Strategy Inc.(NASDAQ: MSTR)の会長マイケル・セイラー氏は火曜日、X上で量子コンピューティングはビットコインを破壊せず強化すると投稿した。同氏はネットワークが量子耐性アップグレードを受け、アクティブなBTCが移行する一方で失われたBTCは凍結されると述べた。
ビットコインセキュリティ専門家のジェイムソン・ロップ氏も10月のBenzingaインタビューで、量子アップグレード後に未請求BTCをバーンまたは凍結する提案を支持し、約400万BTC(総供給量の約25%)が既に公開アドレスを露出していると指摘した。Grayscaleは最新レポートで量子コンピューティングは2026年に暗号通貨評価額に重大な影響を与えないとした。執筆時点でBTCは86,845.44ドル、過去24時間で0.41%上昇している。
【編集部解説】
量子コンピューティングとビットコインの関係について、なぜ今この議論が活発化しているのか、その背景から解説します。
2024年12月にGoogleが発表した量子チップが、この議論の引き金となりました。Willowは105キュービットを搭載し、従来のスーパーコンピュータで天文学的な時間のかかる計算をわずか数分で解く性能を実証しています。この発表により、暗号通貨コミュニティでは量子コンピュータがビットコインのセキュリティを脅かすのではないかという懸念が一気に高まりました。
ビットコインのセキュリティは楕円曲線デジタル署名アルゴリズム(ECDSA)に依存していますが、これは量子コンピュータのショアのアルゴリズムによって理論的には破られる可能性があります。ただし、現実的な脅威となるには1,500から3,000の論理キュービットが必要とされており、Willowの105キュービットとは桁違いの差があります。
セイラー氏の提案で最も注目すべきは「失われたBTCを凍結する」という部分です。これは実質的にハードフォーク、つまり後方互換性のない大規模なプロトコル変更を意味します。具体的には、古いP2PK(Pay-to-Public-Key)アドレスに保管された約400万BTC、総供給量の約25%が対象となります。この中にはビットコイン創設者サトシ・ナカモトが保有するとされる大量のBTCも含まれています。
この提案には倫理的な問題が潜んでいます。コミュニティからは「他人の資産を凍結することを提案するのは簡単だ」という批判の声も上がっています。仮にサトシや初期のビットコイン保有者が秘密鍵を保持していた場合、彼らの資産を一方的に凍結することになるからです。一方で、量子耐性アップグレードを実施せずに放置すれば、将来的にこれらのコインが量子コンピュータによって盗まれるリスクもあります。
Grayscaleの最新レポートは、量子コンピューティングが2026年の暗号通貨市場に重大な影響を与える可能性は低いと結論づけています。同社は、暗号学的に意味のある量子コンピュータの登場は早くても2030年頃と予測しており、短期的には採用率、規制、資本流入といった要因が市場を動かすとしています。
興味深いのは、業界が既に具体的な対策を進めている点です。BTQ Technologiesは2025年10月、NIST標準化されたポスト量子暗号を使用した量子耐性ビットコインの実装に成功したと発表しました。また、Bitcoin Improvement Proposal(BIP)360など、量子耐性アドレスへの移行を提案する技術文書も既に存在します。
セイラー氏の主張は「量子コンピューティングがビットコインを強化する」という楽観的なものですが、その実現には大規模なプロトコル変更、コミュニティの合意形成、そして資産権利の扱いという複雑な課題が伴います。2030年頃までに暗号通貨業界がどのようにこの課題に対処するか、その方法論をめぐる議論は今後も続くでしょう。
【用語解説】
量子コンピューティング(Quantum Computing)
量子力学の原理を利用した計算技術である。従来のコンピュータがビット(0か1)で計算するのに対し、量子コンピュータは量子ビット(キュービット)を使用し、重ね合わせや量子もつれといった現象により、特定の問題を飛躍的に高速で解くことができる。
楕円曲線デジタル署名アルゴリズム(ECDSA)
ビットコインのトランザクションを保護する暗号技術である。秘密鍵から公開鍵を生成する際、楕円曲線上の数学的演算を利用する。一方向の計算は容易だが逆算は困難という性質により、セキュリティを確保している。
ショアのアルゴリズム(Shor’s Algorithm)
1994年にピーター・ショアが考案した量子アルゴリズムである。大きな整数の素因数分解を効率的に行うことができ、RSAやECDSAといった現在の暗号方式を理論的には破ることが可能とされる。
ポスト量子暗号(Post-Quantum Cryptography)
量子コンピュータの攻撃にも耐えられるよう設計された暗号技術である。格子ベース暗号、ハッシュベース署名、多変数多項式暗号などがあり、NISTが標準化を進めている。
ハードフォーク(Hard Fork)
ブロックチェーンのプロトコルを後方互換性のない形で変更することである。全ノードがアップグレードする必要があり、コミュニティの合意が得られない場合、チェーンが分岐する可能性がある。
P2PK(Pay-to-Public-Key)
ビットコインの初期に使用されていたアドレス形式である。公開鍵を直接トランザクション出力に記述するため、量子コンピュータによる攻撃に脆弱とされる。現在主流のP2PKHやSegWitアドレスと比較してセキュリティリスクが高い。
サトシ・ナカモト(Satoshi Nakamoto)
ビットコインの創設者とされる匿名の人物または集団である。2008年に論文を発表し、2009年にビットコインネットワークを立ち上げたが、2010年以降は表舞台から姿を消している。推定100万BTCを保有しているとされる。
キュービット(Qubit)
量子ビットの略称で、量子コンピュータにおける情報の基本単位である。0と1の重ね合わせ状態を取ることができ、複数のキュービットが量子もつれすることで並列計算が可能になる。論理キュービットと物理キュービットは異なり、エラー訂正のために多数の物理キュービットが必要となる。
【参考リンク】
Strategy (MicroStrategy)(外部)
マイケル・セイラー氏が会長を務めるビジネスインテリジェンス企業。2020年以降、大量のビットコインを購入し注目を集める。
Google Quantum AI(外部)
Googleの量子コンピューティング研究部門。2024年12月に105キュービットの量子チップ「Willow」を発表。
Grayscale Investments(外部)
世界最大級のデジタル資産運用会社。機関投資家向けの暗号通貨投資商品を提供し、定期的に市場分析レポートを発行。
BTQ Technologies(外部)
量子セキュリティ技術専門のカナダ企業。2025年10月にNIST標準化ポスト量子暗号を使用した量子耐性ビットコインを実装。
NIST(National Institute of Standards and Technology)(外部)
米国国立標準技術研究所。2022年からポスト量子暗号の標準化プロジェクトを進め、暗号技術の基準を策定。
【参考記事】
Google’s quantum computing breakthrough Willow means for the future of bitcoin(外部)
Googleの量子チップWillowが105キュービットを搭載し天文学的な時間の計算を数分で解く性能を実証。ビットコインのセキュリティを脅かすには1,500〜3,000の論理キュービットが必要。
Michael Saylor: We can solve quantum by freezing Satoshi’s BTC(外部)
セイラー氏の量子耐性提案を詳細に報道。アクティブなBTCを新しいアドレスに移行し、古いP2PKアドレスのコインを凍結する提案に倫理的懸念も。
Quantum Computing A “Red Herring” For Crypto In 2026(外部)
Grayscaleの2026年デジタル資産展望レポートを分析。量子コンピューティングは短期的には市場に重大な影響を与えず、2030年頃に登場と予測。
BTQ Technologies Announces Quantum-Safe Bitcoin Using NIST Standardized Post-Quantum Cryptography(外部)
BTQ Technologiesが2025年10月にNIST標準化ポスト量子暗号を使用した量子耐性ビットコイン実装に成功。CRYSTALS-Dilithium署名アルゴリズムを採用。
Google’s Willow quantum chip vs. Bitcoin security — What’s at stake?(外部)
Willowの技術詳細とビットコインへの影響を解説。約400万BTCが古いP2PKアドレスに保管され量子攻撃のリスクに。BIP-360など量子耐性提案を検討中。
【編集部後記】
量子コンピューティングの進化は、私たちが当たり前だと思っていた暗号技術の前提を根底から揺るがす可能性を秘めています。セイラー氏の「量子がビットコインを強化する」という主張は、技術的な議論だけでなく、誰の資産をどう扱うべきかという倫理的な問いも投げかけています。
あなたなら、セキュリティ強化のために他者の資産を凍結することに賛成しますか。それとも、たとえリスクがあっても個人の資産権を優先すべきだと考えますか。この議論は暗号通貨だけでなく、デジタル時代の所有権のあり方そのものを問うているのかもしれません。































