国際刑事裁判所(ICC)は、Microsoft Officeからドイツのオープンソースオフィススイート「openDesk」への移行を決定した。openDeskはドイツ連邦内務省を代表してデジタル主権センター(ZenDiS)が提供している。
この決定は、米国テクノロジーへの依存に対する欧州の懸念が高まる中で行われた。トランプ大統領は2025年2月、ガザでの戦争犯罪容疑でイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相に対する逮捕状をめぐり、ICC当局者に制裁を科す大統領令に署名した。
ICCのカリム・カーン主任検察官はMicrosoftの電子メールアカウントへのアクセスを失ったと報じられている。Microsoftのブラッド・スミス社長はサービスの停止を否定した。ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州は2025年10月に4万アカウントのMicrosoftからLinuxとLibreOfficeへの移行を完了した。
From:
International Criminal Court dumps Microsoft Office – The Register
【編集部解説】
このニュースは、単なるソフトウェアの乗り換えではなく、国際司法機関が直面した「デジタル主権」の危機を象徴する出来事です。
ICCの決定の背景には、2025年2月にトランプ政権がICC当局者に制裁を科した一連の出来事があります。ガザでの戦争犯罪容疑でネタニヤフ首相らに逮捕状を発行したことへの報復として、カリム・カーン主任検察官がMicrosoftメールアカウントへのアクセスを失い、銀行口座も凍結されました。さらに6月には4名のICC判事に対しても制裁が追加され、米国への入国禁止や資産凍結が実施されています。
ここで重要なのは、米国クラウド法の存在です。この法律は、米国企業が世界のどこにデータを保管していても、米国政府の要請があれば開示を強制できるという仕組みになっています。つまり、欧州の組織が米国企業のサービスを使う限り、データ主権を完全に守ることは構造的に不可能なのです。
欧州では現在、公的機関を中心に「脱米国テクノロジー」の動きが加速しています。ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州は4万アカウントの移行を完了し、デンマークの政府機関やフランスのリヨン市も同様の決断をしました。調査によれば、欧州の上場企業の74%以上が米国のテクノロジーサービスに依存しているという現実があります。
openDeskは、ドイツ政府が主導するデジタル主権センター(ZenDiS)が開発したもので、Nextcloud、Open-Xchange、Jitsi Meetなど、欧州に拠点を持つ8つのオープンソースソフトウェアを統合した公共機関向けスイートです。ICCの職員数は約1,800人と規模は小さいものの、国際司法機関がこの選択をしたという地政学的な意味は極めて大きいと専門家は指摘しています。
今回の事例が示すのは、技術的な選択が政治的な独立性に直結する時代に入ったという事実です。クラウドサービスやメールアカウントといった日常的なツールが、外交圧力の手段として機能しうる現実に、欧州は本格的な対応を迫られています。
【用語解説】
国際刑事裁判所(ICC)
オランダのハーグに本部を置く常設の国際司法機関。集団殺害犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪などを裁く権限を持つ。2002年に設立され、約1,800人の職員を擁する。
米国クラウド法(US Cloud Act)
2018年に米国で制定された法律。米国企業が保有するデータに対し、データの保存場所に関係なく米国政府が開示を要求できる権限を定めている。欧州のデータ主権を脅かす要因として議論されている。
ZenDiS(デジタル主権センター)
ドイツ連邦内務省が設立した組織。公共機関向けにオープンソースソフトウェアの開発と提供を行い、デジタル主権の確保を目指している。
【参考リンク】
openDesk公式サイト(外部)
ドイツ政府主導の公共機関向けオープンソースオフィススイート。欧州ベースの8つのツールを統合しデータ主権を重視した設計
国際刑事裁判所(ICC)公式サイト(外部)
ハーグに本部を置く国際司法機関の公式サイト。戦争犯罪や人道に対する犯罪を扱う裁判所の活動や判例を提供
Nextcloud(外部)
openDeskの中核を成すドイツ発のオープンソースクラウドプラットフォーム。データの完全なコントロールとプライバシー保護を重視
LibreOffice公式サイト(外部)
Document Foundation開発の無料オープンソースオフィススイート。Microsoft Officeの代替として欧州公共機関で広く採用
【参考記事】
International Criminal Court Adopts German Software to Enhance Digital Sovereignty(外部)
ICCがデジタル主権強化のためドイツ製ソフトopenDeskを採用。国際司法機関の独立性確保の地政学的重要性を分析
International Criminal Court drops Microsoft for open source(外部)
ICCの約1,800人の職員がMicrosoftからオープンソースへ移行。openDeskの8つの欧州ベースツール統合を詳述
Trump’s retaliatory sanctions over Netanyahu arrest warrant halt work of ICC(外部)
2025年2月のトランプ政権ICC制裁の詳細。カーン主任検察官のアカウント喪失や銀行口座凍結など業務への影響を記述
US sanctions four ICC judges, Netanyahu thanks Trump(外部)
2025年6月に米国が4名のICC判事に追加制裁。入国禁止と資産凍結を実施しネタニヤフ首相がトランプ大統領に謝意
Europe’s tech sovereignty watch(外部)
欧州上場企業の74%以上が米国テクノロジーサービスに依存という調査結果。欧州デジタル主権確保の動きと課題を分析
【編集部後記】
私たちが日々使うメールやクラウドサービスが、実は地政学的な圧力の道具になりうる——今回のニュースは、そんな現実を突きつけています。日本の企業や公的機関も同じ課題に直面していると言えるのではないでしょうか。
デジタル庁も「ベンダーロックイン予防」の観点からオープンソースソフトウェアの活用を調達要件に求める方針を示しています。皆さんの組織では、データ主権やデジタル独立性についてどのような議論がなされているでしょうか。この機会に、普段使っているサービスの「依存先」について考えてみませんか。
























