空を飛んだ「魚」
1965年8月31日、カリフォルニア州ヴァン・ナイズ空港から、航空史上最も奇妙な航空機が離陸しました。「スーパーグッピー」 と名付けられたその機体の膨らんだ胴体は、まるで魚のグッピーのよう。常識を覆す外観は、当時の航空関係者たちを驚かせました。
この異形の航空機は、アポロ計画を支える縁の下の力持ちでした。サターンVロケットの巨大な部品を、カリフォルニアからフロリダのケネディ宇宙センターへ運ぶために生まれた専用機。従来なら数週間かかる地上輸送を、わずか数時間に短縮しました。
異形は、なぜ必要だったのか。
月への挑戦が生んだ制約
1960年代初頭、ケネディ大統領が宣言した月面着陸計画は、アメリカの技術力を結集した国家プロジェクトでした。しかし、すぐに深刻な問題に直面します。サターンVロケットは全高110.6メートル、直径10.1メートル。各段は別々の工場で製造され、最終組み立て地点まで運ぶ必要がありました。
第一段はルイジアナ州で、第二段はカリフォルニア州で、第三段は別のカリフォルニアの工場で。地上輸送には時間がかかりすぎる。水路輸送は天候に左右される。空路しかない——しかし、既存の貨物機では部品が大きすぎて入らない。
1962年、ジャック・コンロイ率いるエアロ・スペースライン社は、ボーイング377の胴体を大幅に拡張した「プレグナントグッピー」を開発しました。しかし、貨物の積み下ろしに機体後部を切り離す必要があり、重量制限も厳しい。より高性能な後継機が求められました。
つぎはぎの傑作
1964年に開発が始まったスーパーグッピーは、既存技術の創意工夫による革新でした。機首部分全体が左に最大110度開くヒンジ機構で、積み下ろし効率を劇的に改善。全長43.1メートル、貨物室容積1,189立方メートル、最大積載重量24.5トン。
エンジンはP-3哨戒機から、プロペラはC-130輸送機から、コックピットはボーイング377から。限られた予算と時間で最大の性能を引き出すため、使えるものは何でも使う。冷戦期の技術開発らしい、実用主義の結晶でした。
1965年8月31日の初飛行は成功。1969年7月20日のアポロ11号月面着陸まで、スーパーグッピーはサターンVの部品を運び続けました。
大西洋を渡った技術
1970年代初頭、エアバスがスーパーグッピーに注目します。ヨーロッパ各国に分散する工場——フランス、ドイツ、イギリス、スペイン——で製造された部品を、トゥールーズの最終組み立て工場へ運ぶ。アメリカの月面着陸を支えた技術が、今度はヨーロッパの航空産業を支えます。
皮肉なことに、ボーイング377ベースのスーパーグッピーがエアバス機の部品を運ぶという構図。技術は、企業間の競争を超えて普及します。
1997年には年間1,400回、2,500時間の飛行を実現。2014年時点では週60回以上の飛行で、ヨーロッパ11カ所の工場を結びました。この高頻度運航により、分散型製造と集中型組み立ての効率的な統合が可能になりました。
ベルーガへの進化
1994年、エアバスは独自の超大型貨物機**「ベルーガ」**を開発します。A300-600をベースに、スーパーグッピーのコンセプトを現代技術で発展させた機体。貨物の積み下ろしは18人・1時間半から、わずか2人・45分へ。
容積約1,400立方メートル、最大積載重量47トン。動力付きローラーを備えた貨物搭載システムにより、外部設備への依存を大幅に削減しました。
2019年には**さらに大型の「ベルーガXL」**が就航。A330-200Fベースで、ベルーガSTより30%容積が拡大。A350 XWBの主翼を左右セットで輸送できる能力を持ちます。
受け継がれる遺産
2025年現在、NASAは今でもスーパーグッピー1機を運用しています。元の377として製造されてから半世紀以上。補修部品を再生品で賄いながら、新型ロケット「SLS」や次世代宇宙船「オリオン」の部品を運び続けています。
エアバスは2022年、退役するベルーガSTを活用した商業輸送サービス「エアバス・ベルーガ・トランスポート」を開始しました。ヘリコプター、人工衛星、大型海洋機器など、特大貨物の輸送需要に応えるため。2021年12月には、警察庁向けH225ヘリコプターを仏マルセイユから神戸空港まで輸送——22年ぶりの日本飛来でした。
ただし、このサービスは2025年1月に閉鎖が発表されました。想定したほど需要が伸びなかった。しかし、SpaceXのStarship、ブルー・オリジンのニュー・グレン、洋上風力発電設備など、超大型部品の輸送需要は別の形で拡大しています。
制約を超えて
1965年8月31日から60年。異形の航空機が示した「制約を技術で超越する」という思想は、その後の無数の革新に受け継がれました。
スーパーグッピーは、美しくありませんでした。しかし、機能を最優先した設計は、後世に重要な問いを残します。技術の価値は、何で測るべきなのか。
空に舞い上がった「魚」は、今も飛び続けています。
Information
参考リンク
用語解説
サターンV(Saturn V) アポロ計画で使用された3段式液体燃料ロケット。全高110.6メートル、総重量約2,900トン。人類史上最大のロケットの一つで、月面着陸ミッションを可能にした。
VAB(Vehicle Assembly Building / 垂直組立棟) ケネディ宇宙センターにある巨大な組立施設。高さ160メートル、世界最大級の単層建築物。ロケットを垂直に組み立てるために設計された。
ベルーガ(Beluga) シロイルカの英名。A300-600STの愛称として採用された。膨らんだ機首部分がシロイルカの頭部に似ていることから命名。
ターボプロップエンジン ジェットエンジンの排気ガスでプロペラを回す推進方式。ジェットエンジンの高出力とプロペラ機の燃費効率を兼ね備える。



































