2025年8月17日、サウスカロライナ医科大学のLeonardo Ferreira博士率いるチームが、抗体産生細胞を正確に標的し、臓器拒絶反応に関与する新型の遺伝子改変免疫細胞を開発したと報告した。
米国では年間5万件以上の臓器移植が行われている。医師は拒絶リスク低減のため免疫抑制薬を使用してきたが、全身の免疫機能を抑制し副作用も生じる。Ferreira博士は移植後の標的型免疫抑制の可能性を示した。
研究にはスペイン・マドリッドのUniversity Hospital La Paz、Eduardo Lopez Collazo博士の研究室、Jaime Valentín-Quiroga氏が参加し、患者サンプルを提供した。CHAR-Tregsは抗HLA-A2抗体を産生するB細胞のみを特異的に中和し、腎臓拒絶歴のある透析患者細胞への効果も確認された。
From:Genetically-engineered immune cells show promise for preventing organ rejection
【編集部解説】
今回のサウスカロライナ医科大学による研究は、臓器移植における長年の課題に対して、精密な解決策を提示するブレークスルーです。まず技術的な仕組みを説明しますと、CHAR(キメラ抗HLA抗体受容体)は、制御性T細胞に装着される人工的なセンサーのような役割を果たしています。
従来の免疫抑制薬は、体全体の免疫システムを一律に抑制するため、深刻な副作用が問題となってきました。実際に、免疫抑制薬治療を受けている移植患者の60-80%に高脂血症が発症し、心血管系への悪影響も報告されています。また、主要心血管系有害事象(MACE)の発生率は、移植後1年以内で1.66%、3年以内で3.51%という統計も存在します。
今回開発されたCHAR-Tregsは、この問題を根本的に解決する可能性があります。HLA-A2というタンパク質は世界人口の約3分の1が持っており、この抗原に対して「事前感作」された患者は移植可能な臓器を見つけることが極めて困難でした。妊娠経験のある女性や過去に輸血を受けた患者がこれに該当します。
この技術の革新性は、問題となる特定のB細胞のみを標的にすることで、他の免疫機能は正常に保たれる点にあります。がん治療で使われるCAR-T細胞療法の技術を応用していますが、免疫を活性化するのではなく抑制する方向に働かせた点が画期的です。
既に臨床試験の段階に入っている類似研究もあります。オランダのSanquin研究所では、CRISPR-Cas9技術を用いてTregsを遺伝子改変し、腎臓にのみ結合する細胞治療を開発中です。また、2025年には豚から人への腎臓移植の臨床試験も開始される予定で、移植医療全体が大きな転換点を迎えています。
ただし、潜在的なリスクも考慮する必要があります。遺伝子改変した細胞を体内に投与するため、長期的な安全性の検証が必要です。また、免疫抑制が適切に制御されるかという点も重要な課題となるでしょう。
規制面では、遺伝子治療としての承認プロセスが必要になり、実用化までには数年を要する見込みです。しかし成功すれば、現在移植を諦めざるを得ない多くの患者に希望をもたらし、移植医療の裾野を大幅に広げることになるでしょう。
【用語解説】
CHAR
Chimeric Anti-HLA Antibody Receptorの略称で、遺伝子改変によりエンジニアリングされた制御性T細胞(Tregs)に装着される受容体。特定の抗HLA抗体産生B細胞を検出して抑制する機能を持つ。
Tregs
Regulatory T cells(制御性T細胞)の略。免疫系の過剰反応を抑制し、自己組織の損傷を防ぐ役割を持つ。
HLA-A2
ヒト白血球抗原(Human Leukocyte Antigen)システムの一つのバリアントで、世界人口の約3分の1が保有。移植拒絶反応に関与しやすい。
事前感作
過去に特定の抗原に曝露し、免疫系が感作された状態。拒絶反応リスクが高まる。
免疫抑制薬
移植後の拒絶反応防止のために用いられる薬剤で免疫系全体を抑制するため、副作用も伴う。
【参考リンク】
Medical University of South Carolina(外部)
サウスカロライナ州所在、公立医科大学。先端医療と研究を推進している。
Frontiers in Immunology(外部)
免疫学分野の査読付き学術誌。基礎から応用まで幅広いテーマを扱う。
Hospital Universitario La Paz(外部)
スペイン・マドリードにある教育病院。移植医療研究の中心施設。
Eduardo López Collazo – Wikipedia(外部)
核物理学者・薬学博士。La Paz病院の免疫学・感染症研究者。
Leonardo M. R. Ferreira – LinkedIn(外部)
サウスカロライナ医科大学助教。遺伝子改変免疫細胞の研究の第一人者。
【参考記事】
Chimeric anti-HLA antibody receptor engineered human regulatory T cells suppress alloantigen-specific B cells from pre-sensitized transplant recipients(外部)
2025年発表。移植拒絶の原因となるB細胞のみを標的化するCHAR-Tregsの開発と、その効果を証明。
Teaching the immune system a new trick could one day eliminate organ rejection(外部)
CHAR技術による臓器拒絶予防の医療的、社会的意義を解説。研究背景も充実。
【編集部後記】
この研究は、現在移植を諦めざるを得ない多くの患者さんに新たな希望をもたらす可能性があります。私たちが普段当たり前に思っている免疫システムが、実は精密にコントロールできる時代に入ってきているのかもしれません。
みなさんは、もし自分や大切な人が臓器移植を必要とする状況になったとき、どのような治療選択肢があればよいと思われますか?従来の免疫抑制薬による全身への影響と、今回のような標的型治療のメリット・デメリットについて、ぜひご一緒に考えてみませんか。