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2月7日【今日は何の日?】1956年人間とコンピュータの「対話」の始まり

その日、会話が始まった

1956年2月7日、カリフォルニア州サンフランシスコ。Western Joint Computer Conferenceの会場で、マサチューセッツ工科大学(MIT)のDoug Ross(ダグ・ロス)が一つの論文を発表しました。タイトルは「Gestalt Programming」。コンピュータがまだ部屋いっぱいの巨大な機械だった時代に、彼は「会話のように」人間とコンピュータがアイデアを交換することを構想していました。

この発表は、プログラミングの歴史における静かな転換点でした。コンピュータに命令を与えるのではなく、コンピュータと「対話」する——この発想は、70年後の2026年、私たちが毎日AIと言葉を交わす時代の原点かもしれません。

「対話」とは何でしょうか?

1956年、MITの研究室で

Doug Rossは1929年、中国で医療宣教師の両親のもとに生まれました。数学を学び、MITで電気工学の修士号を取得した後、彼はコンピュータ応用研究グループの責任者として、プログラミングの新しい可能性を探っていました。

Gestalt Programmingという名前は、ゲシュタルト心理学から着想を得ています。ゲシュタルト心理学では、人間の知覚は個々の要素ではなく、全体として統合されたパターンとして機能すると考えます。Rossは、プログラミングもまた、バラバラの命令ではなく、全体としての「概念」や「意図」を扱うべきだと考えました。

彼の論文の核心は、シンプルでした。「人間とコンピュータの間で、会話のように一般的なアイデアを伝達すること」。それぞれの能力——人間の創造性とコンピュータの計算力——を最大限に活用するために、プログラミングは「対話」になるべきだと。

この発想の背景には、Rossが1950年代から探究していたPLEXという哲学がありました。「Nothing doesn’t exist(無は存在しない)」という命題から始まるこの思想体系は、彼の技術的仕事の根底に流れ続けることになります。しかし1956年のこの日、彼が会場で語ったのは、抽象的な哲学ではなく、具体的な可能性でした。

言葉が機械を動かすまで

Gestalt Programmingの概念は、すぐに実践へと移りました。1956年から1959年ごろにかけて、Rossは空軍の支援を受けて、APT(Automatically Programmed Tools)という画期的なプログラミング言語の開発を主導します。

APTは、数値制御(Numerical Control)工作機械を動かすための言語でした。当時、航空機産業では複雑な部品を製造するために、工作機械に精密な動きをさせる必要がありました。しかし、そのために必要な数値計算は膨大で、エンジニアや機械工は何百という数値コマンドをパンチテープに打ち込まなければなりませんでした。

APTは、この複雑な数値命令を「英語のような」表現に変換しました。例えば、「x=2, y=3を中心とした、半径5の円を描くように…」という指示を、数百行の機械語ではなく、より直感的な言葉で表現できるようになったのです。

1959年2月25日、APTは公開されました。1959年のMIT Science Reporterという番組で、Rossと同僚のJohn Francis Reintjesが、APTで作られた灰皿——本来は航空機部品として設計されたロッカーアームカム——を手に、この技術を説明しています。「自由世界の強化に貢献する技術革命」と番組は伝えました。

APTはパブリックドメインとして公開され、国際標準となり、1970年代まで広く使われ続けました。そして21世紀の今日、CAD/CAM(コンピュータ支援設計・製造)システムの中に、その系譜は生き続けています。

70年後の対話

Rossの「対話」という発想から10年後の1966年、MITのJoseph Weizenbaumは、ELIZA(イライザ)という対話プログラムを開発しました。心理療法士の役割を演じるELIZAは、パターンマッチングという単純な仕組みで、驚くほど「人間らしい」会話を生み出しました。利用者の中には、このプログラムが本当に自分を理解していると信じる人さえいました。

それから50年以上。自然言語処理(NLP)と人間コンピュータインタラクション(HCI)の分野は、着実に発展してきました。音声認識、機械翻訳、チャットボット、検索エンジン。技術は進化し、インターフェースは洗練され、機械は少しずつ、人間の言葉に近づいていきました。

そして2026年、私たちは大規模言語モデル(LLM)と、本当に「対話」しています。質問に答え、文章を書き、コードを生成し、推論さえする。1956年にRossが構想した「会話のように一般的なアイデアを伝達すること」は、ある意味で実現しています。

しかし、変わらないものもあります。コードを書く行為は、今も何かとの「対話」です。コンピュータとの対話であり、問題との対話であり、未来の自分や他の開発者との対話でもあります。プログラミング言語そのものが、人間と機械の間の翻訳装置であり続けています。

まだ始まったばかり

1956年2月7日、Doug Rossが構想した「対話」は、まだ完成していません。

コードを書くという行為は、対話なのかもしれません。


Information

【関連リンク】

歴史的資料:

Douglas T. Rossについて:

APTと数値制御の歴史:

自然言語処理とHCIの歴史:

【用語解説】

Gestalt Programming(ゲシュタルト・プログラミング)
Doug Rossが1956年に提唱したプログラミング概念。ゲシュタルト心理学から着想を得て、人間とコンピュータの間で「会話のように」アイデアを伝達することを目指しました。プログラムを個々の命令の集合ではなく、全体としての概念や意図として扱うアプローチです。

APT(Automatically Programmed Tools / 自動プログラミング工具)
1956年から1959年にかけてMITで開発された、数値制御工作機械用の高水準プログラミング言語。複雑な数値計算を英語に近い表現で記述できるようにし、製造業における国際標準となりました。現代のCAD/CAMシステムの先駆けです。

PLEX(プレックス)
Doug Rossが1950年代から生涯をかけて探究した「科学的哲学」。「Nothing doesn’t exist(無は存在しない)」という第一定義から始まり、「私たちの理解についての理解」を目指す思想体系。Rossの技術的仕事の根底にある思想とされています。

ゲシュタルト心理学(Gestalt Psychology)
20世紀初頭にドイツで発展した心理学の学派。人間の知覚や認知は、個々の要素の単純な総和ではなく、全体として統合されたパターン(ゲシュタルト)として機能すると主張しました。「全体は部分の総和以上である」という原則が有名です。

NLP(Natural Language Processing / 自然言語処理)
コンピュータが人間の言語を理解・処理・生成する技術分野。1950年代から研究が始まり、機械翻訳、音声認識、テキスト分析、対話システムなど、幅広い応用があります。2026年現在、大規模言語モデルによって飛躍的に発展しています。

HCI(Human-Computer Interaction / 人間コンピュータインタラクション)
人間とコンピュータの間のインターフェースや相互作用を研究する学際的分野。使いやすさ、アクセシビリティ、ユーザー体験の向上を目指し、自然言語処理、グラフィカルユーザーインターフェース、音声認識などの技術を統合しています。

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Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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