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Neuralink被験者第1号が語る23ヶ月の軌跡:思考制御から二重埋め込みへ、自立を取り戻す旅

 - innovaTopia - (イノベトピア)

2016年のダイビング事故で肩から下が麻痺したノーランド・アーボー氏は、2024年1月28日にイーロン・マスク傘下のNeuralinkのブレイン・コンピューター・インターフェースチップを埋め込む手術を受け、被験者第1号となった。

23ヶ月が経過した現在、彼は「イブ」と名付けたコインサイズのデバイスで思考によりコンピューターを操作し、独立した生活を取り戻しつつある。

Neuralinkの技術は進化を続け、単一電極ワイヤーの埋め込み時間は17秒から1.5秒に短縮された。現在1万人以上が埋め込みを待機しているが、2025年末までに手術を完了するのはわずか20人と推定される。

アーボー氏は世界初の二重埋め込み患者になる可能性があり、Neuralinkは2029年にTelepathyデバイスの規制承認を目指し、その後年間約2,000件の埋め込みで1億ドル以上の収益を見込む。

アーボー氏はインタビューで、初めて思考だけでカーソルを動かした瞬間の衝撃や、家族の負担から90%の自立に向かう変化、そしてブレイン・コンピューター・インターフェースは人間性ではなく人間の潜在能力に革命をもたらすという見解を語った。

From: 文献リンクInterview with the “First Subject” of Musk’s Brain-Computer Interface: 23 Months After Having a Chip Implanted in My Brain, I’m Reclaiming My Independence

【編集部解説】

ノーランド・アーボー氏の23ヶ月にわたる体験は、ブレイン・コンピューター・インターフェース(BCI)技術が研究室の段階を超え、実際の人間の生活を変革する段階に入ったことを示す歴史的な証言です。

最も注目すべきは、彼が語る「想像上の動作」による制御の実現です。最初は右手を動かそうと「試みる」ことで脳の運動皮質が活性化し、それをNeuralinkが読み取ってカーソルを動かしていました。しかし現在では、体のどの部分も動かそうとせず、純粋に「想像」するだけで操作が可能になっています。これは、BCIが身体の動きの代替手段から、思考そのものを直接デジタル世界に翻訳する新しいインターフェースへと進化したことを意味します。

技術面では、Neuralinkは急速な進化を遂げています。手術ロボットR1による電極ワイヤーの埋め込み時間は、わずか数ヶ月で17秒から1.5秒へと劇的に短縮されました。これは単なる速度向上ではなく、手術時間の短縮による患者の身体的負担軽減、そして将来的な大規模展開への道を開くものです。現在1万人以上が埋め込みを待機している中、2025年末までに完了する手術はわずか20件程度と推定されており、慎重な段階的展開が続いています。

興味深いのは、手術直後に発生した技術的課題への対応です。アーボー氏の場合、埋め込まれた電極スレッドの最大85%が脳組織から引き抜けてしまうという深刻な問題が発生しました。脳が予想の3倍も動いたことが原因でした。しかしNeuralinkは追加手術ではなく、ソフトウェアアップデートによって問題を解決し、むしろ以前よりも高いパフォーマンスを実現しました。この柔軟性は、ハードウェアとソフトウェアの高度な統合がもたらす利点を示しています。

2025年9月時点で、Neuralinkは12人の被験者を抱え、累計15,000時間以上の使用実績を積んでいます。臨床試験はアメリカ、カナダ、イギリス、UAEへと拡大中で、カナダでは2人の患者が手術後数分でカーソル制御に成功したと報告されています。第2号患者以降は、アーボー氏が経験したスレッド引き抜けの問題を回避するため、脳の動きを抑制し、埋め込み位置を脳表面により近くするなどの改良が加えられています。

ビジネス面では、Neuralinkは2029年にTelepathyデバイスのFDA承認を見込んでおり、年間2,000件の埋め込み手術で1億ドルの収益を予測しています。2030年には視覚回復を目指すBlindsightを開始し、年間1万件の手術で5億ドル以上を見込み、2031年には年間収益10億ドル、2万件の埋め込みを目標としています。企業価値は2025年6月時点で約90億ドルに達し、総調達額は13億ドルを超えています。

アーボー氏は近い将来、世界初の「二重埋め込み」患者となる可能性があります。これは脳に1つ、脊髄損傷部位の下に1つのデバイスを埋め込み、両者を連携させることで脚の動きの回復を目指すものです。これが実現すれば、BCIは単なるデジタル制御から、実際の身体機能回復へと応用範囲を大きく広げることになります。

倫理的な観点からは、アーボー氏の言葉が重要な示唆を与えています。「BCIは人間性を再定義するものではなく、人間の潜在能力に革命をもたらすもの」という彼の見解は、技術の治療的応用と人間強化の境界線に関する議論の出発点となるでしょう。反応速度の向上や認知機能の強化については肯定的ですが、DNA操作については慎重な姿勢を示しています。

Neuralinkは、音声回復デバイスとBlindsight(視覚回復デバイス)でFDAから「ブレークスルーデバイス」指定を受けており、規制当局からも技術の潜在的価値が認められています。しかし、動物実験での倫理的問題、透明性の欠如、プライバシーとデータセキュリティに関する懸念など、克服すべき課題も少なくありません。

この技術が本当に人類の歴史を変えるものとなるか、それとも限られた用途にとどまるのか。アーボー氏の23ヶ月間の体験は、まだ始まりに過ぎません。

【用語解説】

ブレイン・コンピューター・インターフェース(BCI)
脳神経活動を記録し、それをコンピューターやロボットなどの外部デバイスの制御信号に変換する技術。侵襲型と非侵襲型があり、Neuralinkは脳に直接電極を埋め込む侵襲型を採用している。

運動皮質
大脳皮質の一部で、随意運動を制御する脳領域。Neuralinkのデバイスは、右手の動きを制御する左半球の運動皮質に埋め込まれている。

スレッド引き抜け(Thread Retraction)
脳組織に埋め込まれた電極スレッドが、脳の動きなどにより引き抜けてしまう現象。アーボー氏の場合、埋め込まれたスレッドの最大85%が引き抜けたが、ソフトウェア更新で対応した。

Telepathy
Neuralinkが開発中のBCIデバイスの製品名。麻痺患者が思考だけでコンピューターやスマートフォンを制御できるようにすることを目的としている。2029年のFDA承認を目指している。

Blindsight
Neuralinkが開発中の視覚回復を目指すBCIデバイス。視覚皮質が損傷していない失明患者の視力を回復させることを目標としており、FDAからブレークスルーデバイス指定を受けている。

R1ロボット
Neuralinkが開発した手術用ロボット。髪の毛よりも細い電極スレッドを、血管を避けながら正確に脳組織に埋め込む。最新バージョンでは1本のスレッド挿入時間が1.5秒まで短縮された。

【参考リンク】

Neuralink(外部)
イーロン・マスク氏が設立したブレイン・コンピューター・インターフェース企業の公式サイト。臨床試験情報や技術詳細を掲載

Neuralink Clinical Trials(外部)
Neuralinkの臨床試験PRIMEスタディの応募情報。四肢麻痺やALS患者向けの試験参加条件などを掲載

Barrow Neurological Institute(外部)
アーボー氏の手術を実施した神経疾患の治療・研究機関。アリゾナ州フェニックスに所在

【参考記事】

Neuralink’s First User Describes Life with Elon Musk’s Brain Chip(外部)
Scientific American誌によるアーボー氏へのインタビュー記事。BCIの仕組みや使用感を詳述

Neuralink’s first study participant says his whole life has changed(外部)
Fortune誌による長期追跡記事。手術から18ヶ月後の状況、学業復帰や起業の詳細を報告

Neuralink targets $1bn revenue by 2031(外部)
Medical Device Networkによる事業計画の詳細報道。2029年FDA承認予定、収益目標を掲載

Neuralink New Robot Inserts Brain Threads in 1.5 Seconds(外部)
最新の手術ロボット技術の進化を報告。電極挿入時間の17秒から1.5秒への短縮を詳述

Noland Arbaugh Seeks Second Neuralink Implant(外部)
アーボー氏の二重埋め込み計画を報告。脳と脊髄への2箇所埋め込みで脚の動き回復を目指す

Neuralink brain chip implanted into 2 quadriplegic Canadian patients(外部)
カナダでの初の臨床試験を報告。2人の患者が手術後数分でカーソル制御に成功したと詳述

Neuralink – Wikipedia(外部)
Neuralinkの歴史、技術詳細、臨床試験の進捗、倫理的課題を網羅的に解説した百科事典記事

【編集部後記】

ノーランド・アーボー氏の体験は、テクノロジーが人間の可能性をどこまで拡張できるのかという、私たち全員が向き合うべき問いを突きつけています。彼が「想像するだけ」でデジタル世界を操作できるようになった瞬間、それは単なる医療技術の進歩を超えて、人間と機械の関係性そのものが変わり始めた瞬間だったのかもしれません。

一方で、この技術には慎重に検討すべき側面も多くあります。プライバシー、データセキュリティ、そして「治療」と「強化」の境界線など、技術的な進歩と並行して考えるべき倫理的な課題が山積しています。みなさんは、この技術の未来をどう捉えますか?思考を直接デジタル化できる世界は、私たちにとって希望でしょうか、それとも新たな懸念でしょうか?ぜひご意見をお聞かせください。

投稿者アバター
Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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