NASAは4月2日打ち上げのアルテミス2ミッションで、オリオン宇宙船に初めて扉付きの個室トイレ(衛生ベイ)を搭載する。
乗員はNASAのリード・ワイズマン、ビクター・グローバー、クリスティナ・コック、カナダ人宇宙飛行士のジェレミー・ハンセンの4名で、10日間の月周回飛行を行う。
オリオンの居住容積は330立方フィート(9.34立方メートル)である。衛生ベイには、ISSで運用されているUWMSとほぼ同一設計のシステムが採用されており、尿は1日に数回宇宙空間へ放出され、固形廃棄物はキャニスターに収納して地球に持ち帰る。
衛生ベイは2022年のアルテミス1には搭載されていなかった。アポロ計画の宇宙飛行士はビニール袋とロールオン式カフで排泄処理を行っていた。
【編集部解説】
「宇宙トイレ」というテーマは、一見すると軽いネタのように映るかもしれません。しかし、この話題の背後には、人類が宇宙でいかに「人間らしく」生きるかという、宇宙開発の根本的な問いが潜んでいます。
アルテミス2は、1972年のアポロ17号以来、53年以上ぶりとなる有人月周回ミッションです。宇宙飛行士たちが10日間という長期にわたって狭い船内で過ごすにあたり、単なる「生命維持」を超えた「生活の質」の確保が、ミッション成功の重要な要素として認識されるようになりました。扉付きの個室トイレは、その象徴的な存在です。
アポロ計画の宇宙飛行士たちは、マーキュリー計画、ジェミニ計画の時代から一貫して、トイレのない環境で宇宙に旅立っていました。NASAの公式資料によれば、当時は排尿用のオムツや袋、固形廃棄物は殺菌剤と混ぜた袋で対処していたとされています。プライバシーも、男女の配慮も、ほぼ存在しなかったのが実態でした。
今回のオリオン宇宙船に搭載されたUWMSは、こうした歴史を大きく塗り替える存在です。特筆すべきは「Universal(ユニバーサル)」という名称が示す通り、異なる宇宙機やシステムへの汎用的な統合を前提に設計されている点です。ISSに搭載されたUWMSは、現行ISSトイレと比較して65%の小型化と40%の軽量化を達成しており、オリオン搭載版はスペースシャトル時代のトイレと比較して61%小型化されています。
また、今回のミッションで特に重要な意義を持つのが、ジェンダー対応の進化です。アポロ計画が全員男性のクルーを前提として設計されていたのに対し、アルテミス2にはクリスティナ・コックという女性宇宙飛行士が参加します。UWMSは男女どちらにも対応した専用ファンネル(漏斗)を備えており、これは宇宙開発における多様性の実装が、設計レベルにまで浸透していることを示しています。
長期的な視点で見ると、このシステムはさらに大きな野心を秘めています。ISSのUWMSは尿を再生処理して飲料水に変換しており、NASAはその回収率を2020年時点の約90%から将来的には98%へ引き上げることを目標としています。将来の火星ミッションでは往復に約2年を要し、補給の機会はほとんどありません。水の再生・循環技術は、そうした長期深宇宙ミッションの実現可能性を左右する死活問題であり、アルテミス2はその技術実証の重要な一歩でもあります。
一方で、懸念がまったくないわけではありません。NASAの技術文書によれば、UWMSには圧力センサー回路の不具合による起動失敗の可能性が以前から認識されており、その改善作業は打ち上げ直前まで続けられてきました。バックアップとして故障時に使える尿収集バッグ(contingency urinals)が用意されているのも、こうした技術的リスクへの現実的な対処の表れです。今回がオリオン衛生ベイにとって初の実際の宇宙飛行であることを踏まえれば、実環境でのデータ取得が今後のアルテミス3以降の設計改良に直結します。
宇宙探査の歴史において、「人間が長く宇宙に滞在できるか」という問いへの答えは、ロケットエンジンや推進システムだけでなく、こうした「生活インフラ」の成熟度によっても規定されます。アルテミス2の衛生ベイは、月面着陸、そして将来の火星有人飛行へ向けた、静かながらも確かな一歩と言えるでしょう。
【用語解説】
UWMS(Universal Waste Management System)
NASAが開発した宇宙用廃棄物管理システムの総称である。「ユニバーサル(汎用)」という名称が示す通り、ISS・オリオン宇宙船など異なる宇宙機への統合を前提に設計されている。男女両方に対応した設計が特徴だ。
衛生ベイ(hygiene bay)
オリオン宇宙船においてNASAがトイレを含む衛生設備エリアに付けた呼称である。扉とプライバシーカーテンを備え、歯ブラシや石鹸などの個人衛生用品の収納スペースも設けられている。
マーキュリー計画・ジェミニ計画
それぞれ1958〜1963年、1961〜1966年にNASAが実施した初期有人宇宙飛行プログラムである。いずれもトイレ設備は存在せず、宇宙飛行士はオムツや袋で排泄を処理していた。
【参考リンク】
NASA(米国航空宇宙局)公式サイト(外部)
アルテミス計画を主導する米国の宇宙機関。オリオン宇宙船やSLSロケットの開発・運用情報を公開している。
Lockheed Martin 公式サイト(外部)
NASAの委託を受けてオリオン宇宙船を設計・製造した米国の航空宇宙・防衛企業の公式サイト。
International Space Station(ISS)- NASA公式ページ(外部)
UWMSの先行運用実績を持つ国際宇宙ステーションの公式情報ページ。生命維持システムの詳細を公開。
Canadian Space Agency(CSA)アルテミス2ミッションページ(外部)
カナダ宇宙庁によるアルテミス2の公式ページ。ハンセン宇宙飛行士のヴログシリーズも公開されている。
【参考動画】
【参考記事】
NASA Exploration Toilet Hardware Technical Challenges(NASA技術論文)(外部)
ISS版65%小型・40%軽量化、オリオン版61%小型化など、UWMSの数値と改良経緯を詳述した公式技術論文。
Boldly Go! NASA’s New Space Toilet Offers More Comfort, Improved Efficiency for Deep Space Missions(NASA公式)(外部)
UWMSの設計思想と将来の火星ミッションへの展開、水再生率98%目標を解説するNASA公式記事。
Life Encapsulated: Inside NASA’s Orion for Artemis II Moon Mission(NASA公式)(外部)
居住容積330立方フィートや衛生ベイの構成など、オリオン船内の生活インフラ全体を紹介するNASA公式記事。
NASA Universal Waste Management System and Toilet Integration Hardware Operations on ISS(NASA技術報告)(外部)
ISS上でのUWMS運用実績と臭気フィルター容量問題など、アルテミス2前に洗い出された課題を詳述した技術報告。
A Quick Guide To America’s Latest Space Toilet(The Autopian)(外部)
シャトル時代からISS・オリオンへのUWMS技術系譜を、エンジニアリング視点でわかりやすく整理した専門メディアの解説記事。
【編集部後記】
宇宙飛行士が53年以上ぶりに月へ旅立とうとしているこの瞬間、私たちが気になったのは「トイレ」でした。壮大なミッションの傍らにある、ひどく人間的なこの問いに、みなさんはどんな感想を持ちましたか?
宇宙での「生活」を想像したとき、あなたが一番気になることを、ぜひSNSで共有してみてください。







































