大阪けいさつ病院は2025年11月26日、手術支援ロボット「ダビンチSP」を用いた縦隔鏡下食道がん手術を国内で初めて実施した。
消化器外科主任部長の大森健医師が執刀し、頸部約2.5cmと腹部1か所の小切開のみで手術を完了した。
従来の手術では胸部を大きく切開する必要があったが、本術式では胸部への切開が不要となり、術後の疼痛や呼吸機能への負担が軽減される。
本症例では術後の嗄声、反回神経麻痺、誤嚥性肺炎は認められず、術後1週間で痛みが消失し、術後13日目に退院した。
同病院の先端ロボット手術センターでは、ダビンチXi、ダビンチSP、ダビンチ5、Senhance、Mako Systemの計5台の手術支援ロボットを稼働させている。
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国内初!大阪けいさつ病院、手術支援ロボット「ダビンチSP」を用いた縦隔鏡下食道がん手術を成功
【編集部解説】
大阪けいさつ病院が実施したこの手術は、単に「日本初」という記録に留まらず、ロボット支援手術の進化における重要な転換点を示しています。
縦隔鏡下食道がん手術は、1990年代から開発が進められてきた術式です。従来の経胸腔アプローチ(胸を開ける方法)では、肋骨の間に複数の穴を開けて手術を行うため、術後の呼吸機能への影響や痛みが大きな課題でした。これに対し、頸部と腹部からアプローチする縦隔鏡下手術は胸部を切開しないため、患者への負担を大幅に軽減できます。
しかし、この術式には技術的な課題がありました。縦隔という極めて狭く、大血管や神経が密集する空間での操作は、従来の器具では視野の確保や精密な操作が困難でした。ここで登場したのがダビンチSPです。
ダビンチSPの最大の特徴は「単孔式」という設計にあります。従来のダビンチXiが4本のアームで構成されているのに対し、ダビンチSPは1本のアームにカメラと3本の鉗子を統合しています。このアームは2関節を持つ柔軟なカメラを備え、狭い空間でも自由な視野と操作を可能にします。
食道がん手術で特に重要なのが、声帯を動かす反回神経の保護です。この神経は食道の周囲を走っており、損傷すると嗄声(声のかすれ)や誤嚥性肺炎のリスクが高まります。ダビンチSPの高精度な操作により、この繊細な神経を避けながらリンパ節郭清を行うことが可能になりました。
今回の症例では、術後13日で退院という極めて良好な経過を示しています。従来の開胸手術では入院期間が2〜3週間以上に及ぶことも多いため、これは患者のQOL(生活の質)向上に直結する成果です。
大阪けいさつ病院の先端ロボット手術センターは、ダビンチ5、ダビンチXi、ダビンチSP、Senhance、Mako Systemという5台のロボットを運用する国内有数の体制を整えています。これは単なる機器の集積ではなく、症例に応じて最適なロボットを選択できる柔軟性を意味します。
今後の課題は、この術式の標準化と適応拡大です。現時点では、がんの進行度や患者の状態を慎重に判断して適応を決定していますが、症例の蓄積により、より多くの患者がこの低侵襲手術の恩恵を受けられるようになるでしょう。
また、保険適用の範囲についても注目が必要です。ロボット支援手術は2018年に食道がんへの保険適用が拡大されましたが、新しい術式の普及には診療報酬上の位置づけも重要な要素となります。
この手術は、医療技術の進歩が患者の負担軽減と治療成績向上を両立させる好例といえます。日本の外科医療が、単なる根治性の追求から、患者中心の低侵襲治療へとシフトしていることを象徴する出来事です。
【用語解説】
縦隔鏡下手術
頸部(首)の小切開から縦隔鏡という内視鏡を挿入し、胸部を開けずに縦隔内の手術を行う術式である。縦隔とは左右の肺の間にある空間で、心臓、大血管、食道、気管などの重要臓器が密集している。
反回神経
声帯の動きを制御する神経で、食道の周囲を走行している。食道がん手術の際に損傷すると、嗄声(声のかすれ)や誤嚥性肺炎のリスクが高まるため、慎重な操作が求められる。
低侵襲手術
患者の体への負担を最小限に抑える手術手技の総称。小さな切開や内視鏡技術を用いることで、術後の痛み軽減、早期回復、入院期間の短縮などが期待できる。
リンパ節郭清
がん細胞が転移している可能性のあるリンパ節を切除する手技。食道がんでは食道周囲のリンパ節に転移しやすいため、根治性を高めるために重要な手術操作である。
【参考リンク】
大阪けいさつ病院 先端ロボット手術センター(外部)
ダビンチ5、Xi、SP、Senhance、Mako Systemの5台を運用し、低侵襲手術を展開する国内有数のロボット手術センター
Intuitive Surgical(インテュイティブサージカル)(外部)
ダビンチシリーズを開発・製造する米国企業の公式サイト。ロボット支援手術システムの世界的リーディングカンパニー
国立がん研究センター東病院 ロボット支援手術(外部)
食道がんを含む各種がんに対するロボット支援手術の実績と情報を提供。月70件超のロボット手術を実施
【参考記事】
Single-Port Inflatable Mediastinoscopy Combined With Laparoscopic-Assisted Small Incision Surgery for Radical Esophagectomy(外部)
単孔式膨張式縦隔鏡と腹腔鏡を組み合わせた食道がん根治手術の有効性と安全性を報告した医学論文
Novel Mediastinoscope-Assisted Minimally Invasive Esophagectomy for Esophageal Cancer: A Systematic Review and Meta-analysis(外部)
縦隔鏡補助による低侵襲食道切除術のメタ分析。吻合部漏出率、リンパ節郭清数、出血量などを評価
Robot-assisted transmediastinal esophagectomy: The path of concept and practice(外部)
ロボット支援経縦隔食道切除術の概念と実践について解説。手術時間短縮、術後疼痛軽減などの利点を考察
Clinical-pathological features and perioperative outcomes of mediastinoscopy vs. thoracoscopy esophagectomy in esophageal cancer(外部)
縦隔鏡下食道切除術と胸腔鏡下食道切除術の周術期アウトカムを比較したメタ分析研究
藤田医科大学病院 手術支援ロボット「ダビンチ」について(外部)
ダビンチSPの特徴と利点を詳しく解説。国内初のダビンチSP導入施設として2023年3月に早期胃がん手術を実施
【編集部後記】
手術の「傷の大きさ」は、一見些細なことに思えるかもしれません。しかし、胸を大きく開けるか開けないかは、術後の痛みや回復速度、そして患者さんの日常への復帰に大きな影響を与えます。今回の国内初となる縦隔鏡下食道がん手術は、ロボット技術と外科医の技術が融合することで、「根治性」と「低侵襲性」という一見相反する目標を両立させた好例です。みなさんは、医療技術の進歩によって「選択肢」が増えることの意味をどのように考えますか?すべての患者さんに適用できるわけではない新しい術式だからこそ、今後の発展と標準化に注目していきたいと思います。































