Microsoftでコーポレートバイスプレジデント(量子担当)を務めるズルフィ・アラム氏はCNBCの取材に対し、2029年までに古典的なコンピュータでは実行不可能な計算を行える商用量子コンピュータがデータセンターで稼働すると述べた。
Microsoftは2025年2月にトポロジカル量子ビットアーキテクチャを採用した「Majorana 1」チップを発表しており、DARPAのUS2QCプログラム最終フェーズにも選出されている。IBMは2029年までに耐障害性量子コンピューティングの実現を、Amazonは「Ocelot」チップでエラー訂正リソースの最大90%削減を、Googleは2024年12月に「Willow」チップで閾値以下のエラー率達成をそれぞれ発表した。
業界ロードマップは実用的な量子システムの展開時期を2028年から2032年に見込んでおり、量子コンピューティング市場は2025年の約25億ドルから2035年に160億ドル超へ成長すると予測されている。
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Quantum’s big leap puts data centers in the spotlight
【編集部解説】
今回の発表で注目すべきは、Microsoftの量子担当トップであるアラム氏が「2029年」という具体的な年限を、従来になく強い確信をもって示した点です。量子コンピューティングの商業化予測は長年「10年後」と言われ続けてきましたが、その時間軸がいよいよ圧縮されつつあります。
Microsoftが採用するトポロジカル量子ビットは、他社のアプローチとは根本的に異なります。IBMやGoogleが採用する超伝導量子ビットや、IonQが手がけるイオントラップ方式では、量子ビットが環境からの干渉を受けやすく、大量の物理量子ビットを使ってエラーを訂正する必要があります。一方、Microsoftのトポロジカル方式は、量子ビットそのものにハードウェアレベルでエラー耐性を組み込むことで、スケーラビリティの壁を突破しようとするものです。
ただし、冷静に見る必要もあります。Majorana 1チップに搭載されているのは現時点で8個のトポロジカル量子ビットであり、Microsoftが目標とする100万量子ビットとの間には依然として大きな隔たりがあります。Nature誌に掲載された論文ではトポロジカル量子ビットの生成と測定に成功したことが示されましたが、これはあくまで原理実証の段階です。
競争環境も急速に変化しています。IBMは2029年に200論理量子ビットで1億ゲート演算を実行する「Starling」の稼働を計画しており、その先には2033年の「Blue Jay」(2,000論理量子ビット、10億ゲート演算)を見据えています。Googleの「Willow」チップは量子ビット数を増やしながらエラー率を閾値以下に抑えることに成功し、Amazonの「Ocelot」はキャット量子ビットという新しいアプローチでエラー訂正のオーバーヘッドを大幅に削減する可能性を示しています。各社がそれぞれ異なるアーキテクチャで同じ目標に向かっており、どの方式が最終的に勝利するかはまだ確定していません。
この技術がもたらす実用的な影響として、まずデータセンターのエネルギー効率が挙げられます。UBSのレポートによれば、将来的に数千万ドル規模のコストで構築される量子コンピュータが、従来のスーパーコンピュータで1万年かかる問題をわずか200秒で解決できるようになるとされています。処理時間が劇的に短縮されれば、消費電力も大幅に減少する可能性があります。コーネル大学のユー・フェンチー教授らの研究チームが学術誌「Advances in Applied Energy」に発表したフレームワークでは、変分量子回路と古典的最適化を組み合わせることで、AIデータセンターのエネルギー消費を最大12.5%、炭素排出量を9.8%削減できる可能性が示されています。
一方で、量子コンピューティングの進歩は暗号技術に対する深刻なリスクも伴います。UBSは、十分に強力な量子コンピュータが現在の公開鍵暗号方式を破る可能性があると警告しています。Microsoft自身もこの問題を認識しており、2014年からポスト量子暗号(PQC)の研究に取り組み、NISTやIETFなどの標準化団体と連携しながら、2029年までにPQC機能の早期導入、2033年までに自社サービスの完全移行を目指すロードマップを公表しています。企業にとっては、量子コンピュータの恩恵を享受する準備と同時に、量子時代の暗号リスクに対する防御を今から始める必要があるということを意味しています。
業界全体のロードマップが2028年から2032年に収束していることは、量子コンピューティングが「いつか来る未来」から「計画すべき現実」へと移行したことを示しています。UBSのアナリストであるマデレイン・ジェンキンス氏は2027年を業界ロードマップにおける重要な年と指摘しており、S&P Global Market Intelligenceのエリー・ブラウン氏は実用的な量子システムの展開時期を2028〜2032年と分析しています。UBSは量子優位性の本格的な到来を2030年代初頭と見ています。量子コンピューティング市場が2025年の約25億ドルから2035年に160億ドル超へと成長するとの予測は、この技術が研究段階から産業インフラへと転換しつつあることの証左といえます。
【用語解説】
トポロジカル量子ビット(Topological Qubit)
量子ビットの一種で、物質のトポロジカル(位相幾何学的)な性質を利用してエラー耐性をハードウェアレベルで実現する方式。環境からの干渉に強く、エラー訂正に必要な物理量子ビット数を大幅に削減できる可能性がある。
トポコンダクター(Topoconductor)
Microsoftが開発した新種の素材(トポロジカル超伝導体)。インジウムヒ素とアルミニウムを原子単位で積層して作られ、自然界には存在しないマヨラナ粒子を人工的に生成・制御することを可能にする。
論理量子ビット(Logical Qubit)
複数の物理量子ビットを組み合わせてエラー訂正を施した、信頼性の高い量子ビットの単位。実用的な量子計算には、物理量子ビットではなく論理量子ビットの数が重要となる。
量子エラー訂正(Quantum Error Correction / QEC)
量子ビットが環境干渉によって生じる計算エラーを検出・修正する技術。耐障害性量子コンピュータの実現に不可欠な基盤技術である。
耐障害性量子コンピューティング(Fault-Tolerant Quantum Computing)
量子エラー訂正を組み込み、長時間にわたる複雑な計算を信頼性をもって実行できる量子コンピューティングの段階。各社が2029年前後の達成を目標としている。
ポスト量子暗号(Post-Quantum Cryptography / PQC)
量子コンピュータによる攻撃にも耐えうる暗号技術の総称。現行のRSAや楕円曲線暗号が量子コンピュータで解読されるリスクに備え、NISTが新たな標準規格を策定している。
ハイパースケーラー(Hyperscaler)
需要の増減に応じて大規模にコンピューティングリソースを拡張できるクラウドサービス提供企業の総称。Microsoft、Google、Amazonなどが該当する。
US2QCプログラム
DARPAが主導する「Underexplored Systems for Utility-Scale Quantum Computing」の略称。実用規模の耐障害性量子コンピュータを従来予測より早期に実現できるかを検証するプログラムである。
【参考リンク】
Microsoft Quantum ロードマップ(外部)
Microsoftの量子コンピューティング開発計画とトポロジカル量子ビット技術の詳細を掲載する公式ページ。
IBM Quantum(外部)
IBMの量子コンピューティング公式ページ。Starling・Blue Jayのロードマップとクラウドアクセスを提供。
Google Quantum AI(外部)
Googleの量子AI研究部門公式サイト。Willowチップの成果や量子超越性に関する研究を公開している。
DARPA Quantum Benchmarking Initiative(外部)
DARPAの量子ベンチマーキング公式ページ。US2QCプログラムを含む評価プログラムの概要を掲載。
NIST Post-Quantum Cryptography(外部)
米国立標準技術研究所によるポスト量子暗号プロジェクト。新たな暗号標準の策定状況を公開している。
【参考記事】
Quantum’s big leap puts data centers in the spotlight(CNBC)(外部)
Microsoftアラム氏の2029年商業化発言とUBSの103ページレポートによる市場分析を包括的に報じた一次ソース。
Microsoft’s Majorana 1 chip carves new path for quantum computing(Microsoft Source)(外部)
Majorana 1の技術詳細を伝えるMicrosoft公式記事。8個の量子ビット搭載と100万量子ビットへの道筋を解説。
IBM lays out clear path to fault-tolerant quantum computing(IBM Quantum Blog)(外部)
Starling(200論理量子ビット、1億ゲート演算)とBlue Jayのロードマップを詳述するIBM公式ブログ。
These stocks are leading ‘meaningful breakthroughs’ in quantum computing, UBS says(CNBC)(外部)
UBSの103ページレポート詳報。量子コンピューティングの影響領域と市場分析、主要企業の評価を掲載。
Quantum AI framework targets energy intensive data centers(Cornell Engineering)(外部)
AIデータセンターのエネルギー消費を最大12.5%、炭素排出量を9.8%削減できるフレームワークの研究成果。
Quantum-safe security: Progress towards next-generation cryptography(Microsoft Security Blog)(外部)
Microsoftのポスト量子暗号ロードマップ。2029年早期導入と2033年完全移行の計画を詳述している。
【編集部後記】
量子コンピューティングの商業化が「数十年先」から「3年後」へと一気に近づいてきました。この変化は、暗号技術やデータセンター設計、そして私たちが日常的に使うクラウドサービスの在り方にまで波及する可能性があります。
みなさんが関わっている業務や事業のなかで、量子コンピューティングが影響を及ぼしそうな領域はありますか。ぜひ一緒に考えていければうれしいです。







































