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 脳が「見ている映像」を読み取れる時代へ—UCLが単一細胞レベルの動画再構築に成功

[更新]2026年3月16日

University College London(UCL)の研究者を中心とするチームが、マウスの視覚皮質における神経活動のみから、マウスが視聴していた動画を再構築することに成功した。

研究成果は2026年3月10日に学術誌 eLife(DOI:10.7554/eLife.105081.3)に掲載された。筆頭著者は UCL の Sainsbury Wellcome Centre に所属するジョエル・バウアー博士。研究チームは、2023年の Sensorium Competition 向けに開発されたダイナミック・ニューラル・エンコーディング・モデルをベースとし、カルシウムイメージング技術で計測した個々のニューロンの発火データを使用した。

学習済みモデルを用いて、学習に未使用の動画を見るマウスの神経活動のみから10秒間の動画クリップを再構築し、ピクセル相関による検証でオリジナル映像との高い一致を確認した。

From: 文献リンクMovies reconstructed from mouse brain activity – EurekAlert!

【編集部解説】

今回の研究を一言で表すなら、「脳の中の映像を外から読み取る技術が、動物実験レベルで初めて動画として成立した」という出来事です。これまでも人間を対象とした fMRI を使った脳内映像の再構築研究は存在しましたが、fMRI は数ミリメートル単位での脳活動しか捉えられません。今回 UCL チームが用いたのは「二光子カルシウムイメージング」という技術で、1匹のマウスから約8,000個のニューロンをリアルタイムかつ単一細胞レベルで記録しています。この精度の差は、映像の「解像度」に直接影響します。

技術の核となるのは、Sensorium 2023 Competition 向けに開発されたダイナミック・ニューラル・エンコーディング・モデルです。このモデルは、動画の各フレームに対して個々のニューロンがどう反応するかを予測するだけでなく、マウスの走行速度・瞳孔位置・瞳孔径といった身体状態まで変数として組み込んでいます。「見ること」は眼球だけの問題ではなく、身体全体の状態が知覚に影響することを、このモデルは数理的に反映しているわけです。

再構築の精度という観点で見ると、時空間ピクセル相関 r=0.569 を達成しており、先行研究(静止画再構築・覚醒マウスV1)のピクセル相関 0.238±0.054 と比較して約2倍の値です。ただし論文著者自身が「静止画と動画では学習・評価に用いるデータの種類が根本的に異なるため、直接比較には注意が必要」と明記しており、純粋な優劣比較ではなく、手法の進展を示す参考値として捉えるのが適切です。

この研究が持つ意義は、単なる「脳の再生装置」の開発にとどまりません。研究チームが本当に知りたいのは、「脳が現実をどう歪めているか」です。バウアー博士が述べているように、再構築映像と実際の映像のずれを可視化することで、視覚処理が情報をどう変形・強調しているかを直接観察できます。これは神経科学における知覚研究に、まったく新しい実験ツールを提供するものです。

応用可能性を広げて考えると、将来的には脳とコンピューターをつなぐブレイン・コンピューター・インターフェース(BCI)の精度向上や、視覚障害を持つ人への感覚補助技術へと発展しうる研究です。一方で、「脳が見ているものを外部から読み取る」という技術は、プライバシーや意識の自律性に関わる深刻な倫理問題を内包しています。今回はあくまでマウスを対象とした基礎研究であり、人間への直接適用までには神経接続の精度・侵襲性・個人差など多くの課題が残ります。しかし技術の進化速度を考えれば、倫理的枠組みの整備は今から議論を始めるべき段階にあるといえます。

現時点での課題として、チーム自身が「解像度とカバレッジの改善」を次のステップに挙げています。再構築できた視野の範囲は限定的であり、より広い視覚シーンを高解像度で再現するためには、さらに多くのニューロンデータと計算資源が必要です。この研究はゴールではなく、脳の「内なる映像」を解読するための方法論が確立されたという、重要な通過点と捉えるのが適切でしょう。

【用語解説】

ニューロン(神経細胞)
脳や神経系を構成する基本単位の細胞。電気信号によって情報を伝達し、視覚・記憶・運動などすべての脳機能を担う。今回の研究では1匹のマウスから約8,000個のニューロンが同時記録された。

視覚皮質(V1)
目から入った視覚情報が最初に処理される大脳皮質の領域。後頭葉に位置し、網膜から届いた信号を空間的なパターンとして解析する。今回の研究ではマウスのV1が記録対象となった。

fMRI(機能的磁気共鳴画像法)
脳内の血流変化を磁場で計測し、どの脳領域が活発に機能しているかをミリメートル単位で画像化する技術。非侵襲的に人間へ適用できる一方、単一細胞レベルの精度は持たない。

二光子カルシウムイメージング
ニューロンが発火する際に生じるカルシウム濃度の上昇を、近赤外線のパルスレーザーが放つ2光子の同時吸収を利用して蛍光検出する顕微鏡技術。生きた動物の脳内で数千個の単一細胞をリアルタイムかつ同時に記録できる点が特徴だ。

ピクセル相関(Pixel Correlation)
2つの動画の対応するピクセル値を統計的に比較し、どれだけ一致しているかを数値化する指標。今回の研究では再構築動画とオリジナル動画の間で時空間ピクセル相関 r=0.569(論文abstract表記では0.57)を達成した。

ブレイン・コンピューター・インターフェース(BCI)
脳の神経信号を直接コンピューターへ入力・出力する技術の総称。神経活動からの映像再構築技術は、BCIの精度向上や視覚障害者への感覚補助デバイスへの応用が期待されている。

ダイナミック・ニューラル・エンコーディング・モデル
動画の各フレームに対して個々のニューロンがどう反応するかを予測する数理モデル。マウスの走行速度・瞳孔位置・瞳孔径など身体状態の変数も組み込まれており、「見ること」に関わる身体全体の状態を反映している。

【参考リンク】

University College London(UCL)(外部)
英国ロンドンに本拠を置く世界トップクラスの総合大学。神経科学・AI・医療工学など幅広い先端研究を展開している本研究の主導機関だ。

Sainsbury Wellcome Centre for Neural Circuits and Behaviour(外部)
Gatsby財団とWellcomeの出資によりUCL内に設置された神経回路と行動の専門研究機関。筆頭著者ジョエル・バウアー博士の所属先だ。

eLife(外部)
生命科学・医学分野のオープンアクセス査読誌。本研究(DOI:10.7554/eLife.105081.3)が掲載されている。

Sensorium Competition(外部)
機械学習と神経科学が連携し視覚皮質の神経応答予測モデルを競うベンチマーク競技会。2023年版では78,000超のニューロンデータを使用した。

論文原文(PMC / NIH)(外部)
米国国立衛生研究所(NIH)のオープンアクセスアーカイブ掲載。実験データや数値の詳細を無料で確認できる本研究の一次情報だ。

【参考動画】

Allen Institute による二光子カルシウムイメージングのラボツアー動画(2026年2月公開)。今回の研究で用いられた計測技術の実際の装置と手順を映像で確認できる。

【参考記事】

Movie reconstruction from mouse visual cortex activity — PMC / NIH(外部)
時空間ピクセル相関r=0.569を達成。先行研究比約2倍の精度。約8,000ニューロンのデータを使用した本研究の論文原文だ。

The Dynamic Sensorium competition for predicting large-scale mouse visual cortex activity — arXiv(外部)
今回の研究が基盤とするエンコーディングモデルの元となった競技会の論文。78,000超のニューロンデータの概要を詳述している。

Mind’s Eye Cinema: Reconstructing “Movies” Directly the Brain — Neuroscience News(外部)
UCL発表をもとに単一細胞記録・ピクセル相関・BCIへの応用可能性をわかりやすく解説した記事。夢の可視化にも言及している。

New neural model decodes mice brain signals into 10-second movies — Interesting Engineering(外部)
ピクセル最適化のアルゴリズムとニューロンデータ量が再構築精度に与える影響を技術視点で解説。「歪みは誤りではなく特徴」という視点も紹介。

Movies reconstructed from mouse brain activity — UCL 公式プレスリリース(外部)
UCLが2026年3月に発表した本研究の公式プレスリリース。バウアー博士のコメントと研究背景を収録した事実確認の基準だ。 

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【編集部後記】

「いつか、見ていた夢をそのまま再生できる日が来るかもしれない」——今回の研究に触れて、そんな想像が頭をよぎった方もいるのではないでしょうか。

まだマウスの視覚、10秒間の動画、基礎研究の段階です。でも、技術の種はいつもこういう場所から芽吹いてきました。あなたが今夜見る夢は、いつか誰かに見せられる映像になるかもしれません。

投稿者アバター
TaTsu
『デジタルの窓口』代表。名前の通り、テクノロジーに関するあらゆる相談の”最初の窓口”になることが私の役割です。未来技術がもたらす「期待」と、情報セキュリティという「不安」の両方に寄り添い、誰もが安心して新しい一歩を踏み出せるような道しるべを発信します。 ブロックチェーンやスペーステクノロジーといったワクワクする未来の話から、サイバー攻撃から身を守る実践的な知識まで、幅広くカバー。ハイブリッド異業種交流会『クロストーク』のファウンダーとしての顔も持つ。未来を語り合う場を創っていきたいです。

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