英国Ilikaが12月18日、体内埋め込み型医療機器向け固体電池「Stereax M300」のプロトタイプ出荷を発表した。あなたの体内に「充電式IoTセンサー」が埋め込まれ、24時間365日健康データをクラウドに送信する──SF的な未来が、ついに商業化フェーズに入った。
Ilikaは固体電池技術の企業であり、プロトタイプのStereax M300の出荷を開始したと発表した。出荷先は既存の受注帳にある21社であり、一部はM300のテストプログラム向けである。
M300は能動埋め込み型医療機器の用途を想定し、埋め込み型センサー、神経刺激装置、整形外科用インプラント、歯科矯正用ウェアラブル、眼科用デバイスでの利用が挙げられている。Ilikaは2023年8月にCirtec Medicalと10年間の製造契約を締結しており、Cirtec MedicalがStereax電池ポートフォリオを製造する。
Graeme Purdyは、対象市場規模を400億ドル超、年平均成長率を高い一桁台、ミニチュア電池コンポーネントの市場を2億5000万ドル超としている。IlikaはStereaxとGoliathの2製品ラインを持ち、ライセンスビジネスモデルを採用している。Cirtec MedicalはクラスIIおよびIII医療機器の設計・製造企業であり、11のグローバル施設を有している。
From:
Ilika Announces Initial Stereax M300 Shipments
【編集部解説】
Stereax M300の初回出荷は、IlikaとCirtec Medicalがここ数年積み上げてきた技術移転と量産立ち上げの「実証フェーズ入り」を意味します。単なる試作発表ではなく、21社の具体的な顧客にプロトタイプを届け、量産に向けたフィードバックループが回り始めたタイミングだと捉えると、このニュースの重みが見えてきます。
今回のM300は「能動埋め込み型医療機器(AIMD)」向けに設計された固体電池で、フットプリントは3.6mm×5.6mm、厚さ1.1mm、容量300µAhというミリスケールのマイクロバッテリーです。従来のリチウムイオン二次電池と比べて電解質が固体であるため、漏液リスクの低減や高エネルギー密度が期待され、埋め込み型センサーや神経刺激装置、眼科デバイスなど、体内の「より治療部位に近い場所」に電源を置きやすくなります。
医療現場の観点で重要なのは、M300クラスの固体電池によって、手術時間の短縮やバッテリー交換手術の回数削減、自宅でのワイヤレス充電といった運用が現実味を帯びてくることです。これにより、患者の身体的・経済的負担が軽くなり、同時に、埋め込みデバイス側はBluetooth通信など常時接続に近いデータ送信も視野に入れた設計がしやすくなります。
一方で、AIMD向け固体電池の普及は、規制・安全基準の更新を伴う長期戦でもあります。電池そのものは固体電解質で安全性が高いとされますが、長期埋め込み時の材料劣化、生体適合性、ワイヤレス充電による発熱管理など、治験と市販後データを踏まえた検証が欠かせません。各国規制当局や標準化団体も、固体電池前提のインプラント設計指針や試験プロトコルを整備していく必要があり、その動きは今後数年スパンで進むと見られます。
ビジネス的には、Graeme Purdy氏が言及するAIMD関連市場「400億ドル超」の中で、ミニチュア電池だけでも2億5000万ドル超のポケットがあるという見立てが示されています。ここに対して、IlikaはIPライセンスモデルでStereaxを展開し、Cirtec Medicalが製造プラットフォームを担う構図で、すでに2023年8月の10年契約から2025年の量産ライン資格取得までのロードマップは、おおむね計画通りに進んでいるようです。
このニュースが示しているのは、「スマートインプラント時代の電源」がようやく現実のサプライチェーンに乗り始めた、という転換点です。口腔内で唾液を常時計測するLura Healthのような事例に見られるように、これまでバッテリー制約で諦められてきたマイクロセンサー設計が、体内のより多くの部位に広がっていく可能性があります。同時に、人体データの連続取得・クラウド連携が加速することで、プライバシー保護やサイバーセキュリティといった新たなリスクマネジメントも必須になります。
テクノロジーの視点で見ると、今回のM300初回出荷は「固体電池×医療グレードマイクロバッテリー」というニッチでありながら、将来のスマート義肢、ブレイン・コンピューター・インターフェース、身体拡張系デバイスへの入り口でもあります。未来志向の読者にとっては、EV向けの大型固体電池競争の陰で静かに進んでいた「体内コンピューティングの電源インフラ」が、実用段階に入りつつあるサインとして捉えると、今後追うべき技術軸がクリアになるはずです。
【用語解説】
Stereax M300
Ilikaが開発した医療機器向け小型固体電池。サイズは3.6mm×5.6mm、厚さ1.1mm、容量300µAh。体内埋め込み型センサーや神経刺激装置などのAIMD用電源として設計されている。
固体電池(固体電解質電池)
従来のリチウムイオン電池が液体電解質を使用するのに対し、固体の電解質を用いる次世代電池技術。漏液リスクが低く、高エネルギー密度、長寿命が特徴で、医療機器や電気自動車への応用が進んでいる。
AIMD(能動埋め込み型医療機器)
Active Implantable Medical Deviceの略。体内に部分的または完全に埋め込まれ、長期間留まることを目的とした医療機器で、電力源や重力以外のエネルギーで動作する。ペースメーカー、除細動器、神経刺激装置、人工内耳などが含まれる。
IPライセンスモデル
知的財産(Intellectual Property)のライセンス供与を中心としたビジネスモデル。Ilikaは自社で製造せず、技術とIPをOEMや製造パートナーに提供し、ライセンス料とロイヤリティを得る方式を採用している。
Goliath
Ilikaが開発するもう一つの固体電池製品ライン。M300が医療・IoT向けの小型バッテリーであるのに対し、Goliathは電気自動車やコードレス家電向けの大型フォーマット電池として設計されている。
【参考リンク】
Ilika plc(外部)
英国の固体電池技術パイオニア企業。医療機器向けStereaxとEV向けGoliathを展開し、IPライセンスモデルで技術供与を行う。
Cirtec Medical(外部)
クラスII・III医療機器の設計・製造を手掛ける米国企業。2023年8月にIlikaと10年製造契約を締結し、Stereax電池を生産。
Lura Health(外部)
唾液モニタリング技術で健康管理ソリューションを提供。歯に装着するセンサーで血糖値など1,000以上の健康マーカーを測定する。
【参考記事】
Stereax Battery Production Milestone at Cirtec Medical(外部)
2025年8月の製造マイルストーン達成を報じるIlika公式発表。Cirtec Medicalの資格取得完了と商業生産準備を伝える。
Solid-State Batteries Unlock the Full Potential of Smart Implants(外部)
固体電池がスマートインプラントにもたらす可能性を解説。安全性向上、エネルギー密度増加、ワイヤレス充電との組み合わせを詳述。
The Growth of Solid-State Batteries for Medical Device Power(外部)
医療機器向け固体電池の技術特性を包括解説。漏液リスク軽減、高エネルギー密度、長寿命化、デザイン柔軟性の利点を説明。
Ilika completes micro-battery qualification with Cirtec Medical(外部)
2025年9月のCirtec MedicalによるStereaxマイクロバッテリー資格取得完了を報道。商業生産開始への最終準備段階を伝える。
Ilika Technologies, Cirtec Medical sign joint manufacturing license(外部)
2023年8月のIlikaとCirtec Medical間の10年製造ライセンス契約締結を報じる業界ニュース。契約背景と戦略的意義を解説。
【編集部後記】
私たちの身体が、いつの間にかIoTネットワークの一部になっていく──そんな未来が想像以上に近づいているのかもしれません。体内に埋め込んだセンサーが24時間365日データを送り続け、AIが異常を検知してくれる世界は、安心なのか、それとも少し息苦しいのか。
みなさんは、自分の健康データがクラウド上でリアルタイム管理される生活を、どう受け止めますか?便利さと引き換えに何を手放すことになるのか、一緒に考えていけたらと思います。































