まった薬は、肥満症へ、そして日本では2026年に、ウゴービがMASH(代謝機能障害関連脂肪肝炎)に、ゼップバウンドが閉塞性睡眠時無呼吸症候群に使えるようになりました。GLP-2の薬は、短腸症候群の人に届いています。
これからの可能性
リレーは、いまも続いています。
飲み薬では、セマグルチドの飲み薬(Wegovy錠)が2025年12月22日に、オルフォルグリプロン(Foundayo)が2026年4月1日に、米国で肥満の治療薬として承認されました。日本では、肥満症の飲み薬の承認は、まだ確認できていません。
より大きな減量をめざす薬もあります。GIP、GLP-1、グルカゴンの三つの受容体に作用するリリーのレタトルチドは、2型糖尿病を合併する肥満または過体重の1,152人の80週の試験で、12mgの群の体重が平均20.8%減りました(プラセボ4.0%)。全員が投与を続けた場合の推定値で、米国への承認申請は2027年第1四半期の予定です。まだ承認されていない開発中の薬です。ノボ ノルディスクは2026年9月、中国の恒瑞医薬から、週1回飲むGLP-1/GIP二重作動薬の権利を導入すると発表しました。
減量の「質」を守る研究も進んでいます。リジェネロンの第2相試験では、52週後の除脂肪量の減少が、セマグルチド単独で7.3%、筋肉を守る薬トレボグルマブの併用で4.2%でした。
一方で、期待どおりにいかなかった挑戦もあります。早期のアルツハイマー病の人3,808人を対象にした経口セマグルチドの第3相試験は、進行を抑える効果を示せませんでした。広がりへの期待と、効果が示されなかった結果が、同じ系統の薬について同時に起きています。どの可能性も、次の試験と、次の参加者たちに委ねられています。
ノーベル賞との関係:事実だけを短く
ノーベル生理学・医学賞の2026年の発表は、10月5日(月)の11:30(中央ヨーロッパ夏時間)以降とされています。日本時間では18:30以降です。賞は1つの賞につき最大3人までで、1974年からは故人には授与されません(発表後に亡くなった場合は例外)。推薦や選考の記録は、50年間公開されません。
この分野の仕事は、すでに外部から評価されています。2024年にラスカー臨床医学研究賞が、2026年9月17日にはクラリベイトの引用栄誉賞が、それぞれ別の顔ぶれでGLP-1の研究を取り上げました。
本稿は、発表の結果を予想しません。「約40年のリレー」の節で見たとおり、この薬の仕事は、3人という枠よりはるかに多くの人の手で積み上げられてきたからです。結果にかかわらず、この記事の内容は変わりません。
【用語解説】
GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)
食後に小腸の内分泌細胞(L細胞)から分泌されるホルモン。血糖が高いときにインスリンの分泌を促し、グルカゴンの分泌を抑え、胃の排出を遅らせ、食欲にも働く。
インクレチンとインクレチン効果
食事に応じて腸から分泌され、インスリンの分泌を高めるホルモンの総称がインクレチン。GIPとGLP-1の二つ。口から摂ったブドウ糖のほうが、静脈内に注射したブドウ糖よりインスリンを多く出させる現象を、インクレチン効果と呼ぶ。
GIP
最初に見つかったインクレチン。チルゼパチドは、GIPとGLP-1の両方の受容体に作用する薬。
プログルカゴン
グルカゴン、GLP-1、GLP-2などのもとになる、大きな前駆体のタンパク質。一つの遺伝子から作られ、切り分けられてそれぞれのホルモンになる。
受容体と受容体作動薬
受容体は、ホルモンを受け止めて細胞に信号を伝えるタンパク質。受容体作動薬は、ホルモンの代わりに受容体に結合して同じように働く薬。
クローニング
特定の遺伝子を取り出して、増やしたり働きを調べたりできるようにすること。
DPP-4
GLP-1などを短時間で分解する酵素。この酵素を阻害する飲み薬(DPP-4阻害薬)は、2型糖尿病の治療に使われる。
半減期
血中の薬やホルモンの量が半分になるまでの時間。天然のGLP-1は1〜2分。
固相合成
アミノ酸を一つずつ固定しながらつないでいく、ペプチドの化学合成法。
ペプチドと低分子
ペプチドは、アミノ酸がつながった分子で、多くは注射で使う。低分子は、より小さな化合物で、飲み薬にしやすい。オルフォルグリプロンは、GLP-1の受容体に作用する非ペプチド型の低分子。
GLP-2と短腸症候群
GLP-2は、GLP-1と同じ前駆体から作られるホルモンで、小腸の粘膜を増やす働きがある。短腸症候群は、手術などで小腸が短くなり、栄養を十分に吸収できなくなる病気。
肥満と肥満症
肥満はBMI25以上の状態。肥満症は、肥満に関連する健康障害があり、医学的に減量が必要な疾患。日本肥満学会の診療ガイドラインが両者を区別している。
最適使用推進ガイドライン
新しい仕組みで働く医薬品を、恩恵を強く受けると期待される患者に、副作用に対応できる体制の医療機関で使うため、厚生労働省が示す要件と留意事項。ウゴービとゼップバウンドに定められている。
適応外使用
承認された効能・効果や用法・用量の範囲を外れて医薬品を使うこと。安全性と有効性は確認されていない。
医薬品副作用被害救済制度
医薬品を適正に使ったにもかかわらず、副作用で入院治療が必要なほどの健康被害が生じた場合に、医療費や年金などを給付する公的な制度。PMDA(医薬品医療機器総合機構)が窓口。
心血管アウトカム試験
薬が、心筋梗塞や脳卒中、心血管死などの重い出来事を減らすかどうかを、多くの人で長期間確かめる臨床試験。
第3相試験
承認申請の前に、多くの患者で効果と安全性を確かめる最終段階の臨床試験。
プラセボ
有効成分を含まない偽の薬。薬そのものの効果を見分けるために、臨床試験で比較に使う。
efficacy estimand(治療継続を仮定した推定)
試験の参加者全員が、決められたとおりに投与を続けた場合を想定して推定した効果。途中でやめた人を含めた解析とは、数値が異なる。
除脂肪量
体重から脂肪を除いた量。筋肉、骨、水分などを含む。
MASH(代謝機能障害関連脂肪肝炎)
代謝の異常に関連して肝臓に脂肪がたまり、炎症や線維化を伴う病気。
NAION(非動脈炎性前部虚血性視神経症)
視神経への血流が損なわれて起きる視神経症。欧州医薬品庁の委員会は、セマグルチドのごくまれな副作用と結論づけた。
【参考リンク】
歴史と研究を知る
Lasker Foundation|GLP-1-based therapy for obesity(2024年ラスカー臨床医学研究賞)(外部)
GLP-1の発見から薬になるまでの経緯と、貢献した研究者の名前を、受賞者のあいさつとともにまとめた英語の解説。
The Journal of Clinical Investigation|Discovery, characterization, and clinical development of the glucagon-like peptides(2017年)(外部)
ドラッカー氏、ハベナー氏、ホルスト氏が共著でまとめた、GLP-1とGLP-2の研究史。英語、無料で読める。
Frontiers in Endocrinology|The Origin and Understanding of the Incretin Concept(2018年)(外部)
1906年のムーア氏らの試み、1932年のラ・バール氏による命名など、インクレチンという考えの起源をたどる総説。英語。
PNAS|Expression cloning of the pancreatic beta cell receptor for the gluco-incretin hormone glucagon-like peptide 1(1992年)(外部)
トーレンス氏が、GLP-1の受容体の遺伝子を突き止めた原著論文。英語。
The New England Journal of Medicine|Semaglutide and Cardiovascular Outcomes in Obesity without Diabetes(2023年)(外部)
17,604人が参加したSELECT試験の原著論文。英語。
KFF|Poll: 1 in 8 Adults Say They Are Currently Taking a GLP-1 Drug(2025年11月)(外部)
米国の成人のGLP-1薬の使用状況と、費用の負担についての調査。英語。
Cochrane|GLP-1 drugs effective for weight loss, but more independent studies needed(外部)
WHOの委託で行われた、リラグルチド、セマグルチド、チルゼパチドの減量効果のレビュー(2025年10月30日公表)の解説。英語。日本の制度を知る
厚生労働省|マンジャロ・リベルサスなどの2型糖尿病治療薬の美容・痩身目的での使用による健康被害にご注意ください(外部)
美容・痩身目的の使用に対する厚生労働省の注意喚起のページ。2026年6月16日の通知と、医療関係者向けの安全性情報への導線がある。
PMDA|最適使用推進ガイドライン セマグルチド(ウゴービ皮下注)肥満症(令和8年6月改訂)(外部)
ウゴービを肥満症に使う際の対象患者、施設の要件、最大68週の投与期間、臨床試験の結果、副作用をまとめた厚生労働省の文書。
厚生労働省(近畿厚生局掲載)|チルゼパチド製剤の最適使用推進ガイドライン(閉塞性睡眠時無呼吸症候群の新規策定、肥満症の改正)(外部)
2026年5月18日付の通知。ゼップバウンドの睡眠時無呼吸症候群向けと肥満症向けのガイドライン、国内外の試験結果を収載。
日本肥満学会|肥満症治療薬の安全・適正使用に関するステートメント(2025年4月10日改訂)(外部)
日本肥満学会による、肥満症治療薬の適正使用についての声明。調べる・相談する・声を届ける
厚生労働省|治験・臨床研究の情報を探す(jRCT、臨床研究情報ポータルサイトの案内)(外部)
日本で行われている治験や臨床研究を、一般の人が検索できる公的なサイトの案内。
PMDA|患者の皆様からの医薬品副作用報告(外部)
患者や家族が、医薬品の副作用を直接PMDAに報告できる窓口。寄せられた情報は安全対策に使われる。
PMDA|医薬品副作用被害救済制度(外部)
副作用被害救済制度の仕組み、請求の方法、相談窓口(電話0120-149-931)の案内。
【参考動画】
【参考記事】
Lasker Foundation|GLP-1-based therapy for obesity(外部)
アンコウの遺伝子、活性型の同定、脂肪酸による長時間化(リラグルチドの半減期が1.2時間から13時間、セマグルチドが165時間)まで。
The Journal of Clinical Investigation|Discovery, characterization, and clinical development of the glucagon-like peptides(外部)
ボストン、コペンハーゲン、トロントの研究室の仕事、DPP-4による分解の発見、GLP-2の薬(テデュグルチド)まで。
Frontiers in Endocrinology|The Origin and Understanding of the Incretin Concept(外部)
1906年から1960年代までの、インクレチンの考えの成り立ち。
The New England Journal of Medicine|Semaglutide and Cardiovascular Outcomes in Obesity without Diabetes(外部)
41か国804施設、17,604人。心血管死、心筋梗塞、脳卒中のリスクが20%低下。
KFF|Poll: 1 in 8 Adults Say They Are Currently Taking a GLP-1 Drug(外部)
米国の成人の12%が現在使用、18%が使用経験あり(2025年10〜11月の調査)。
Cochrane|GLP-1 drugs effective for weight loss, but more independent studies needed(外部)
3つの薬のレビューの結論と、企業資金の研究が多いことへの指摘。
AAAS|Innovators Who Fought to Unlock GLP-1 Drugs for Obesity Awarded Mani L. Bhaumik Breakthrough of the Year Award(外部)
クヌーセン氏とディマルキ氏の仕事と、二人が多くの研究者の貢献を語る姿勢。
【編集部後記】
アンコウの遺伝子を読む仕事から、いまの薬まで、約40年が経ちました。当事者たちは、その道のりを、目立たないが堅実な研究の積み重ねだったと振り返っています。いま私たちの身の回りにある、まだ名前の知られていない地道な研究のどれが、40年後の誰かの暮らしを変えるのでしょうか。そして、生まれた薬を、誰に、どんな条件で手渡すのか。発見の物語に、薬を手渡す条件の話を添えたのは、この二つの問いが、同じ線の上にあると考えたからです。















