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「オワコン」では終わらないFAX──到達性と通信技術の交差点

[更新]2025年12月30日

 - innovaTopia - (イノベトピア)

FAX(ファクシミリ)は「時代遅れ」「日本だけが使い続けている」と語られることが多くなりました。しかし2024年、電子メールの到達性が揺らぎ始めた今、FAXの価値が静かに見直されています。とりわけ医療や行政の現場では、この「古い」技術が、現代のインターネット通信よりも信頼できる選択肢として機能し続けているのです。

電話より33年早く生まれた「視覚の通信」

FAXの歴史は、多くの人が想像するよりもはるかに古いものです。

1843年、スコットランドの発明家アレクサンダー・ベインは、電気時計の仕組みを応用して「画像を電気信号で送る装置」を考案しました。これがFAXの原型です。この年は、グラハム・ベルが電話を発明する33年も前のことでした。人類は「音声」よりも先に、「視覚情報」を遠隔地に送る技術を手に入れていたのです。

日本でのFAX実用化は1928年。日本電気の丹羽保次郎と小林正次が開発したNE式写真電送装置により、昭和天皇の即位礼の写真が京都から東京へと電送されました。当時、新聞各社は飛行機でフィルムを空輸していましたが、この技術により「その日のうちに」写真を届けることが可能になりました。

FAXは単なる通信技術ではなく、人類が「形を伝える」という課題に挑んだ最初の試みでした。文字や図面を遠隔地に送るという行為は、産業革命期の契約書や特許図面のやりとりに不可欠だったのです。

「日本だけ」という誤解

「FAXを使い続けているのは日本だけ」──この認識は、実はデータと矛盾します。

一般社団法人情報通信ネットワーク産業協会(CIAJ)が2023〜2024年に実施した調査によれば、業務でFAXを使用している割合は、アメリカで69.0%、ドイツで50.7%、日本では40.1%でした。日本よりも、むしろ米独の方が使用率は高いのです。

使い続ける理由も国によって異なります。アメリカでは「確実に届くから」(41.4%)が最多である一方、ドイツでは「FAXを使う取引先が多いから」(46.6%)が主な理由です。そして両国に共通しているのが、サイバーセキュリティへの配慮でした。

アメリカの医療機関では、HIPAA(医療保険の携行性と責任に関する法律)に基づき、患者情報の安全な伝送手段としてFAXが選ばれています。電子メールは第三者による盗聴やマルウェア感染のリスクがありますが、FAXは電話回線を使うため、インターネット経由の攻撃を受けにくいという利点があるのです。

日本でも同様です。医療機関で使用されるパソコンは、基本的にインターネットに接続されていません。患者の生命に関わる検査結果を送る際、「迷惑メールフォルダに入っていて気づかなかった」という事態は許されないのです。警察においても、捜査情報や裁判手続き書類は外部とのメール接続を遮断した環境で扱われており、機密性の高い情報はFAXで送受信されています。

FAXが生き残っているのは、慣習や制度だけではありません。それは特定の脅威モデルに対して、今なお合理的な選択肢であり続けているからです。

電子メールは「確実な通信」ではなくなった

2024年2月、電子メールを取り巻く環境は大きく変化しました。

GmailとYahoo!メールは、なりすましメール対策として送信者に新たな要件を課すガイドラインを導入しました。具体的には、SPF(Sender Policy Framework)、DKIM(DomainKeys Identified Mail)、DMARC(Domain-based Message Authentication, Reporting and Conformance)という三つの送信ドメイン認証技術を正しく設定していないメールは、迷惑メール判定されるか、最悪の場合は受信拒否される可能性が高まったのです。

これらの技術は、送信者が正当であることを証明する仕組みです。SPFは送信元サーバーのIPアドレスを検証し、DKIMはメール内容の改ざんがないことを暗号化で保証します。そしてDMARCは、これら二つの認証結果に基づいて、認証に失敗したメールをどう扱うか(そのまま配信/隔離/拒否)を受信側に指示します。

問題は、この設定の複雑さです。DNS設定、暗号鍵の管理、ポリシーの調整──企業の規模によっては専門知識を持つ担当者がいない場合もあります。設定ミスがあれば、正当なビジネスメールが取引先に届かないという事態が起こりえます。さらに、複数のメール配信サービスを使っている場合、すべてのサービスでSPFレコードを正しく設定しなければなりません。

現代の電子メールは、送ったかどうかではなく「届いたと見なされるか」がブラックボックス化しています。スパムフィルタ、ブラックリスト、クラウドメール事業者による恣意的とも言える到達制御──企業間取引や法的文書のやり取りにおいて、「相手に届いたことを前提に業務を進められる通信手段」は、もはや電子メールだけでは保証しづらくなっているのです。

その点FAXは、回線レベルでの接続とプロトコル完了(T.30)によって到達が明確に判定されます。送信側は、相手のFAX機が受信を完了したかどうかを確認でき、受信側は紙として出力されるため「見落とし」のリスクも低くなります。この「曖昧さのなさ」こそが、日本を含む多くの国でFAXが選ばれ続けている最大の理由です。

なぜVoLTE/IMSではFAXが通らないのか

技術的な視点から見ると、FAXが今も機能している理由は、通信プロトコルの設計思想にあります。

携帯電話網のVoLTE(Voice over LTE)は、人間の音声通話に最適化されたIP通信です。そこで使われるAMR-WB(Adaptive Multi-Rate WideBand)というコーデックは、50Hz〜7.5kHzの音声帯域を効率よく圧縮し、通話品質を高めています。しかしこのコーデックには、いくつかの特性があります。

波形の線形性を保たない。位相や微細な振幅変化を保存しない。非可聴に近い成分や急峻な変化を積極的に捨てる──。

これらはすべて、人間の耳に聞こえる音を「心地よく」伝えるための工夫です。AMR-WBは知覚音質を最優先し、ビットレートを抑えながら自然な音声を再現します。

ところがFAXは、音声のように見えて実際にはアナログ回線上のデータ通信(モデム通信)です。画像情報を音響信号に変換して送っているため、波形の忠実性が極めて重要になります。AMR-WBが「不要」と判断して捨てた情報の中に、FAXの復号に必要なデータが含まれているのです。そのため、VoLTE/IMS上で「音声として」FAXを流すことは、原理的に困難と言えます。

一方、固定電話網(PSTN)は内部的にIP化・光化が進んでいますが、FAXは今も問題なく動作します。これは、G.711というコーデックが使われているからです。

G.711は、64kbpsの非圧縮でサンプル値を単純に量子化するだけのシンプルな方式です。高い線形性と波形保存性を持ち、アナログモデム信号を「ほぼそのまま」運ぶことができます。回線の実体が光ファイバーやIP網に置き換わっても、端末から見れば「昔と同じ電話線」として機能するのです。

近代的で高性能なOpusのようなコーデックでFAXができないのも、これは欠点ではありません。Opusは知覚音質と遅延を最優先し、FAXが必要とする物理層的な忠実性を目的としていないのです。

FAXは「技術的に古い」のではなく、「前提が違う」のです。それは、通信の完了が明確であり、中継ノードの恣意的判断が介在せず、物理層に近い信号忠実性を前提としている──現代のインターネット通信がむしろ失いつつある性質を、今も保持し続けています。

そして進化する──クラウドFAXという選択

FAXが「古い」だけの技術であれば、ここまで生き残ることはなかったでしょう。実際、FAXは進化しています。

クラウドFAX、あるいはインターネットFAXと呼ばれるサービスは、FAXの物理層(紙・FAX機・電話回線)とプロトコル層(送受信の確実性)を分離する試みです。送受信はインターネット経由で行い、データはPDF形式でクラウド上に保存されます。相手が従来のFAX機を使っていても、サービス事業者が仲介して変換するため、互換性は保たれます。

この方式により、いくつかのメリットが生まれました。テレワーク対応──自宅や外出先からでもFAXを送受信できます。ペーパーレス化──紙・トナー・FAX機が不要になり、コストが削減されます。業務自動化──受信FAXをOCRで自動テキスト化し、基幹システムに連携することも可能です。

医療業界では、電子カルテとクラウドFAXを連携させ、診療情報提供書を自動送信する仕組みが導入されています。製造・物流業界では、発注書や納品書をクラウド上で管理し、検索性と保管効率を高めています。既存のFAX番号をそのまま使える番号ポータビリティに対応したサービスもあり、取引先に負担をかけることなく移行できます。

クラウドFAXは、FAXの「確実に届く」という本質的価値を保ちながら、デジタル時代の利便性を取り入れた進化形です。これは単なる延命措置ではなく、FAXというプロトコルの信頼性が、新しい時代にも適応できることを示しています。

技術は「適切さ」で選ばれる

FAXは確かに古い技術です。しかしそれは「時代遅れ」なのではなく、異なる脅威モデル・異なる信頼モデルの上に立つ通信手段なのです。

電子メールが万能ではなくなった現在、「確実に届く」という価値は、改めて見直されるべきかもしれません。VoLTEで動かない理由も、単なる技術的制約ではなく、設計思想の違いによるものです。そしてクラウドFAXという進化形は、この「古い」技術が、まだ終わっていないことを静かに示しています。

通信技術の選択は、新しさではなく適切さによって決まります。


用語解説

FAX(ファクシミリ / Facsimile)
ラテン語の「fac simile(そっくり作る)」が語源。文字や図形、写真などの静止画像を電気信号に変換し、電話回線を通じて遠隔地に送信する通信方式。受信側では原画像を再生して記録します。

VoLTE(Voice over LTE)
LTEのデータ通信網を使って音声通話を行う技術。従来の3G回線と比べて高音質で、通話中も高速データ通信が可能です。ただし音声に最適化されているため、FAXのようなモデム通信には適していません。

AMR-WB(Adaptive Multi-Rate WideBand)
VoLTEで使用される音声コーデック。50Hz〜7.5kHzの広帯域音声を圧縮し、人間の耳に自然な音質を実現します。知覚音質を優先するため、波形の忠実性は保証されません。

G.711
固定電話網で使われる音声コーデック。64kbpsの非圧縮方式で、高い波形保存性を持ちます。この特性により、FAXのモデム信号をほぼそのまま伝送できます。

T.30プロトコル
FAX通信の国際標準規格。送受信の手順、エラー訂正、通信速度の調整などを定めています。このプロトコルにより、異なるメーカーのFAX機同士でも通信が可能になります。

SPF(Sender Policy Framework)
メール送信元のIPアドレスを検証する技術。ドメイン所有者が「このサーバーからメールを送信する」と事前にDNSに登録しておき、受信側がそれを照合します。

DKIM(DomainKeys Identified Mail)
メールの内容が改ざんされていないことを暗号技術で保証する仕組み。送信側が電子署名を付与し、受信側が公開鍵で検証します。

DMARC(Domain-based Message Authentication, Reporting and Conformance)
SPFとDKIMの認証結果に基づいて、認証失敗時の処理方法(配信/隔離/拒否)を指示する技術。なりすましメール対策として2024年2月からGmailとYahoo!メールで強化されました。

クラウドFAX(インターネットFAX)
インターネット経由でFAXを送受信するサービス。データはPDF形式でクラウド上に保存され、パソコンやスマートフォンから操作できます。従来のFAX機との互換性も保たれています。

OCR(Optical Character Recognition / 光学文字認識)
画像やPDF内の文字をテキストデータに変換する技術。クラウドFAXサービスでは、受信したFAXを自動的にテキスト化し、検索や編集を可能にします。

HIPAA(Health Insurance Portability and Accountability Act)
アメリカの医療保険の携行性と責任に関する法律。患者情報の安全な取り扱いを義務付けており、FAXはHIPAAに準拠した通信手段として認められています。


Information

参考リンク

FAXの歴史と技術

国際比較データ

メール送信ドメイン認証

クラウドFAXサービス

  • クラウドFAXサービスは複数の事業者が提供しており、テレワーク対応や業務自動化のニーズに応じて選択できます。導入の際は、既存FAX番号の継続利用可否、セキュリティ対応、システム連携機能などを確認することをお勧めします。

関連トピック

通信プロトコルの進化
FAXからクラウドFAXへの移行は、通信技術における「物理層」と「論理層」の分離を示す好例です。プロトコルの本質的な価値(到達の確実性)を保ちながら、実装方法を時代に合わせて進化させることは、他の技術分野でも応用可能な考え方と言えるでしょう。

セキュリティと利便性のトレードオフ
医療や行政の現場でFAXが選ばれ続ける背景には、「インターネットから切り離す」という古典的なセキュリティ対策の有効性があります。最新技術が常に最適解とは限らず、用途に応じた技術選択の重要性を示しています。

技術の「適切さ」という視点
技術評価において「新しい=優れている」という単純な図式は必ずしも成立しません。脅威モデル、信頼モデル、運用コスト、互換性──これらを総合的に判断したとき、時に「古い」技術が最も合理的な選択肢となることがあります。FAXはその代表例と言えるでしょう。

投稿者アバター
Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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