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NTT、世界初発見|動作の「ばらつき」を生む脳の仕組みは「タイミングの乱れ」だった

[更新]2026年3月13日

「なぜ練習を重ねても、まったく同じ動作を再現できないのか」——スポーツ選手から音楽家まで、誰もが直面するこの問いに、NTTの研究者たちがついて答えを出した。
その鍵は、脳が筋肉に送る命令の「強さ」ではなく、「タイミング」にあったという。


NTT株式会社は2026年3月10日、人の動作に生じる「ばらつき」の主因が、脳から筋肉へ送られる「筋活動タイミングの乱れ」であることを世界で初めて明らかにした。NTTコミュニケーション科学基礎研究所が実施した本研究では、各15名の実験参加者を対象に、到達運動・周期運動・円運動の3種類の腕運動を検証した。その結果、いずれの運動においても、動きのばらつきと関連するのは従来説の「筋活動強度の乱れ」ではなく「筋活動タイミングの乱れ」であることが示された。

また、非利き手でばらつきが大きくなる原因も同様に説明できることが確認された。本成果は2026年3月2日付けで学術誌「Neural Networks」に掲載された。

From: 文献リンク世界初、人の動作の「ばらつき」を生む脳の仕組みを解明~医療・スポーツ分野における運動能力の評価・向上への新たな道筋~ | ニュースリリース | NTT

【編集部解説】

「なぜ人間はどれだけ練習しても、完璧な動作を再現できないのか」—この問いは、スポーツ科学や神経科学において長年未解決のままでした。NTTコミュニケーション科学基礎研究所による今回の発見は、その答えに向けた決定的な一歩となる可能性があります。

この研究が挑もうとしているのは、1998年にハリスとウォルパートが「Nature」誌に発表した「信号依存ノイズ(Signal-Dependent Noise)理論」です。この理論は、筋肉へ送られる指令の「強さ」のばらつきが動作精度を決定するという考えで、以来約28年にわたり運動制御研究の主流を占めてきました。今回のNTT研究はその定説に正面から挑み、真の主因は「強さ」ではなく「タイミング」にあると主張している点で、学術的インパクトは小さくありません。

では、「タイミングの乱れ」とは具体的に何を意味するのでしょうか。私たちが腕を動かすとき、脳は加速させる筋肉(主動筋)と減速させる筋肉(拮抗筋)を、指揮者のように精密なタイミングで交互に動かしています。ゴルフのスイングやダーツの投擲であれば、このオーケストラの「出番のタイミング」がわずかにズレるだけで、弾道や着地点が毎回ばらつくわけです。今回の実験では3種類の異なる腕運動——目標に手を届かせる動作、リズムに合わせて力を出す動作、円を描く動作——すべてにおいて、この「タイミングの乱れ」との有意な相関が一貫して確認されました。

注目すべきは、研究手法の設計の巧みさです。ScienceDirectに掲載された論文アブストラクトによれば、研究チームは「空間ノイズ(筋活動の大きさの変動)」と「時間ノイズ(タイミングの変動)」を厳密に分離して検証しており、その上で後者が運動のばらつきをより説明すると結論づけています。実験規模こそ各15名と小規模ですが、異なる種類の運動で結果が一貫していること、さらに利き手・非利き手の差異まで説明できた点は、この仮説の汎用性を裏づけるものです。

産業応用の観点から見ると、この知見は複数の重要な扉を開きます。スポーツ分野では、これまでのコーチングが「どれだけ力を入れるか」に偏りがちだったのに対し、「いつ筋肉を動かすか」というタイミングの訓練へ視点をシフトさせるきっかけになります。医療・リハビリテーションでは、脳卒中や神経変性疾患による運動失調の程度を、スマートフォンを使うだけで定量評価できる可能性があり、高価な設備を必要としない簡便な診断指標の誕生が期待されます。

テクノロジーとの接続という点でも、このタイミングは絶妙です。2025年12月にXiaomiが世界初の消費者向けEMG(筋電図)センサー搭載スマートウォッチ「Watch 5」を発売したように、筋活動の計測はすでに日常のウェアラブルデバイスへと降りてきています。「タイミングを測る」という新たな指標が定義されたことで、こうしたデバイスが収集するデータの意味と価値が根本から変わる可能性があります。NTTがスマートフォンを使った円運動計測という、極めてアクセスしやすい実験手法を採用しているのも、実用化への意識の表れと読むことができます。

一方で、慎重に見ておくべき点もあります。今回の研究はあくまで「腕の運動」を対象とした実験であり、下半身の動作や全身協調運動への適用可能性はまだ示されていません。また、タイミングを「意図的に改善する」訓練法の具体的な設計はこれからの課題であり、理論の確立から実用的なトレーニング法の開発まで、まだいくつかのステップが必要です。プライバシーの観点では、筋活動タイミングが個人の運動特性を高精度に反映するバイオメトリクスになりうるため、医療・スポーツ以外の文脈での利用——たとえば雇用判断や保険査定への転用——に関する倫理的な議論も将来的には避けられないでしょう。

長期的な視点で捉えると、この研究の意義は「脳がどのように時間を管理するか」という問いへの探索が本格化した点にあります。NTTは今後、脳活動計測と組み合わせて、筋活動タイミングを司る脳部位や神経表現の特定を目指すとしています。それが実現すれば、運動学習・加齢・疾患による運動能力の変化を、脳レベルで理解・介入する新時代が開けるかもしれません。「人体の精度を高めるテクノロジー」という文脈で、この研究は確かな一石を投じています。

【用語解説】

筋電図(EMG:Electromyography)
筋肉が活動する際に発生する微弱な電気信号を、皮膚表面に貼った電極で計測する技術。今回の研究では、主動筋と拮抗筋の「活動タイミング」を定量化するために使用された。近年はウェアラブルデバイスへの搭載も進んでいる。

主動筋・拮抗筋
ある動作を実現するうえで中心的な役割を担う筋肉を「主動筋(agonist)」、その反対方向に働いてブレーキをかける筋肉を「拮抗筋(antagonist)」という。腕を曲げる際に上腕二頭筋(主動筋)と上腕三頭筋(拮抗筋)が交互に活動するのが典型例だ。

信号依存ノイズ(Signal-Dependent Noise / SDN)
1998年にハリス(Harris)とウォルパート(Wolpert)が「Nature」誌で提唱した運動制御理論。筋肉へ送られる神経指令の「強さ(振幅)」が大きいほど、それに比例してノイズ(ばらつき)も増大するという仮説で、約28年にわたり運動制御研究の定説とされてきた。今回のNTT研究はこの理論に真っ向から挑んでいる。

運動失調(Motor Ataxia)
脳や神経系の疾患(脳卒中、パーキンソン病、小脳障害など)により、筋力は維持されているにもかかわらず、運動の協調・タイミングが乱れる状態。今回の研究で示された「筋活動タイミング」の指標は、この評価に新たな定量的手法をもたらす可能性がある。

線形混合効果モデル(Linear Mixed-Effects Model)
複数の参加者間にある個人差(個体差)を統計的に考慮しながら、変数間の関係性を評価する解析手法。少人数の被験者データであっても、個人差を制御した上で有意な関連性を検出できるため、神経科学や医学研究で広く用いられている。

【参考リンク】

NTT株式会社(日本電信電話株式会社)(外部)
日本最大の通信グループ。脳科学・AI・IOWNなど先端研究にも注力。今回の研究はグループ内のコミュニケーション科学基礎研究所が担当した。

NTTコミュニケーション科学基礎研究所(外部)
人間の知覚・感性・身体運動の解明を目的とした基礎研究機関。スポーツ・医療・インターフェース技術への応用を視野に入れた研究を推進している。

Neural Networks(学術誌 / Elsevier)(外部)
神経科学・機械学習・認知科学の融合領域をカバーする国際学術誌。今回の論文が2026年3月2日付けで掲載された査読誌だ。

論文本体|Minimizing command timing variability is a key factor in skilled actions(外部)
今回のNTT研究論文の掲載ページ。著者はアツシ・タカギ、ショウ・イトウ、ヒロアキ・ゴミの3名。DOI:10.1016/j.neunet.2026.108759。

【参考記事】

Minimizing command timing variability is a key factor in skilled actions(ScienceDirect)(外部)
「空間ノイズ」と「時間ノイズ」を厳密に分離して3種類の腕運動で検証。タイミング変動が運動ばらつきをより説明すること、非利き手では筋活動タイミングの乱れが大きいことを示した今回の研究論文アブストラクト。

Signal-dependent noise determines motor planning(Harris & Wolpert, 1998 / Nature)(外部)
今回のNTT研究が挑む従来理論の原典。神経指令の「強さ」に比例してノイズが増大するSDN仮説を提唱。Semantic Scholar記録では2,468本以上に引用された運動制御研究の基礎文献。

Xiaomi Watch 5: The EMG Blueprint for Garmin and Apple’s 2026 Sensors(外部)
2025年12月25日、Xiaomiが世界初の消費者向けEMGセンサー搭載スマートウォッチ「Watch 5」を発売。筋活動計測がウェアラブルへ降りてきた現在地を示し、NTT研究の実用化文脈と直結する記事。

Real-time wearable biomechanics framework for sports injury prevention(Scientific Reports, 2026)(外部)
50名のアスリートを対象にIMUとsEMGを組み合わせたウェアラブルフレームワークを検証。膝関節角度平均125°・大腿四頭筋150N・ハムストリングス170N・三角筋230Nを計測・報告した研究。

The use of Electromyography (EMG) in sports applications(Cometa Systems)(外部)
スポーツにおけるEMG活用の現状を解説。ワイヤレスEMGシステムの進化でラボ専用機器がウェアラブルへ移行しつつある状況を示し、NTT研究の応用先理解に役立つ背景情報。

NTT Communication Science Laboratories Sensory and Motor Research Group(外部)
今回の研究を行った感覚運動研究グループの公式ページ。関連発表や研究メンバーが確認でき、本研究が継続的な蓄積の上に成り立っていることがわかる。

【編集部後記】

「どれだけ練習しても、完璧な動作はできない」——そんな当たり前に思えていたことの”理由”が、ついに塗り替わろうとしています。

あなたが毎日何気なくこなしている動作の中に、脳とタイミングの精妙なやり取りが潜んでいるとしたら、少し身体の動かし方が気になりませんか?ぜひ、みなさんの感想や気づきをお聞かせください。

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TaTsu
『デジタルの窓口』代表。名前の通り、テクノロジーに関するあらゆる相談の”最初の窓口”になることが私の役割です。未来技術がもたらす「期待」と、情報セキュリティという「不安」の両方に寄り添い、誰もが安心して新しい一歩を踏み出せるような道しるべを発信します。 ブロックチェーンやスペーステクノロジーといったワクワクする未来の話から、サイバー攻撃から身を守る実践的な知識まで、幅広くカバー。ハイブリッド異業種交流会『クロストーク』のファウンダーとしての顔も持つ。未来を語り合う場を創っていきたいです。

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