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30年の謎に終止符、脳の「休眠」タンパク質GluDsが精神疾患治療の鍵に―Nature掲載

30年の謎に終止符、脳の「休眠」タンパク質GluDsが精神疾患治療の鍵に―Nature掲載

Johns Hopkins Medicineは2026年1月19日、デルタ型イオンチャネル型グルタミン酸受容体(GluDs)と呼ばれる脳タンパク質に関する研究成果を報じた。同大学医学部の生物物理学および生物物理化学助教授であるエドワード・トゥーミー博士らのチームは、クライオ電子顕微鏡法を用いてGluDsの構造を解析し、中心にイオンチャネルが存在することを明らかにした。研究は2025年9月16日、学術誌Natureに掲載された。

GluDsの変異は不安や統合失調症などの精神疾患と関連しており、小脳性運動失調症ではGluDsが過剰に活性化する一方、統合失調症では活性が低下することが示された。研究チームには、ハオボ・ワン、フェアリン・アーメド、ジェフリー・カウ、アニッシュ・クマール・モンダルが参加した。資金提供はNational Institutes of Health(R35GM154904)、Searle Scholars Program、Diana Helis Henry Medical Research Foundationから受けた。

Johns Hopkins Universityは関連技術の特許を出願している。

From: 文献リンクA “dormant” brain protein turns out to be a powerful switch

【編集部解説】

今回の研究成果は、脳神経科学における長年の謎の一つに光を当てるものです。

GluDsと呼ばれるこのタンパク質群は、1990年代に発見されて以来、「オーファン受容体(孤児受容体)」と呼ばれてきました。構造的には他のグルタミン酸受容体と似ているにもかかわらず、グルタミン酸に反応せず、どのような役割を果たしているのか不明だったためです。研究論文は2025年9月16日にNatureに掲載されており、今回のプレスリリースはその成果を広く伝えるものとなっています。

クライオ電子顕微鏡という最先端の技術を用いることで、トゥーミー博士らはGluDsの中心にイオンチャネルが存在し、d−セリンとGABAという神経伝達物質によって活性化されることを明らかにしました。これは、これらのタンパク質が単なる構造的な役割だけでなく、神経細胞間の情報伝達に直接関与していることを示しています。

この発見の治療的意義は極めて大きいといえます。GluDsをコードする遺伝子(GRID1とGRID2)の変異は、複数の疾患と関連していることが知られています。GRID2の変異は小脳性運動失調症18型(SCAR18)という希少疾患を引き起こし、患者は運動協調障害や発達遅延に苦しみます。一方、GRID1の変異は統合失調症、自閉症スペクトラム障害、双極性障害といった精神疾患のリスク因子として複数のゲノムワイド関連研究で同定されています。

興味深いのは、同じタンパク質でも疾患によって活性状態が逆転する点です。小脳性運動失調症ではGluDsが過剰に活性化している一方、統合失調症では活性が低下しています。この知見は、将来的に疾患ごとにGluDsの活性を「上げる」薬と「下げる」薬の両方が必要になることを示唆しています。

シナプスは学習や記憶の基盤となる神経細胞間の接続点であり、GluDsはこのシナプス形成と維持に中心的な役割を果たしています。加齢に伴う記憶力低下や認知機能の衰えは、シナプスの機能不全と密接に関連しているため、GluDsを標的とした薬剤は認知症予防にも応用できる可能性があります。

ただし、科学的公正性の観点から付記すべき点があります。GluDsがイオンチャネルとして直接機能するかどうかについては、研究者間で議論が続いています。2024年のPNASに掲載された別の研究グループの論文では、GluDsが直接的なイオンチャネル活性を持つことに懐疑的な見解が示されています。今後、さらなる研究による検証が必要でしょう。

また、基礎研究から実際の治療薬開発までには、通常10年以上の歳月と多くの臨床試験が必要です。トゥーミー博士は製薬企業との協力を計画していますが、患者が恩恵を受けられるまでには相当な時間がかかることを理解しておく必要があります。

それでも、この研究は重要な一歩です。精神疾患や神経変性疾患の多くは、現在でも有効な治療法が限られています。GluDsという新たな創薬標的の発見は、これまで治療困難とされてきた疾患に対する新しいアプローチの可能性を開くものといえるでしょう。

【用語解説】

デルタ型イオンチャネル型グルタミン酸受容体(GluDs)
神経細胞の表面に存在するタンパク質で、GRID1遺伝子とGRID2遺伝子によってコードされる。GluD1とGluD2の2種類があり、他のグルタミン酸受容体と構造は似ているが、グルタミン酸には反応しないという特異な性質を持つ。シナプス形成や神経細胞間の情報伝達に関与する。

クライオ電子顕微鏡法
試料を急速冷凍して超低温状態で観察する電子顕微鏡技術。タンパク質の構造を原子レベルで解析できる。2017年のノーベル化学賞受賞技術であり、従来の結晶化が不要なため、より自然な状態でのタンパク質構造を観察できる。

イオンチャネル
細胞膜に存在する孔状のタンパク質構造で、ナトリウム、カリウム、カルシウムなどのイオンを選択的に通過させる。神経細胞の電気信号の発生と伝達に不可欠な役割を果たす。

小脳性運動失調症
小脳の機能障害により、運動の協調性やバランスが失われる神経疾患の総称。歩行障害、手の震え、言語障害などが主な症状。原因は脳卒中、外傷、腫瘍、遺伝性疾患など多岐にわたる。

オーファン受容体(孤児受容体)
構造上は受容体としての特徴を持つが、どの物質と結合して活性化するのか不明な受容体タンパク質の総称。内因性リガンド(結合物質)が発見されるまで「孤児」と呼ばれる。

d−セリン
アミノ酸の一種で、脳内に存在する神経伝達物質。NMDA型グルタミン酸受容体の共作動薬として機能し、記憶や学習に関与する。GluDsを活性化することが本研究で明らかになった。

GABA(γ-アミノ酪酸)
脳内の主要な抑制性神経伝達物質。神経細胞の興奮を抑え、リラックス効果をもたらす。不安障害やてんかんの治療薬の多くはGABA系に作用する。

シナプス
神経細胞同士が情報を伝達する接続部位。電気信号が化学信号に変換され、神経伝達物質を介して次の神経細胞に情報が伝わる。学習や記憶の形成に中心的な役割を果たす。

ゲノムワイド関連研究
多数の人のゲノム全体を調べ、特定の疾患や形質と関連する遺伝子変異を探索する研究手法。統計学的手法を用いて、疾患のリスク因子となる遺伝子を同定する。

小脳性運動失調症18型(SCAR18)
GRID2遺伝子の両アレル性変異によって引き起こされる常染色体劣性遺伝の希少疾患。乳幼児期から小脳性運動失調、発達遅延、眼球運動異常などが現れる。

【参考リンク】

Johns Hopkins Medicine(外部)
米国メリーランド州ボルチモアの世界有数の医療機関・研究機関で医学研究と臨床医療をリード

Nature(外部)
1869年創刊の国際的総合科学誌。世界最高峰の査読付き論文を掲載する

National Institutes of Health (NIH)(外部)
米国保健福祉省に属する政府機関で医学・生命科学研究への最大の公的資金提供者

PubMed – Delta-type glutamate receptors are ligand-gated ion channels(外部)
今回のニュースの基となったトゥーミー博士らの原著論文(Nature 2025年9月16日掲載)

【参考記事】

Delta-type glutamate receptors are ligand-gated ion channels | Nature(外部)
トゥーミー博士らによる原著論文。GluD2がd−セリンとGABAで活性化されるイオンチャネルであることを実証

Dormant no more: Brain protein’s hidden role may reshape psychiatric treatments(外部)
GluDsが休眠状態ではなく活性を持つタンパク質であることを解説した2025年9月19日の記事

GluD1 at the synaptic crossroads | Acta Pharmacologica Sinica(外部)
GRID1遺伝子変異が統合失調症、自閉症、双極性障害のリスク因子であることを解説した2025年12月のレビュー

GluD1, linked to schizophrenia, controls the burst firing of dopamine neurons(外部)
GRID1遺伝子変異と統合失調症の関連を解明した2017年のMolecular Psychiatry誌の論文

Lack of evidence for direct ligand-gated ion channel activity of GluD receptors | PNAS(外部)
GluDsが直接的なイオンチャネル活性を持つことに懐疑的な見解を示した2024年7月のPNAS論文

Homozygous GRID2 missense mutation predicts a shift in the D-serine binding domain of GluD2(外部)
GRID2遺伝子変異による小脳性運動失調症の症例報告。d−セリン結合領域の新規変異を同定(2017年)

Clinical features and rescue pharmacology of missense GRID1 and GRID2 human variants(外部)
GRID1およびGRID2の病的変異の機能解析。ペンタミジンが恒常的電流を抑制できることを実証

【編集部後記】

脳の中には、まだまだ私たちが知らない仕組みが数多く存在しています。今回ご紹介した研究は、30年近く謎だったタンパク質の機能が最新技術によってようやく明らかになったという、基礎科学の粘り強さを感じさせる成果です。統合失調症や運動失調症といった治療が難しい疾患に、新しいアプローチの可能性が開かれつつあります。

みなさんは、こうした基礎研究の成果が実際の治療薬として患者さんのもとに届くまで、どのようなプロセスが必要だと思われますか。脳科学の最前線では、今日もこうした地道な発見が積み重ねられています。

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Ami
テクノロジーは、もっと私たちの感性に寄り添えるはず。デザイナーとしての経験を活かし、テクノロジーが「美」と「暮らし」をどう豊かにデザインしていくのか、未来のシナリオを描きます。 2児の母として、家族の時間を豊かにするスマートホーム技術に注目する傍ら、実家の美容室のDXを考えるのが密かな楽しみ。読者の皆さんの毎日が、お気に入りのガジェットやサービスで、もっと心ときめくものになるような情報を届けたいです。もちろんMac派!

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