JAXAと筑波大学は2026年3月16日、JAXA・NASA共同による低重力ミッションの成果を発表した。
ISSの「きぼう」日本実験棟に搭載された可変人工重力研究システム「MARS」を用い、マウスを微小重力・0.33G・0.67G・1Gの4種類の重力環境下で約1か月間飼育した。抗重力筋であるヒラメ筋の解析により、筋萎縮の抑制には0.33G、筋線維タイプおよび筋機能の維持には0.67Gが必要であることが判明した。
また、血液中の代謝物解析から、重力環境の違いを反映する11種類のバイオマーカー候補を同定した。本研究成果はJAXA・筑波大学・東北大学・ハーバード大学などの国際研究チームによるもので、学術誌『Science Advances』に2026年3月14日に掲載された。
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JAXA–NASA共同低重力ミッションが解き明かす、生体応答における重力依存性

【編集部解説】
この研究が世界的に注目される最大の理由は、「重力」という物理量と「生体機能の維持」という医学的問題を、複数の重力条件で比較しながらより具体的な閾値として示した点にあります。これまでの宇宙医学は「微小重力は体に悪い」という事実を積み上げてきましたが、今回の研究は「では、どれだけの重力があれば大丈夫なのか」という、より実践的な問いに対して0.33Gと0.67Gという具体的な数値を用いて、より詳細な知見を示しました。
実験に使われた装置「MARS」は、遠心力によって微小重力から1Gまでの人工重力を精密に再現できる世界唯一の装置です。マウス24匹が2023年3月、SpaceXのFalcon 9ロケット(CRS-27ミッション)でISSに打ち上げられ、約1か月間、4種類の重力条件下で飼育されました。この装置を持つのは日本だけであり、今回の成果はその独自性があってこそ生まれたものです。
研究では、筋量・筋機能の維持には少なくとも0.67Gが必要であることが示されました。JAXA発表では0.33Gを火星重力相当としており、この結果は、火星のような部分重力環境だけでは筋機能の維持に十分でない可能性を示唆しています。英語圏の報道でも、火星重力だけでは筋機能維持に十分でない可能性があると紹介されています。
もうひとつの重要な発見が、「筋量の維持」と「筋機能の維持」に必要な重力レベルが異なるという事実です。0.33Gでは筋萎縮の抑制がみられた一方で、筋線維タイプの維持や筋機能の保持には0.67Gが必要とされました。筋量の維持と筋機能・筋線維タイプの維持では、必要とされる重力レベルが異なる可能性が示されました。
血液バイオマーカーの発見も見逃せません。現在、ISS滞在中の宇宙飛行士は筋肉量を維持するために1日約2時間の運動を課されています。将来的に血液検査で重力環境の影響を把握できるようになれば、個人差に応じた対策の検討につながる可能性があります。
一方で、今回の研究はあくまでもマウスを対象としたものです。コネチカット大学の遺伝学者Se-Jin Lee氏が指摘するように、「この知見がヒトにどの程度適用できるか」は今後の研究が必要です。また実験に使われたのはオスのマウスのみであり、性差や年齢差は考慮されていません。
地上への応用という視点も重要です。宇宙での筋萎縮と加齢による筋力低下(サルコペニア)には共通する側面があるとされており、今回特定されたバイオマーカー候補や重力閾値に関する知見は、将来的に地上の筋力低下研究や予防医療の検討に役立つ可能性があります。宇宙医学が地球上の医療課題を解く鍵となる研究かもしれません。
【用語解説】
サルコペニア
加齢に伴う骨格筋量・筋力の低下を指す医学用語。宇宙環境では短期間で筋萎縮が進行するため、宇宙ステーションは加齢に伴う筋力低下の研究モデルとしても注目されている。
パーシャルG(部分重力)
地球の重力(1G)より小さい重力環境の総称。月面は約0.17G、火星表面は約0.38Gに相当する。本研究は、パーシャルGが生体に与える影響を複数の重力条件で定量的に評価したものである。
アルテミス計画
NASAが主導する有人月面探査プログラム。日本もJAXAを通じて参加しており、月面での長期滞在や火星探査に向けた前哨基地整備を目指している。今回の研究成果は、同計画における宇宙飛行士の健康管理を考えるうえでの基礎的な科学データとなる可能性がある。
JP-US OP3(Japan-U.S. Open Platform Partnership Program)
ISSの利用成果最大化を目的とした日米共同の宇宙実験連携枠組み。今回の低重力ミッションはこの枠組みのもとで実施された。
【参考リンク】
JAXA(宇宙航空研究開発機構)(外部)
日本の宇宙航空分野の研究開発を担う国立研究開発法人。「きぼう」の開発・運用をはじめロケット・衛星・宇宙探査まで展開。
JAXA 有人宇宙技術部門(Humans in Space)(外部)
JAXAの有人宇宙活動と「きぼう」利用を推進する部門の公式サイト。MARS装置の詳細や宇宙医学研究の最新成果を発信。
NASA(米国航空宇宙局)(外部)
米国の国家宇宙機関。アルテミス計画による有人月探査を主導し、今回の研究にも資金提供・共同実施機関として参画した。
筑波大学(外部)
責任著者の藤田諒准教授・高橋智教授が所属。宇宙医学・トランスボーダー医学研究センターでJAXAとの共同研究実績を持つ。
Science Advances(AAAS)(外部)
米国科学振興協会が発行するオープンアクセス学術誌。本研究論文が2026年3月14日に掲載された査読付きジャーナル。
【参考記事】
ISS study identifies thresholds for muscle atrophy and fiber changes in reduced gravity(外部)
Phys.org掲載。0.33Gでは筋萎縮の一部抑制がみられ、0.67Gでは筋機能低下の防止が示されたことを紹介した理系メディアの記事。
New Research on Muscle Loss Suggests Humans Will Really Suffer on Mars(外部)
Gizmodo掲載。ISS飛行士の日々の運動や0.67G閾値の意味を、専門家コメントを交えて解説した記事。
Scientists Have Just Discovered What Happens to Muscles in Space(外部)
Daily Galaxy掲載。共著者のHarvard大学Bouxsein教授コメントを軸に、火星移住リスクと運動対策の両面を論じた解説記事。
0.33g mitigates muscle atrophy while 0.67g preserves muscle function(Science Advances 原著論文)(外部)
本研究の原著論文。打上げ日・帰還日・飼育期間など一次情報の数値確認に使用した。
【編集部後記】
宇宙飛行士の話だと思っていたものが、実は加齢や寝たきりによる筋力低下とも地続きの問題だと知ると、少し見え方が変わってくる気がします。重力という、あまりにも当たり前すぎて意識したことのなかった力が、私たちの体をどれだけ支えているのか。
そしてこの研究を支えた装置「MARS」が、世界で唯一日本にある——その事実もまた、静かに誇らしい。火星に人が住む時代はもう遠い話ではないかもしれません。







































