1564年2月15日、イタリア・トスカーナ大公国のピサで、一人の男児が産声をあげました。父ヴィンチェンツォは音楽家で呉服商。母ジュリアは温厚な女性でした。夫婦は長男に「ガリレオ・ガリレイ」と名付けました。この日、誰も知るよしもありませんでした。この赤ん坊が、後に「真実」と「権威」の衝突を象徴する存在になることを。
ガリレオ・ガリレイ。望遠鏡で宇宙を覗き、地動説を支持し、宗教裁判にかけられた「近代科学の父」。しかし、この物語は単純な「勇敢な科学者 vs 頑迷な教会」という図式では語れません。
真実を語ることは、なぜこれほど難しいのか?
望遠鏡が見せたもの
1610年、45歳のガリレオは自作の望遠鏡を夜空に向けました。20倍の倍率で見えたのは、月面の凹凸、そして木星の周りを回る4つの衛星でした。翌年、観測結果を論文で発表します。木星の衛星の発見は、当時信じられていた天動説—地球は宇宙の中心で動かず、すべての天体が地球の周りを回っている—には不利な証拠でした。
ガリレオ自身は敬虔なカトリック信徒でした。科学と信仰の矛盾を感じていなかったかもしれません。ただ、望遠鏡で見たものを、記録したかっただけかもしれません。
しかし、時代はそれを許しませんでした。
友情と裏切り
1623年、ガリレオに朗報が届きます。友人のバルベリーニ枢機卿が、ローマ教皇ウルバヌス8世に選出されたのです。この友人は、かつてガリレオの研究を支持していました。ガリレオは安堵したでしょう。
1632年、68歳のガリレオは主著『天文対話』を出版します。地動説と天動説を対話形式で論じた本でした。イタリア語で書かれ、一般の人々も読めるようにしました。当時、学術書はラテン語で書くものとされていましたが、ガリレオはその伝統を破りました。
ところが、この本が友人を激怒させます。『天文対話』に登場する「シンプリチオ」—「頭の単純な人」という意味—は教会の意見を代弁する人物でした。誰かが教皇に吹き込みました。「シンプリチオは、あなた自身ではないか」と。
真偽は不明です。しかし、教皇は激怒し、裁判を命じました。当初ガリレオを支持していたウルバヌス8世が、掌を返したかのようにガリレオを非難するようになったのです。
1633年、69歳のガリレオはローマへ連行されました。異端審問所での尋問。枢機卿たちは最後の判決を言い渡す瞬間まで、被告と顔を合わせることはありませんでした。6月22日、判決。有罪。終身禁固(後に軟禁へと変更)。
「それでも地球は動いている」—有名な言葉ですが、これは後世の創作です。ガリレオはそう呟かなかったでしょう。呟けば、再び裁判にかけられるからです。
2018年の発見—完璧ではない人間
2018年8月2日、ロンドンの王立協会図書館で、一通の手紙が発見されました。イタリア・ベルガモ大学の博士研究員サルヴァトーレ・リッチャルド氏が、オンラインカタログを閲覧中に偶然見つけたものです。
1613年12月21日付、ガリレオが友人ベネデット・カステッリに宛てた7ページの手紙。署名は「G.G.」。筆跡鑑定により、ガリレオの自筆と確認されました。この手紙には、ところどころ線が引かれ、表現が修正されていました。
例えば、「言葉の文字通りの意味であるならば偽り」という部分。「偽り」から「真実とは異なるようだ」へ。聖書の記述が「秘匿されている」という表現は、「ベールに包まれている」へ。ガリレオ自身が、強い表現を和らげていたのです。
つまり、ガリレオは異端審問を回避しようと、必死だったのです。真実を曲げたわけではありません。しかし、表現を選んだ。生き延びるために。
私たちはガリレオを「真実のために戦った英雄」として記憶しています。しかし実際のガリレオは、葛藤し、恐れ、生き延びる方法を探した人間でした。完璧ではなかった。それでも、研究を続けました。
娘の手紙
軟禁されたガリレオを支えたのは、娘でした。長女ヴィルジニアは修道女となり、マリア・チェレステと名乗っていました。「チェレステ」—イタリア語で「天」。父の愛する天文学にちなんだ名前です。
ガリレオの死後、文書の中から124通の手紙が見つかりました。マリア・チェレステから父への手紙です。
1633年7月2日、裁判で有罪判決が出た直後の手紙にはこう書かれていました。「最愛の父上様、今こそ、以前のいかなるときにも増して、主なる神が御身に授け給うた思慮深さを発揮すべきときだと思います」
マリア・チェレステは薬剤係でした。病弱な父のために薬を調合し、送りました。父は庭で果物を育て、娘に届けました。娘は襟や枕カバーを作り、お菓子を焼きました。修道院の窮乏に耐えかね、父にお金を無心することもありました。物心両面で、父娘は支え合いました。
1634年、マリア・チェレステは33歳で亡くなりました。追い打ちをかけるように、ガリレオは1637年に片目を、1638年頃には両目を失明します。
しかし、ガリレオは研究を続けました。口述筆記で成果を残し、1638年には『新科学対話』を著しました。物体の落下運動についての研究です。1642年1月、ガリレオはフィレンツェの自宅で、軟禁のまま、許されることなく息を引き取りました。77歳でした。
私たちは、どこにいるのか
1992年10月31日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は声明を発表しました。「ガリレオ裁判は誤りであった」。ガリレオの死から350年後のことです。
2026年現在、科学者と権力の対立は終わっていません。気候科学者は政治的圧力に直面し、パンデミック対応では専門家への攻撃が世界中で起きました。「権威主義体制への静かな移行は、専門家への攻撃から始まる」—ある政治学者はそう警告します。
ガリレオは完璧な英雄ではありませんでした。真実を語るため、表現を和らげました。友人に裏切られ、娘を失い、失明しても、それでも研究を続けました。
真実を語ることの代償を、ガリレオは払い続けました。では私たちはどうするべきでしょうか?
Information
【参考リンク】
【用語解説】
- 天動説(地球中心説):地球が宇宙の中心にあり、太陽や惑星がその周りを回っているという説。古代ギリシャのアリストテレスやプトレマイオスが体系化しました。
- 地動説(太陽中心説):太陽が宇宙の中心にあり、地球を含む惑星が太陽の周りを回っているという説。ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスが1543年に提唱しました。
- 異端審問:カトリック教会が設置した宗教裁判所。聖書やカトリック教会の正統な教義に反する思想を取り締まり、異端であると自覚させ、改悛させることを目的としていました。





































