1957年(昭和32年)1月29日。日本の第1次南極地域観測隊がオングル島に上陸し、その拠点を「昭和基地」と命名しました。 氷点下45度、風速60メートル。地球上で最も過酷なこの地は、現在、建築、通信、エネルギーといった様々なテクノロジーの実験場となっています。
中でも今回注目するのは、「食」のテクノロジーです。 現在、昭和基地には「グリーンルーム」と呼ばれる部屋があり、新鮮なレタスやトマトが収穫されています。しかし、そこに至る道は、隊員たちの生存本能と創意工夫(ハック)によるイノベーションの連続でした。
なぜ南極の野菜が「イノベーション」なのか。その原点と、火星移住計画へつながる未来を紐解きます。
極夜の「緑」への渇望と、最初のハック
1957年、開設間もない昭和基地。 窓の外は猛烈なブリザードが吹き荒れ、太陽の昇らない「極夜」が続いていました。
当時の隊員たちの食卓に並ぶのは、カチンカチンに凍った肉、乾燥野菜、そして缶詰ばかり。カロリー計算上は完璧で、栄養失調になることはありません。しかし、隊員たちの身体と心は、ある一つのものを強烈に求めていました。
「生の野菜を齧りたい」
シャキッという歯ごたえ、瑞々しい香り、そして生命の色である「緑」。 それは単なるビタミン不足という生理的欲求を超え、死の世界である南極において「人間らしくありたい」という尊厳の叫びでもありました。
しかし、農業の専門家などいません。外は氷の世界。土の持ち込みも制限されています。
当時の昭和基地では、実際に野菜栽培を「食料」として成立させるには、なお時間と試行錯誤が必要でした。
それでも隊員たちは、「この極限環境で、いつか緑を育てたい」という強い欲求と発想を抱き続けます。
基地建設資材や排熱、わずかな屋内空間といった限られたリソースを前に、
「どうすれば植物を育てられるか」というエンジニアリング的思考が、この時すでに芽生えていました。
記録に残る野菜栽培の試みは、基地開設の翌年以降、段階的に始まります。
豆もやしやカイワレ大根といった、生育が早く比較的条件に左右されにくい作物が選ばれ、
何度も失敗と改良を重ねながら、少量ながら「生の野菜」を口にできるようになっていきました。
南極の静かな基地の一角で、初めて芽吹いた白く細い新芽。
それは単なる食材ではなく、「この場所でも生命は育つ」という確かな手応えだったのです。
この試行錯誤の積み重ねは、地球上でありながら「地球外環境に最も近い場所」で行われた、
閉鎖・極限環境における食料生産の原初的プロトタイプだったと言えるでしょう。
※南極は地球上の環境ですが、
極端な低温、補給制限、隔絶された閉鎖空間という条件から、
宇宙開発分野では「地球外環境アナログ」として扱われています。

サバイバルから「完全制御システム」へ
時を経て、昭和基地の栽培技術は「砂の上のハック」から、高度なCEA(Controlled Environment Agriculture:完全閉鎖型環境農業)へと進化を遂げました。
現代の昭和基地における「グリーンルーム」は、まさにアグリテックの最前線です。
- 光のレシピ(Photonics): 極夜の時期でも、植物育成に特化したLEDが太陽の代わりを務めます。光合成に必要な赤と青の波長を最適化し、植物の体内時計すらコントロールする技術です。
- 資源の完全循環(Circular Economy): 昭和基地は「排水一滴すら外に出さない」ことが求められる世界。水耕栽培(ハイドロポニックス)の水は循環利用され、肥料の濃度もセンサーで管理されています。
- 自律的エコシステム: 隊員が吐き出す二酸化炭素を植物が吸収し、植物が出す酸素を隊員が吸う。これは、地球という惑星の生態系を、部屋一つ分のサイズに圧縮したミニチュアモデルそのものです。
機能としての「癒やし」
注目すべきは、この技術が単に「食料生産」のためだけにあるのではない点です。 これを「極限環境におけるUX(ユーザー体験)デザイン」として評価します。
白一色の氷の世界、閉鎖された居住空間。 その中で、日々成長し、鮮やかな緑を見せる植物の存在は、隊員のメンタルヘルス維持に劇的な効果をもたらしています(バイオフィリア効果)。
最新のグリーンルームは、単なる栽培室ではなく、隊員がコーヒーを飲みながら語り合う「憩いの場」としても機能しています。 「世話をする対象(植物)」がいることが、孤独感を和らげる。テクノロジーは効率だけでなく、人の心に寄り添うためにあることを、昭和基地の野菜たちは証明しています。
南極から月面、そして火星へ
1月29日、昭和基地が開設された日に始まった挑戦は、いま宇宙へ向かおうとしています。
JAXAやNASAが進める「月面農場」や「火星移住計画」。 そこで必要とされる技術要件――「閉鎖空間」「限られた水とエネルギー」「遠隔監視」「メンタルケアとしての農業」――は、昭和基地ですでに実証実験が繰り返されてきたものです。
昭和基地は、南極観測の拠点であると同時に、人類が惑星移住するための「プロトタイプ・シティ」でもあります。
もしあなたが今日、サラダを食べるなら、少し想像してみてください。 その一皿の向こう側に、氷点下45度の世界で「緑」を求め続けたイノベーターたちの歴史と、人類が星を渡って生きていく未来があることを。

【Information】
国立極地研究所 (NIPR)(外部)
日本の南極観測の中核機関です。昭和基地の最新状況や、観測隊員による「昭和基地NOW!!」などのブログで、現地の生活や栽培の様子(不定期)を確認することができます。
Space Foodsphere(スペースフードスフィア)(外部)
JAXA、国立極地研究所、民間企業などが参画する共創プログラムです。「地球と宇宙の食の課題を解決する」をテーマに、南極や月面での食料生産・資源循環システムの構築に取り組んでおり、本記事のテーマである「極地から宇宙へ」というビジョンを具現化している団体です。






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