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1月10日【今日は何の日?】「110番の日」—— 確実につながる電話が守る、IP化時代の命

 - innovaTopia - (イノベトピア)

1948年10月1日、午前0時。東京、大阪、京都、横浜、川崎、名古屋、神戸、福岡の8大都市で、一つの電話番号が運用を開始しました。「110番」——警察への直通通報用電話です。それまで駐在所や派出所を経由していた緊急通報が、市民から警察へ直接つながるようになった瞬間でした。

2024年の統計によれば、この番号には年間約1000万件の通報が寄せられています。約3秒に1回、国民約11人に1人が110番を使う計算です。携帯電話からの通報は全体の76%を超えています。私たちは今、固定電話ではなくスマートフォンで110番を押し、GPS衛星が位置を特定し、パケット通信で音声を届ける時代を生きています。

この「確実につながる電話」は、どのように進化してきたのでしょうか?

交換手の声から、機械の接続へ

1890年、日本で電話交換業務が始まった当初、電話をかけるにはまず交換手を呼び出す必要がありました。受話器を上げるか、電話機のハンドルを回すと交換局につながり、「◯◯番につないでください」と口頭で伝えます。交換手が手動でケーブルをジャックに差し込み、回線が接続される——電話は、人間の手を介してつながっていました。

1926年、東京と横浜で日本初の自動交換機が導入されます。ダイヤル式電話機の登場です。回した数字に応じて機械的なスイッチが次々に動作し、相手の電話機へと自動的に接続される「ステップ・バイ・ステップ交換機」。交換手の手を介さずとも、機械が回線をつなぐ時代が始まりました。

それでも市外通話は1978年まで人手を必要としました。複数の交換機を経由する長距離通話は複雑で、自動化が難しかったのです。全国の電話が完全自動化されたのは1979年。この時点で、電話は「機械がつなぐもの」になっていました。

IP化への転換——「古典的な信頼性」を再実装する

2004年、NTT東日本が「ひかり電話」を開始します。音声を0と1のデジタル信号に変換し、インターネットと同じIPパケットとして伝送するVoIP(Voice over IP)技術です。従来の回線交換方式に比べて通話料は安く、インターネット回線と統合できる効率的な仕組みでした。

そして2024年12月、NTTの固定電話網は完全にIP網(NGN:Next Generation Network)へと移行しました。かつて電気信号が銅線を伝わっていた時代から、音声がパケットとなって光ファイバーを流れる時代へ。電話の根本的な仕組みが変わったのです。

しかし、緊急通報だけは違いました。NGNを使った「ひかり電話」でも、携帯電話のVoLTE(Voice over LTE)でも、110番・118番・119番への通話には特別な設計が施されています。それは「確実につながる」という、電話本来の使命を守るための工夫です。

固定電話のNGNでは、音声コーデック(音声をデジタル信号に変換する方式)として「G.711 μ-law」が必須とされています。この方式は1972年に標準化された古いもので、音声を圧縮せずにそのまま伝送します。他に高音質なコーデックや帯域を節約できる圧縮方式も存在しますが、緊急通報ではあえてG.711が選択されます。理由は単純——最も確実に音声が通るからです。圧縮も変換も介さないシンプルな方式は、トラブルが起きにくい。消防や警察の既存設備とも互換性があり、災害時や障害時にも音声が届く可能性が高まります。また、緊急通報では、データを転送する単位であるパケットに特別なQoS(Quality of Service)がつき、最優先で転送されます。

携帯電話のVoLTEでも同様の配慮があります。通常のデータ通信とは別に「ims」という特別な通信路(APN)が設定され、緊急通報の音声パケットは優先的に扱われます。ネットワークが混雑していても、緊急通報だけは通りやすくなる仕組み——IMS(IP Multimedia Subsystem)というシステムが、通信の優先度を管理しているのです。

IP化の波は、電話を効率化しました。しかし緊急通報だけは、効率よりも確実性を選びました。「古典的な電話の信頼性」を、現代の技術で再実装したと言えるでしょう。

位置情報——声だけでは救えない命のために

「事故です!早く来てください!」 「場所はどこですか?」 「わかりません……道路の真ん中で……」

携帯電話からの110番通報が増えるにつれ、こうしたやり取りが増えました。移動中や外出先からの通報では、通報者自身が現在地を把握していないことも多い。2004年時点で、警察への全通報954万件のうち57%が携帯電話からでした。現場への到着が遅れる——それは命に関わる問題です。

2007年4月1日、携帯電話からの緊急通報で位置情報の自動通知が義務化されます。GPS衛星を使える環境なら数十メートル以下の精度で、そうでなければ基地局の位置から数百メートル〜数キロメートルの精度で、通報者の位置が自動的に警察・消防・海上保安庁へ送られるようになりました。固定電話やIP電話では、契約者の住所が通知されます。

声だけでは伝わらない情報を、技術が補います。位置情報通知システムは、言葉にできない緊急事態——交通事故で意識を失いかけている、パニック状態で場所を説明できない——そうした状況でも、救助の手がかりを届けるために設計されています。

ただし、GPS測位には限界もあります。高層ビルの間や地下、トンネル内では衛星の電波が届かず、基地局ベースの大まかな位置情報しか得られません。そのため消防や警察は今も「口頭で住所や目標物を伝えてください」と呼びかけています。技術は補助であり、最後は人間の声が頼りなのです。

見えない優先順位——通信が守る命

2026年現在、私たちが使う電話はほぼ全てIP技術に基づいています。光ファイバーを使う「ひかり電話」、携帯電話網を使うVoLTE、そして2035年頃までに完全移行が予定されているメタル回線(銅線)の置き換え。電話というインフラは、静かにIPへと姿を変えています。

しかし110番だけは、その変化の中で変わらないものを守り続けています。確実につながること。正確な位置を伝えること。どんな状況でも音声が届くこと。

それは、設定ファイルの一行に書かれた「G.711 μ-law必須」という指定かもしれません。ネットワーク機器の設定に記された「緊急通報優先」というフラグかもしれません。私たちが意識することのない、システムの奥深くに埋め込まれた設計思想です。

電話は進化しました。しかし緊急通報だけは、古典的な信頼性を手放さなかったのです。

Information

【参考リンク】

総務省 – 緊急通報の機能 https://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/ictseisaku/net_anzen/hijyo/tuho.html 緊急通報位置通知システムの仕組みや義務化の経緯について詳しく解説されています。

NTT東日本 – 固定電話のIP網移行について https://www.ntt-east.co.jp/release/detail/20250929_01.html PSTN(公衆交換電話網)からNGN(次世代ネットワーク)への移行計画の公式発表。

警察庁 – 110番の適正な利用 https://www.npa.go.jp/ 110番通報の受理件数統計や、適正利用の呼びかけについて。

Wikipedia – Next-generation network https://en.wikipedia.org/wiki/Next-generation_network NGNの技術的な概要と、日本における実装(ひかり電話)について。

Wikipedia – VoLTE https://ja.wikipedia.org/wiki/VoLTE VoLTEの仕組みと、緊急通報への対応について。

【用語解説】

NGN(Next Generation Network / 次世代ネットワーク) 従来の電話網(PSTN)をIP技術に置き換えたネットワークです。NTT東西のNGNは「フレッツ光ネクスト」として提供され、ひかり電話などのサービス基盤となっています。音声通話もインターネットデータも同じIP網で扱いますが、品質保証(QoS)により音声通話の品質を確保しています。

VoIP(Voice over IP / ボイス・オーバー・アイピー) 音声をIPパケットに変換して伝送する技術の総称です。インターネット電話やSkypeなどの通話アプリも広義のVoIPですが、ひかり電話やVoLTEは通信事業者が品質を管理する「managed VoIP」として、より高い信頼性を実現しています。

G.711 μ-law(PCMU) 音声をデジタル信号に変換する方式(コーデック)の一つです。1972年にITU-Tによって標準化された古典的な方式で、音声を圧縮せずに64kbpsで伝送します。北米と日本ではμ-law方式、その他の地域ではA-law方式が使われます。圧縮しない分、帯域を消費しますが、音声品質が高く、処理が単純で遅延が少ないため、緊急通報などの重要な通話に採用されています。

QoS(Quality of Service / クオリティ・オブ・サービス) ネットワーク上のデータ転送において、特定の通信に優先度を与えたり帯域を確保したりする技術です。VoIPでは音声パケットを優先的に転送することで、通話品質を確保します。緊急通報では通常の通話よりもさらに高い優先度が設定され、ネットワークが混雑していても確実に接続されるよう制御されます。

IMS(IP Multimedia Subsystem / アイエムエス) IP網上で音声通話やビデオ通話などのマルチメディアサービスを提供するためのアーキテクチャです。VoLTEはIMSを使って実装されており、通話の優先制御、課金、位置情報通知などを統合的に管理します。携帯電話の緊急通報では、IMSが「緊急セッション」として通話を特別扱いし、QoS制御と連動して確実な接続を実現しています。

VoLTE(Voice over LTE / ボルテ) LTE(4G)ネットワーク上で音声通話を実現する技術です。従来の3G回線交換方式に比べて、呼び出し時間が短く、高音質で、通話中もLTEデータ通信が使えるというメリットがあります。技術的にはIMSを使ったVoIPの一種ですが、通信事業者が閉じたネットワーク内で品質を管理しているため、一般的なインターネット電話よりも信頼性が高くなっています。

APN(Access Point Name / アクセスポイント名) 携帯電話がモバイルネットワークに接続する際の接続先を指定する識別子です。一般的なインターネット接続には「spmode.ne.jp」(NTTドコモの例)などのAPNが使われますが、VoLTEの音声通話には「ims」という専用APNが使われます。この専用APNを通過する通信は、ネットワーク内で優先的に扱われるため、混雑時でも音声通話が途切れにくくなっています。

GPS(Global Positioning System / 全地球測位システム) 複数の衛星からの電波を受信して、地球上の位置を特定する技術です。携帯電話の緊急通報では、GPS測位が可能な場合は数十メートル以下の精度で位置情報が通知されます。ただし、屋内や地下、トンネル内など衛星の電波が届かない場所では測位できないため、その場合は基地局の位置情報(数百メートル〜数キロメートルの精度)が使われます。

PSTN(Public Switched Telephone Network / 公衆交換電話網) 従来の電話網の総称です。銅線(メタル回線)と交換機を使って回線交換方式で音声を伝送していました。日本では2024年12月にNGN(IP網)への移行が完了し、銅線自体も2035年頃までに段階的に廃止される予定です。ただし移行期間中は「メタルIP電話」として、既存の銅線を使いながらもIP技術で通話が行われています。

緊急通報位置通知システム 携帯電話や固定電話から緊急通報(110番・118番・119番)を行った際に、発信者の位置情報を自動的に警察・消防・海上保安庁へ通知するシステムです。2007年4月1日から義務化されました。固定電話では契約者住所、携帯電話ではGPSまたは基地局情報が通知されます。非通知設定(184)をつけた場合でも、緊急通報については位置情報が通知されますが、人命に関わる緊急性があると判断された場合にのみ、受理機関が強制的に取得することもあります。

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Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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