2029年4月13日、あなたは夜空を見上げて肉眼でゆっくりと動く小惑星を目撃することになる。数千年に一度、人類が経験するこの歴史的瞬間に向けて、ESAとJAXAが協力する惑星防衛ミッション「ラムセス」が正式に承認された。
2025年11月末、欧州宇宙機関(ESA)の閣僚理事会がブレーメンで開催され、小惑星アポフィス観測のためのラムセス・ミッション(Ramses: Rapid Apophis Mission for SpacE Safety)の打ち上げが承認された。2029年4月13日、直径約375メートルの小惑星アポフィスが地球から32,000キロメートル以内、月までの距離の約10パーセントまで接近する。ラムセスはこのフライバイ中にアポフィスに同行し、地球の重力が小惑星に与える影響を研究する。
ミッションはJAXAとのパートナーシップで、JAXAは種子島宇宙センターからH3ロケットで宇宙機を打ち上げ、熱赤外線イメージャーと柔軟な太陽電池パネルを提供する。また、JAXA DESTINY+ミッションも同じH3ロケットで打ち上げられ、ラムセス到着前にアポフィスのフライバイを実施する予定である。
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Look up: ESA and JAXA to launch the Ramses mission to observe Apophis
【編集部解説】
2029年4月13日に訪れる小惑星アポフィスの地球接近は、単なる天体ショーではありません。これは惑星防衛技術の「実地演習」であり、人類が小惑星衝突という潜在的脅威に備えるための、数千年に一度の機会なのです。
アポフィスは2004年の発見当初、2029年に地球へ衝突する確率が2.7パーセントと推定され、トリノスケールでレベル4という史上最高の危険度評価を受けました。その後の精密な観測により、2021年3月に今後100年間の衝突リスクが完全に排除されましたが、この小惑星が人類に与えた「警告」の価値は計り知れません。
今回のラムセス・ミッション承認が持つ意義は、ESAとJAXAという2つの宇宙機関の協力関係にあります。記事で紹介されているパトリック・ミシェル氏の言葉が象徴的です。「専門知識が単に重複しているだけなら、協力はただのお金の問題になる」。真の国際協力とは、異なる専門性を持ち寄ることで、単独では達成できない成果を生み出すことなのです。
JAXAがこのミッションで重要なパートナーとして選ばれた背景には、はやぶさ2の圧倒的な成果があります。2019年4月、はやぶさ2は世界で初めて小惑星への人工クレーター生成に成功し、地下物質のサンプル採取を実現しました。この時の経験から得られた知見、特に「低重力環境での小惑星の反応は予測が困難である」という教訓が、今回のラムセス・ミッションの科学的根拠となっています。
ラムセスは2028年4月に打ち上げられ、2029年2月にアポフィスへ到着します。地球接近の2カ月前から観測を開始し、地球の重力が小惑星にどのような物理的変化をもたらすかを詳細に記録します。潮汐力による表面の変形、可能性のある地滑り、内部構造の変化など、これらのデータは将来的に地球に衝突する可能性のある小惑星を偏向させる技術開発に不可欠な情報となります。
興味深いのは、このミッションに同乗するJAXAのDESTINY+プロジェクトの存在です。当初は小型のイプシロンSロケットでの打ち上げを予定していましたが、地上試験の失敗により延期されました。しかし、H3ロケットでの打ち上げに変更されたことで、ラムセス到着前にアポフィスの最初の宇宙画像を送り返すという、より価値の高いミッションへと進化しています。
また、NASAのOSIRIS-APEX(旧OSIRIS-REx)も2029年の地球接近後にアポフィスへ向かう予定です。つまり、ESA、JAXA、NASAという世界三大宇宙機関が、一つの小惑星を多角的に観測する史上初の国際共同研究が実現するのです。
ミシェル氏が強調する「粘り強さ」も重要なメッセージです。ESAの小惑星防衛ミッションは、20年前のドン・キホーテ構想、2016年に却下されたAIM、そして2019年に承認されたヘラと、幾度もの失敗を経て今日に至っています。ヘラは2024年に予定通り打ち上げられ、予算内に収まったという実績が、ラムセスの承認を後押ししました。
惑星防衛という分野は、まだ発展途上です。私たちは理論上、小惑星を偏向させる技術を持っていますが、実際の天体でそれを試す機会はほとんどありません。2022年のNASA DARTミッションによる小惑星ディモルフォスへの衝突実験は成功しましたが、あれは人為的な実験でした。アポフィスの場合、自然が実験を行い、私たちはその結果を観察するだけです。
2029年4月13日、アフリカ、ヨーロッパ、西アジアの数十億人の人々が、肉眼でアポフィスを観測できます。北斗七星の星と同じくらいの明るさで、夜空をゆっくりと移動する様子が見えるでしょう。その時、宇宙空間では複数の国際ミッションが協力してこの歴史的瞬間を記録し、人類の未来を守るためのデータを収集しています。これは科学と同じくらい、国際協力という人類の可能性を示すメッセージでもあるのです。
【用語解説】
小惑星アポフィス(99942 Apophis)
直径約340-375メートルのS型(岩石質)小惑星。2004年の発見当初は2029年に地球へ衝突する可能性が懸念されたが、2021年の精密観測により今後100年間の衝突リスクは完全に排除された。名称はエジプト神話の混沌の神アポフィスに由来する。
惑星防衛(Planetary Defence)
地球に衝突する可能性のある小惑星や彗星などの天体を早期発見し、必要に応じて軌道を変更するなどの対策を講じる取り組み。ESAやNASAが主導する国際的な科学・技術プロジェクト。
トリノスケール
小惑星や彗星の地球衝突リスクを0から10の11段階で評価する指標。アポフィスは発見当初、史上最高のレベル4を記録した。現在は0(脅威なし)に分類されている。
運動学的偏向技術(Kinetic Deflection)
宇宙機を小惑星に衝突させ、その運動エネルギーで軌道を変更する惑星防衛手法。2022年のNASA DARTミッションで実証された。
潮汐力
天体間の重力差によって生じる力。2029年のアポフィス接近時、地球の重力による潮汐力が小惑星の形状や自転状態を変化させると予測されている。
ラブルパイル構造
小惑星の内部構造の一種で、大小の岩石が重力で緩く結合した「瓦礫の山」のような状態。はやぶさ2の観測により、多くの小惑星がこの構造を持つことが判明した。
Yarkovsky効果
太陽光による加熱と放熱の非対称性により、小惑星の軌道が徐々に変化する現象。長期的な軌道予測において重要な要素となる。
閣僚理事会(Ministerial Council)
ESAの最高意思決定機関。3年ごとに開催され、加盟23カ国の閣僚が参加してESAの予算配分や新規プロジェクトの承認を行う。
能代ロケット実験センター
秋田県能代市にあるJAXAのロケットエンジン試験施設。2024年にイプシロンSロケットの地上試験で爆発事故が発生し、施設が損傷した。
Don Quijote(ドン・キホーテ)
ESAが2000年代に構想した小惑星偏向実験ミッション。予算不足により実現しなかったが、後のHera、Ramsesミッションの礎となった。
AIM(Asteroid Impact Mission)
ESAが2016年に提案した小惑星観測ミッション。NASA DARTミッションと同時期に打ち上げる計画だったが、閣僚理事会で却下された。
Patrick Michel(パトリック・ミシェル)
フランス国立科学研究センター(CNRS)コート・ダジュール天文台の惑星科学者。小惑星軌道の世界的専門家であり、Heraミッションの主任研究者、Ramsesミッションのプロジェクト科学者を務める。
藤本正樹(Fujimoto Masaki)
JAXA宇宙科学研究所(ISAS)所長。ESAとの国際協力を推進し、Ramsesミッションへの日本の参加を主導した。
【参考リンク】
ESA – Ramses: ESA’s mission to asteroid Apophis(外部)
Ramsesミッションの公式ページ。ミッション目的、科学的意義、準備状況を詳細解説。
NASA – Asteroid Apophis(外部)
NASAによるアポフィス公式情報。接近距離、軌道データ、衝突リスク評価経緯を網羅。
JAXA – Asteroid Explorer Hayabusa2(外部)
はやぶさ2ミッション公式ページ。人工クレーター実験、サンプル回収成果を紹介。
ESA – Hera Mission(外部)
Heraミッション公式サイト。2024年打ち上げ、Ramsesの設計基盤となった惑星防衛ミッション。
JAXA H3ロケット(外部)
次世代大型ロケットH3の公式ページ。Ramses及びDESTINY+打ち上げに使用予定。
University of Bern – RAMSES CHANCES Camera(外部)
ベルン大学開発のCHANCESカメラ情報。高解像度イメージャーの詳細を説明。
【参考記事】
NASA Analysis: Earth Is Safe From Asteroid Apophis for 100-Plus Years(外部)
2021年3月のレーダー観測により軌道不確実性が数百キロから数キロに縮小。今後100年間の衝突リスク排除の経緯を詳述。
99942 Apophis – Wikipedia(外部)
発見当初の衝突確率2.7%、トリノスケールレベル4評価の詳細。TNT換算1,200メガトンの衝突エネルギー推定値を記載。
Countdown to Apophis close approach—Cascading hazards from asteroid impacts(外部)
2029年4月13日、31,860km接近予定。数千年に一度の現象について米国地質調査所が詳細分析。
ESA and JAXA weigh joint effort for Apophis flyby mission(外部)
2025年9月時点のESA・JAXA協力交渉状況。JAXA提供の太陽電池、赤外線イメージャー、H3打ち上げ計画を報告。
The sample from asteroid Ryugu: summary early 2023(外部)
はやぶさ2の9つの世界初工学成果を総括。60cm着陸精度、カプセル回収57時間最速記録など詳述。
【編集部後記】
2029年4月13日の夜、あなたは夜空を見上げるでしょうか。肉眼で見える小惑星という、人類史上稀な光景を目撃できる機会です。その時、宇宙空間では世界中の科学者たちが協力して、私たちの未来を守るためのデータを集めています。
しかし、その日に向かう道のりは決して平坦ではありません。12月22日、ラムセス・ミッションの打ち上げを担うはずのH3ロケット8号機が失敗しました。第2段エンジンの燃焼が早期に終了し、準天頂衛星「みちびき5号機」は予定の軌道に投入できませんでした。2023年の初号機失敗から立ち直り、5機連続成功を記録していただけに、関係者の落胆は計り知れません。
それでも、私たちは前を向き続けなければなりません。記事中でパトリック・ミシェル氏が語った言葉を思い出してください。「粘り強さが必要です。決して簡単ではありません。途中でいくつかの失敗を受け入れなければなりませんが、それに落胆してはいけません」。20年前のドン・キホーテ構想、2016年に却下されたAIM、そして今日のラムセス承認。ESAの惑星防衛ミッションは幾度もの挫折を経て、ここまで辿り着きました。
2028年4月のラムセス打ち上げまで、まだ3年以上の時間があります。JAXAは原因究明を進め、H3ロケットの信頼性を取り戻すでしょう。小惑星衝突は映画の中だけの話ではありません。6600万年前、恐竜を絶滅させたのも小惑星でした。今回のアポフィス接近は脅威ではありませんが、いつか本当に地球を守らなければならない日のための、貴重な予行演習なのです。































