〜1947年ロンドン数学協会での「教育される機械」という予言は、いかにして基盤モデルとして結実したか〜
1947年2月20日、ロンドンにて
今からちょうど79年前、1947年2月20日。ロンドン数学協会の演壇に立ったアラン・チューリングは、開発中のコンピュータ「ACE」について語る中で、一つの決定的な概念を提示しました。それは、機械に知性を持たせるためには、単に緻密な命令を書き込むのではなく、人間と同じように「訓練(Training)」が必要であるという洞察です。
彼が語った「命令テーブルによる訓練」というアイデアは、現代の私たちが「基盤モデル(Foundation Models)」と呼ぶ巨大な知能のパラダイムそのものでした。
「教育」というメタファーの誕生
チューリングは、機械を最初から完璧な「大人の脳」として設計することの限界を見抜いていました。彼は、機械を「子供の脳」として作り、教育者が適切な情報を与えることで能力を拡張させるアプローチを提案したのです。
この「訓練→テスト」という二段階のプロセスこそが、現代の機械学習の根底にある哲学です。1947年に構想された「命令テーブル」は、当時の技術では紙の上の論理に過ぎませんでしたが、それは「静的なプログラム」から「動的な学習」へのパラダイムシフトを予言するものでした。
アルゴリズムの洗練と「長い冬」の終わり
チューリングの予言が現実の計算機に実装されるまでには、数十年の年月を要しました。
- 1950年代: フランク・ローゼンブラットの「パーセプトロン」が視覚の訓練に挑むも、単純な論理構造の壁に突き当たります。
- 1980年代: デビッド・ラメルハートらによるバックプロパゲーション(誤差逆伝播法)の確立。機械が自ら重みを調整し、エラーから学ぶための数学的基盤が完成しました。
しかし、理論はあっても「訓練」するためのデータと計算資源が圧倒的に不足していたこの時代は、AIにとって長い雌伏の時でもありました。
[コラム] 呼び名に翻弄された78年:「AI」はかつて、禁句だった
現代ではあらゆるプロダクトに冠される「AI(人工知能)」という言葉。しかし、チューリングがこの世を去るまで、この言葉は存在していませんでした。彼は自らの構想を「Thinking Machinery(思考する機械)」と呼び、計算機が単なる算盤を超え、自律的な判断を下す未来を夢想していました。
「AI」という言葉が誕生したのは、チューリングの死から2年後の1956年。しかし、その歩みは順風満帆ではありませんでした。1970年代や90年代の「AIの冬」において、この言葉は「実現不可能な大口を叩く怪しい科学」というレッテルを貼られてしまいます。
研究者たちは生き残るため、あえて「AI」という呼び名を封印しました。彼らは予算申請書に「エキスパートシステム」「パターン認識」「機械学習」といった、より地味で限定的な専門用語を並べました。「AI」と名乗ることは、研究者としてのキャリアを危うくする時期すらあったのです。
基盤モデル革命と「教育者」としての人間
2010年代、ImageNetによる事前学習の成功が状況を一変させます。特定のタスクを解かせる前に、膨大なデータで「世界の構造」を予習させる「事前学習(Pre-training)」の有効性が証明されたのです。
そして2020年代、GPTやBERTに代表されるトランスフォーマーモデルが登場します。
※トランスフォーマーアーキテクチャは2017年に発表。BERTは2018年10月、GPTシリーズは2018年6月(GPT-1)開始。
ここで興味深いのは、チューリングが提言した「教育者」の役割が、RLHF(人間からのフィードバックによる強化学習)という形で現代に蘇ったことです。機械は膨大なテキストから自習し、最終的には人間の価値観という「教育」を受けることで、実用的な知能へと進化しました。
巨大化する「訓練」のコストと経済的障壁
ここで直視すべきは、この「訓練」がいまや国家予算規模の巨大プロジェクトへと変貌したという現実です。
チューリングがノートにペンを走らせていた時代とは異なり、現代の訓練には天文学的なコストがかかります。OpenAIのGPT-4クラスの訓練には推定1億ドル(約150億円)以上の計算資源が投じられ、数万枚のGPUクラスタが数ヶ月間フル稼働します。
「訓練フェーズ」の長期化と高度化は、AI開発における最大のボトルネックであり、同時に巨大テック企業による「知能の独占」を招く経済的障壁ともなっています。チューリングの夢見た「教育される機械」は、今や莫大な資本力を持つ組織だけが運営できる「超巨大プロジェクト」の様相を呈しています。
未来予測:自己改善型AIは「限界」を突破するか?
2026年現在、私たちは新たな局面を迎えています。それは、人間の介入を最小化し、AIがAIを訓練する「自己改善型AI(Self-Improving AI)」への挑戦です。
チューリングは1947年の講演で、「機械自身が命令を構築することには限界がある」と慎重な見解を示していました。しかし、合成データ(Synthetic Data)を用いた学習や、推論能力に特化したモデルの登場により、その「限界」は刻一刻と押し広げられています。
「訓練の訓練」を自動化する未来。 もし機械が、人間の教育すら必要とせずに自らを高め始めたとき、それはチューリングの想像を超えた「知性の爆発」の始まりとなるのかもしれません。
アラン・チューリングがロンドンでチェスを例に「知能の評価」を語ってから79年。私たちが手にしているのは、チェスを打つ機械ではなく、文明そのものを再定義しうる基盤モデルです。
「機械には訓練が必要である」という彼の素朴な、しかし鋭い洞察は、今もなおAI研究の北極星として輝き続けています。
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【用語解説】
基盤モデル(Foundation Models)
大規模なデータセットで事前学習され、多様な下流タスクに適応可能なAIモデルのことである。
事前学習(Pre-training)
特定のタスクに特化させる前に、膨大なデータを用いて言語や世界の構造を学習させる最初のプロセスのことである。
RLHF(人間からのフィードバックによる強化学習)
人間がAIの回答を評価し、そのフィードバックを元にモデルを微調整することで、AIの振る舞いを人間に近づける手法である。
自己改善型AI(Self-Improving AI)
人間の介入を最小限に抑え、AIが自らデータを作成したり推論を行ったりすることで、自律的に性能を高めていくAIのことである。
【参考リンク】
London Mathematical Society (ロンドン数学協会)(外部)
1865年に設立された、数学の発展と研究を支援する英国を代表する学術機関である。
OpenAI(外部)
GPT-4やChatGPTを開発した、世界をリードする人工知能研究組織である。本記事で触れた1億ドル規模の訓練コストを要する基盤モデル開発の先駆者である。
National Physical Laboratory (英国国立物理学研究所)(外部)
アラン・チューリングがACE(自動計算機)の設計に従事した英国の国立研究所である。コンピュータ科学の黎明期において、初期の計算機開発の中核を担った。







































