MIT(マサチューセッツ工科大学)の材料科学教授Yet-Ming Chiang氏らの研究チームが、液体ナトリウムと空気を使用した燃料電池のプロトタイプを開発した。
2025年5月27日に発表された研究論文によると、この燃料電池は1,200Wh/kg(ワット時毎キログラム)のエネルギー密度を実現し、現在のリチウムイオンEVバッテリーの200〜300Wh/kgと比較して3〜4倍の性能を示した。
液体ナトリウム金属が燃料として機能し、セラミック電解質を介して周囲の空気中の酸素と反応して電気を生成する。
副産物として生成される水酸化ナトリウム(NaOH)は二酸化炭素回収に利用可能で、大気中では炭酸ナトリウム、海洋では炭酸水素ナトリウム(重曹)を形成し海洋酸性化の相殺効果も期待される。
研究チームはMITインキュベーター内でPropel Aeroを設立し、1年以内に1,000ワット時のレンガサイズ燃料電池を構築予定で、大型ドローンや農業用途での実証を目指す。完全な技術開発と生産開始には約3年を要すると見込まれる。
From: MIT boffins claim liquid sodium battery could one day power aircraft while sucking up CO2
【編集部解説】
今回MITが発表したナトリウム空気燃料電池は、電動航空機の実現に向けた技術的ブレークスルーとして注目に値します。日本でも経済産業省やNEDOが2025年度から2029年度にかけて燃料電池の共通基盤技術開発を推進しており、世界的に燃料電池技術への投資が加速している状況です。
この技術の革新性は、単なる高エネルギー密度の実現だけではありません。従来の電池が充電を必要とするのに対し、この燃料電池はナトリウムカートリッジの交換により「給油」のような運用が可能になります。これにより航空機の運航効率が大幅に向上する可能性があります。
特筆すべきは副産物による環境効果です。反応により生成される水酸化ナトリウムが大気中の二酸化炭素と反応して炭酸ナトリウムを形成し、海洋では重曹となって海洋酸性化を緩和する効果が期待されています。つまり、この技術は単にゼロエミッションではなく、ネガティブエミッション(炭素回収)の可能性を秘めているのです。
安全性の観点では、リチウムイオン電池で懸念される熱暴走リスクが大幅に軽減されています。反応する物質が物理的に分離されており、一方は希薄な空気であるため、従来の電池のように高濃度の反応物質が隣接することがありません。
ただし、課題も存在します。ナトリウム金属は98℃で液体となるため、システムの温度管理が重要になります。また、ナトリウムは湿気に触れると自然発火する特性があるため、厳重な封止技術が求められます。
燃料電池市場全体では、2025年の46億米ドルから2030年には123億2,000万米ドルへと年平均成長率21.61%での拡大が予測されています。日本では熊本大学らが14員環コバルト錯体を用いた非白金触媒の開発に成功するなど、コスト削減に向けた技術革新も進んでいます。
商業化への道筋では、Propel Aeroが来年中に1,000Wh容量のレンガサイズプロトタイプを開発予定で、まずは大型ドローンでの実証を目指しています。完全な商業化には約3年を要するとされており、これは他の革新的エネルギー技術と比較して比較的短期間です。
この技術が実用化されれば、地域航空路線の電動化が現実的になり、航空業界の脱炭素化に大きなインパクトを与えるでしょう。さらに、海運や鉄道などの重量輸送分野への応用も期待され、産業全体の電動化を加速させる可能性があります。
【用語解説】
燃料電池
水素などの燃料と酸素の化学反応により電気と熱を発生させる装置。充電が必要な電池とは異なり、燃料を供給し続けることで継続的に電力を取り出せる。
エネルギー密度
単位重量あたりに蓄えられるエネルギー量を示す指標。Wh/kg(ワット時毎キログラム)で表される。航空機など重量制約が厳しい用途では高いエネルギー密度が必要。
セラミック電解質
イオンを通すが電子は通さない固体材料。この燃料電池では安定化ジルコニアなどが使用され、ナトリウムイオンの移動を可能にしながら反応物質を物理的に分離する役割を果たす。
水酸化ナトリウム(NaOH)
化学式NaOHで表される強アルカリ性化合物。苛性ソーダとも呼ばれ、工業的に重要な基礎化学品。この燃料電池の副産物として生成され、二酸化炭素回収に利用可能。
炭酸ナトリウム
化学式Na2CO3で表される化合物。炭酸ソーダまたはソーダとも呼ばれる。水酸化ナトリウムが大気中の二酸化炭素と反応して形成される。
炭酸水素ナトリウム
重曹として知られる化合物。炭酸ナトリウムがさらに反応して生成され、海洋酸性化の緩和効果が期待される。
【参考リンク】
MIT(マサチューセッツ工科大学)(外部)
世界最高峰の理工系大学の一つ。今回の液体ナトリウム燃料電池を開発した研究機関で、多数のノーベル賞受賞者を輩出している。
The Engine(MITインキュベーター)(外部)
MITが運営するスタートアップインキュベーター。深層技術(ディープテック)企業の育成に特化し、長期的な研究開発を支援している。
NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)(外部)
日本の燃料電池・水素技術開発を推進する独立行政法人。2025年度から水素利用拡大に向けた共通基盤強化事業を実施している。
経済産業省(外部)
日本の燃料電池商用車導入促進や水素ステーション整備を推進する政府機関。燃料電池の普及拡大政策を担当している。
【編集部後記】
この液体ナトリウム燃料電池の技術は、私たちが想像していた「電動航空機の未来」を大きく前倒しする可能性を秘めています。日本でもNEDOが2025年度から大規模な燃料電池技術開発を開始するなど、世界的に技術競争が激化しています。リチウムイオン電池の限界を突破し、さらに飛行しながら炭素を回収するという発想は、まさに「Tech for Human Evolution」を体現する革新ではないでしょうか。皆さんは、この技術が実用化された際、最初にどのような用途で活用されると思われますか?また、日本の燃料電池技術開発との相乗効果で、どのような未来が実現すると考えられるでしょうか?
【参考記事】
MIT Technology Review – “A new sodium metal fuel cell could help clean up transportation”
MITの公式技術メディアによる詳細解説記事。技術的背景とForm Energyとの関連性について詳しく説明している。
Electrive – “MIT researchers create sodium fuel cell with high energy density”
電動モビリティ専門メディアによる技術解説。湿度管理の重要性と環境への影響について詳細に報告している。
R&D World – “MIT’s new sodium fuel cell beats lithium for regional aviation”
研究開発専門誌による技術分析記事。1,500Wh/kgという具体的な性能数値と商業化の課題について詳しく解説している。