Atom Computingは、中性原子を用いた量子プロセッサで多数の量子ビットを動作させるための多段階のエラー管理手法を報告した。これには補助量子ビットを用いた回路途中測定での原子損失の低減と、補助原子の再利用が含まれる。また、磁気光学トラップから計算用レジスターへ原子を補充しつつ、既存原子の量子状態を保つことにも成功した。
実験では2つの基底状態を持つイッテルビウム原子を用い、1つの量子ビット状態だけに光を散乱させる既存手法を活用した。測定原子を計算レジスターから物理的に離し、共鳴波長をずらす設計によりレーザーの悪影響を抑え、測定済み原子の再冷却と再利用、さらにツイーザーアレイの300 mm下の磁気光学トラップからの非破壊的補充を実証した。ハーバード大学のミハイル・ルーキンは、ルビジウム原子と別方式を用いる自身の研究と違いを認めつつ、この成果をYb量子コンピューティングプラットフォームにおける重要な技術的前進と評価し、2025年の中性原子量子コンピューティングコミュニティの進歩を補完するものだと述べた。
研究成果はPhysical Review Xに掲載された。
From:
Qubit ‘recycling’ gives neutral-atom quantum computing a boost
【編集部解説】
量子コンピューターの実用化にとって、エラー訂正は避けて通れないテーマです。とくに中性原子を使う方式では、「測定した瞬間に原子ごと失う」という宿命的な問題がありました。Atom Computingの今回の成果は、この”使い捨て”モデルから「減らす・再利用する・補充する」という循環型の運用へと発想を転換した点に意味があります。
今回のシステムは、イッテルビウム原子を光ピンセットで複数ゾーンに分けて配置し、計算に使うレジスター、エラー検出用の補助原子ゾーン、ストレージやローディングのゾーンといった役割分担を行っています。測定が必要な原子は一度レジスターから物理的に遠ざけ、共鳴しない波長のレーザーで読み出しと冷却を行うことで、周囲の量子状態を壊さずに扱えるようにしています。
重要なのは、測定後に補助原子を「再冷却して元の仕事に復帰させる」ことと、ツイーザーアレイの約300 mm下に置いた磁気光学トラップから不足分を継ぎ足せることです。これにより、計算途中で原子が脱落しても都度補充しながら、41回にわたるエラー検出ラウンドを安定して回せることが示されています。従来なら、原子が減るたびに計算そのものを諦めざるを得なかった状況から一歩抜け出したかたちです。
この技術が成熟すると、量子誤り訂正コードを複数ラウンド重ねて走らせる「フォールトトレラント」な運用に近づきます。実際には、まだ大規模商用マシンにそのまま載せられる段階ではなく、原子数・エラー率・制御の複雑さなど乗り越えるべき壁は残っています。それでも、論文で示されたような連続的なリサイクル機構は、中性原子プラットフォームが長時間・大規模なアルゴリズムに耐えうるかどうかを占う試金石になりつつあります。
また、中性原子の陣営の中では、ハーバード大学のミハイル・ルーキンらがルビジウム原子と別方式の測定で類似の課題に取り組んでおり、Atom ComputingのYbベースの成果は、その流れを補完する位置づけにあります。異なる物理実装同士が「どれだけ効率よくリサイクルしながらエラーを抑えられるか」を競い始めたという構図は、将来の標準アーキテクチャ選びにも影響していくはずです。
このニュースは「量子コンピューターは魔法の箱ではなく、部品が抜けても自分で付け替えながら走りつづける機械へ進化しつつある」という変化を示しています。近い将来、金融や材料探索、暗号解析などの応用で「長時間止まらず動き続ける量子バックエンド」が求められるとき、今回のようなリサイクル技術が静かに土台を支えている可能性が高いと考えられます。
【用語解説】
中性原子量子コンピューティング
電荷を持たない中性原子を光ピンセット(レーザー光)で捕捉し、量子ビットとして利用する方式。超伝導方式などに比べ、原子同士を密に配置でき、長いコヒーレンス時間を持つ利点がある。
量子ビット(キュービット)
量子コンピューターの情報単位。0と1を同時に保持する「重ね合わせ」状態や、複数ビットが相関する「エンタングルメント」により、古典ビットを超える計算能力を発揮する。
補助量子ビット(アンシラリークビット)
計算本体には直接使わず、エラーの検出や訂正のために専用で割り当てられる量子ビット。測定後に廃棄されることが多かったが、今回の研究では再利用が可能になった。
回路途中測定(ミッドサーキット測定)
量子回路の実行中に一部の量子ビットを測定し、結果に応じて後続の操作を変える手法。エラー訂正では不可欠だが、測定が破壊的になりやすい課題があった。
磁気光学トラップ(MOT)
レーザー光と磁場を組み合わせて原子を空中に捕獲・冷却する装置。今回の研究では、計算用レジスターへ原子を継ぎ足すための”貯蔵庫”として機能した。
ツイーザーアレイ
レーザー光を焦点に絞った「光ピンセット」を多数並べたもの。個々の中性原子を任意の位置に配置し、独立に制御できるため、大規模な量子プロセッサの実現に適している。
フォールトトレラント
エラーが発生しても計算全体が破綻せず、訂正しながら正しい結果を出し続ける性質。実用的な量子コンピューターには不可欠とされる。
イッテルビウム(Yb)原子
原子番号70の希土類元素。2つの安定した基底状態を持ち、遷移が弱いため量子ビットとして扱いやすく、中性原子量子コンピューターで広く研究されている。
【参考リンク】
Atom Computing(外部)
米国の中性原子量子コンピューター企業。1,200量子ビット超のマシンを実現している。
Physical Review X(外部)
アメリカ物理学会発行のオープンアクセス学術誌。今回の研究も掲載。
Microsoft Quantum(外部)
マイクロソフトの量子コンピューティングプラットフォーム。Atom Computingと提携。
【参考記事】
Scientists build a quantum computer that can repair itself with recycled atoms(外部)
中性原子量子コンピューターが計算中に原子を補充し自己修復する仕組みを解説。
Quantum Computer Recycles Its Atomic Qubits(外部)
アメリカ物理学会による解説記事。補助原子の再利用を評価している。
Qubit Recycling Boosts Neutral-Atom Quantum Computing(外部)
イッテルビウム原子の選択的測定とゾーン設計を詳述した技術解説。
A fault-tolerant neutral-atom architecture for universal quantum computation(外部)
中性原子でフォールトトレラント量子計算を実現するアーキテクチャを提案。
【編集部後記】
量子コンピューターというと、つい「何でもできる魔法の箱」のように思えてしまいますが、実際には原子が抜けたり、測定のたびに壊れたりと、想像以上に繊細な装置です。今回のAtom Computingの研究は、その壊れやすさを「リサイクル」という発想で乗り越えようとしています。
みなさんは、こうした地道な技術改良が積み重なった先に、どんな応用が生まれると思いますか? 金融計算、創薬、暗号解読など、さまざまな分野で量子コンピューターの名前を耳にしますが、実用化の鍵を握るのは案外こうした「原子をどう使い回すか」という細部なのかもしれません。































