2025年3月、ロンドン・クイーン・メアリー大学の応用数学教授ジネストラ・ビアンコーニ氏が、量子力学と一般相対性理論を統合する新しいアプローチを提案しました。Physical Review D誌に掲載された「Gravity from Entropy(エントロピーから生まれる重力)」と題されたこの研究は、量子相対エントロピーから重力を導き出す斬新な方法を示しています。
この理論の主な特徴は以下の通りです:
1. 時空の計量を量子演算子として扱う
これは、一般相対性理論の中心的概念である時空の幾何学を量子力学の枠組みに組み込む重要なステップです。高校物理で学ぶ位置や運動量が量子力学では演算子になるのと同じように、時空の曲がり具合を表す計量も演算子として扱います。これにより、時空の量子的な性質を表現できるようになります。
2. 量子相対エントロピーを用いた時空と物質の相互作用の記述
量子相対エントロピーは、二つの量子状態の「違い」を測る尺度です。例えば、水素原子の基底状態と第一励起状態の違いを数値化するようなものです。この概念を時空と物質の相互作用に適用することで、重力を新しい視点から理解しようとしています。
3. 「エントロピー的作用」の導入
物理学では、システムの振る舞いを記述する際に「作用」という量をよく使います。例えば、古典力学のラグランジアンがそうです。ビアンコーニ教授の理論では、時空の計量と物質場の相互作用をエントロピーの観点から表現した新しい作用を導入しています。これにより、重力の方程式(アインシュタイン方程式の修正版)が導出されます。
4. G場という補助場の導入
この G場は、エントロピー的作用をより扱いやすい形に変換するための数学的な道具です。高校物理でラグランジュの未定乗数法を学んだ人もいるかもしれませんが、それに似た役割を果たします。興味深いことに、このG場がダークマターの候補となる可能性が示唆されています。
5. 小さな正の宇宙定数の自然な出現
宇宙定数は宇宙の加速膨張を説明するために導入された概念ですが、その値の理論的予測と観測値の間には大きな不一致がありました(宇宙定数問題)。この新理論は、観測と整合する小さな正の宇宙定数を自然に導き出すことができます。
この理論は、低エネルギー極限(つまり、日常的なスケールや比較的弱い重力場)では一般相対性理論と一致します。これは、新理論が既存の理論の成功を説明できることを意味し、理論の一貫性を示す重要な特徴です。
ビアンコーニ教授は、この研究が量子重力理論の構築に向けた新しい道筋を示すとともに、ダークマターや宇宙の加速膨張といった未解決の問題に対する新たな視点を提供する可能性があると述べています。また、この理論から導かれる予測は、重力波のパターンや宇宙マイクロ波背景放射の異常など、将来の観測で検証できる可能性があります。
from:https://phys.org/news/2025-03-gravity-entropy-radical-approach-quantum.html
【編集部解説】
量子力学と一般相対性理論の統合は、現代物理学における最大の課題の一つです。この統合を目指す主な理由と、これまでの主要なアプローチ、そして最新の研究について解説します。
まず、なぜ統合が必要なのかを考えてみましょう。
1. 適用範囲の違い
量子力学は原子以下の極小の世界を扱います。例えば、水素原子の電子の振る舞いを記述するシュレーディンガー方程式は量子力学の基本方程式の一つです。この方程式を解くと、電子のエネルギー準位や波動関数が得られます。
一方、一般相対性理論は宇宙規模の現象を扱います。例えば、太陽系内の水星の軌道のわずかなずれ(近日点移動)を正確に予測できるのは一般相対性理論の成果です。これは、太陽の重力場による時空の歪みを考慮することで説明されます。
問題は、ブラックホールの中心部や宇宙初期のような極端な状況では、両方の理論が必要になることです。しかし、現状では二つの理論を単純に組み合わせることができません。
2. 時空の扱いの違い
量子力学では時空は固定された背景として扱われます。例えば、二重スリット実験では、電子の位置や運動量は不確定性を持ちますが、実験装置自体の位置や時間は古典的に扱われます。
一方、一般相対性理論では時空自体が動的で曲がる対象です。例えば、ブラックホール近傍では時空が極端に歪み、光さえも脱出できなくなります。この歪みは、アインシュタイン方程式によって記述されます。
量子重力理論では、この二つの描像を統一する必要があります。つまり、時空自体も量子化する必要があるのです。
3. 確率vs決定論
量子力学は本質的に確率的です。例えば、放射性原子の崩壊を考えると、いつ崩壊するかは確率的にしか予測できません。これは、波動関数の確率解釈として知られています。
一方、一般相対性理論は決定論的です。例えば、惑星の軌道は(十分な初期条件が与えられれば)正確に予測することができます。これは、時空の幾何学が重力場を完全に決定するためです。
量子重力理論では、この確率的な性質と決定論的な性質をどのように調和させるかが大きな課題となっています。
4. 無限大の問題
両理論を単純に組み合わせると、計算結果が物理的に意味のない無限大になることがあります。例えば、点粒子の自己エネルギーを計算しようとすると、量子場の理論では発散(無限大)が生じます。
これは、極小スケールでの重力の振る舞いが、現在の理論では適切に記述できていないことを示唆しています。量子重力理論は、この問題を解決する必要があります。
これらの不整合を解決し、すべてのスケールで適用可能な統一理論を構築することが、物理学者たちの長年の夢となっています。そのような理論が構築できれば、ビッグバン直後の宇宙やブラックホールの中心部など、極端な条件下での物理現象を理解することができるかもしれません。