小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います。
――北村薫『空飛ぶ馬』(東京創元社、1989年)より
「日本に生まれただけでもありがたいと思いなさい」。子どものころ、一度くらいはそう言われたことがあるかもしれません。ただ、そう言われても、比べる相手の人生がどんなものなのか、私たちはほとんど知らないままです。
その「知らない人生」を、30分から1時間半で最後まで生きてみるゲームがあります。ブラウザで遊べる人生シミュレーション『80億分の1』です。
「どこで、誰の子として生まれるかは選べません」
『80億分の1』(1in8b.life)は、地球上のどこかにランダムに生まれ、ひとりの一生を最後まで生きるシミュレーションです。日本語、英語、韓国語に対応しており、無料で遊べます。
生まれる国は、141か国の統計にもとづいて決まります。国ごとの出生数か人口比のどちらで決めるかは選べますが、国そのものは選べません。データは国連の世界人口推計、世界銀行、WHO、UNESCO、ILOなどの公開統計から取られています。乳児死亡率、所得の不平等、教育年数、児童婚の割合、医療費の自己負担などが人生に反映され、亡くなる時期は国別・男女別の生命表に従って決まります。
プレイヤーは毎年、何に力を入れるかを選び、進学・仕事・恋愛・移住・治療といった分かれ道で決断します。同じ1秒に生まれた別の4人の人生も、画面の横で並んで進んでいきます。5歳、15歳、30歳、50歳、70歳の節目では時間が止まって問いが投げかけられ、人生が終わるとその人にひとこと声をかけられます。
韓国・国民日報の報道によると、運営者「진휘어스」(仮名)は10月5日、AIへの指示からおよそ4時間でこのサイトを公開しました。Threadsに投稿したリンクはSNSで広がり、運営者によると、10月7日の訪問者数は前日の約7倍になったそうです。
統計の「3.3%」と、ひとりの人生
国民日報が紹介した例では、5歳の節目に「この国の子どもの3.3%は5歳の誕生日を迎えられない。この子は迎えた」という趣旨の文が表示されます。3.3%は全体についての数字です。でも、ひとりの子どもにとっての結果は、0か100しかありません。報告書で何度も目にしてきた数字が、ここでは一年ずつ積み重なる、ひとりの人生として目の前に現れます。
統計から誰も消さない
このゲームでいちばん考え抜かれていると感じたのは、何を描き、何を描かないかの線の引き方でした。
子どもの死、児童婚、紛争、病気、家庭内の暴力。こうした重い出来事も、実際の統計と同じ頻度で起こります。筆者の印象では、ゲームはこうした場面を避けるか、ドラマとして盛り上げるかのどちらかを選びがちです。このゲームはそのどちらも選んでいません。場面を詳しく描くことはせず、起こる頻度だけを統計に合わせています。運営者は国民日報の取材に対し、こうした出来事を外してしまえば、それを生きている人たちの人生を消すことになる、という趣旨の説明をしています。
最も難しい判断だったと思われるのが、自殺の扱いです。取材を受けた10月9日の時点で、運営者は自殺を扱っていませんでした。実際には主要な死因のひとつであるにもかかわらずです。理由として挙げていたのは二つでした。ランダムな死因として入れると、避けられない運命のように見えてしまうこと。そして、つらい時期にいるプレイヤーにその場面を見せたくないことです。一方、現在の公式サイトには、自殺も10代から実際の統計どおりに起こるが、方法や理由は描かない、と書かれています。重い出来事には相談先もあわせて案内されます。扱いを見直したように見えます。
入れれば傷つく人がいるかもしれません。外せば、統計の中にいる人たちが見えなくなります。どちらを選んでも何かを失うこの問題に、短い期間のうちに二つの答えが出されていること自体が、作り手がこの問いから逃げていない証拠だと筆者は受け止めました。現在のやり方は、自殺について報じるときに方法を書かず、相談先を示すという、WHOが報道関係者向けに示している指針とも重なります。
このゲームが社会に与える影響は、ここにもあるのではないでしょうか。子どもに起こることも、自ら命を終えることも、統計の上ではすでに存在しています。それなのに、私たちの日常の会話やエンターテインメントからは、たいてい抜け落ちています。このゲームは、それを見せ物にすることなく、「この人生にも起こりうること」として、ほかの出来事と同じ重さで差し出してきます。
これは遠い国の話に限りません。日本では、10~39歳の各年代で死因の第1位が自殺です(厚生労働省『令和4年版 自殺対策白書』)。「恵まれた国」に生まれた人生にも、その国なりの統計があります。日本に生まれたプレイヤーは、そこでもまた、数字ではなくひとりの人生としてそれに向き合うことになります。
無知のヴェールを「生きる」
政治哲学者のジョン・ロールズは『正義論』(1971年)の中で、ひとつの思考実験を示しました。自分がその社会のどの家庭に、どんな才能を持って生まれるのか分からない状態、つまり「無知のヴェール」をかぶったとしたら、人はどんな社会のルールを選ぶだろうか、という問いです。ロールズは、生まれた家庭や生まれつきの才能といった出発点は、本人が何かをしたから得たものではないと考えました。道徳の観点から見れば「恣意的」、つまりたまたまそうなっただけのものだ、というわけです。
『80億分の1』は、この思考実験を体験に変えます。ただし、ロールズの思考実験とは二つの点で違います。
一つ目は、くじの範囲です。ロールズ自身は、このヴェールを国境の内側にとどめました。生まれる国までくじに含めるべきだと主張したのは、チャールズ・ベイツやトマス・ポッゲといった後の哲学者たちです。『80億分の1』が体験させるのは、ロールズが踏み込まなかった、国境を越えたくじのほうです。
二つ目は、選べるかどうかです。ロールズのヴェールの下では、自分の立場を知らないまま、ルールを選ぶことができました。このゲームでは何も選べないまま、ある日いきなり生まれます。そして、そのルールの中を最後まで生きることになります。
「正しく生きる」にも値札がある
プレイしていて考えさせられたのは、死亡率や所得の差そのものよりも、「どう生きるか」を選ぶ余地にまで差があることでした。
公式サイトの説明によると、入試や就職、最初の年収には、本人の「知識」の値よりも、家の暮らし向きや国の教育環境のほうが大きく影響する設計になっています。医療費の自己負担の割合も、国ごとの統計として組み込まれています。選択肢は毎年示されます。しかし、その中で実際に選べるものは、生まれた場所によってすでに絞られています。
現実も同じです。健診を受ける。環境に配慮した買い物をする。体に良いものを食べる。寄付をする。社会問題について学ぶ。私たちが「倫理的な暮らし」や「まっとうな暮らし」と呼ぶものの多くは、お金と時間と教育があって初めて選べます。今日の食事に困っている人に「環境のために」と求めるのは、正しさを押しつけることにはなっても、選択肢を渡すことにはなりません。
哲学者のトマス・ネーゲルやバーナード・ウィリアムズは、こうした問題を「道徳的運」と呼びました。人が道徳的にどう評価されるかさえ、本人にはどうにもできない境遇に左右されてしまう、という問題です。
ただし、ここで注意したいことがあります。貧しい人ほど道徳的でない、ということではありません。家族を支える、隣人と食事を分け合う。運営者は、ラマダンやディワリ、クリスマスに近所と食卓を囲むような、日常の温かい場面も意識して入れたそうです。値札が付いているのは道徳そのものではありません。豊かな社会が「倫理的」と認めてきた暮らし方のほうです。
だからこそ、この理不尽はプレイヤー自身に跳ね返ってきます。私たちが自分の「正しい暮らし」だと思っているものも、その一部は、たまたまの生まれで手に入れたものかもしれません。このゲームは、その事実を他人の話としてではなく、自分の人生の話として体験させます。
「実力も運のうち」
プレイを重ねるうちに、筆者はマイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(原題 The Tyranny of Merit、2020年)を思い出しました。
サンデルは、成功は本人の努力と才能の結果だと考える能力主義(メリトクラシー)を批判しています。この考え方の下では、成功した人は「自分の力で勝ち取った」と思い込んで驕りやすくなり、うまくいかなかった人は「自分のせいだ」という屈辱を背負わされます。けれども、そもそも努力できること自体が、家庭や環境に恵まれていたおかげかもしれません。
『80億分の1』で何度か生まれ直すと、この主張がぐっと身近になります。同じように毎年学業に力を入れても、ある国では大学に進めるのに、別の国では学校に通い続けることさえ難しい。【プレイで実感した具体例があれば】。画面の上では、努力の結果と運の結果の区別が、だんだんつかなくなっていきます。
これは個人的な感想ですが、このゲームが揺さぶるのは「生まれた国の差」という分かりやすい理不尽だけではないように思います。「今の自分は、自分の努力で手に入れたものだ」という、もっと身近な感覚にまで及んでいます。
それは努力を否定することではありません。サンデルが求めたのも、自分の成功のうちに運が占める部分を認める謙虚さでした。運営者は国民日報の取材で、「韓国に生まれてよかった」で止まらず、その感謝がほかの人生への尊重につながってほしいと語っています。この願いも、サンデルと同じところを向いているように筆者には思えます。
「仕方がない」が言えなくなる場所
貧困や子どもの死のニュースに触れたとき、私たちはよく「かわいそうだけど、仕方がない」と受け流します。この言葉は、統計の側に立った言葉です。比率は個人の努力ではどうにもならないのですから、ある意味では正確でさえあります。しかし、その数字の中に入った人にとって、それは確率ではありません。ただ一度の人生の、すべてです。
人は、人の人生を生きることはできません。ブラウザを閉じれば、筆者は日本で暮らす筆者に戻ります。感情移入はできても、その人の代わりにはなれません。この差は、何度遊んでも埋まりません。
それでも、画面の中の子が5歳の誕生日を迎えると、ほっとします。そういうとき、「仕方がない」という言葉は出てきません。ひとつの人生が、ほかの何とも取り替えられないものとして目の前にあります。それを前にすると、「仕方がない」で片づけることはできません。このゲームは、その割り切れなさをはっきり見せてきます。
統計が届かない場所
北村薫は、小説が書かれ、読まれる理由を「人生がただ一度であることへの抗議」だと書きました。『80億分の1』も、統計を使った同じような抗議なのだと思います。それでも、人生が一度きりであることは変わりません。私たちの人生も、画面の中の人生も、それぞれ一度しかありません。
『80億分の1』
URL:https://1in8b.life/ja/
料金:無料(ベータ版、10月14日時点でv0.6.90)
対応言語:日本語、英語、韓国語
対象:15歳以上(子どもの死、児童婚、紛争、暴力、自殺などの重い出来事も統計どおりに起こります。具体的な場面は描かれず、相談先が案内されます)
参考
- 80億分の1 公式サイト:https://1in8b.life/ja/
- 国民日報「“한국에서 태어난 건 축복이다” 입소문 탄 ‘80억 분의 1’ 뭐길래」(2026年10月10日):https://www.kmib.co.kr/article/view.asp?arcid=9000021369
- 厚生労働省『令和4年版 自殺対策白書』:https://www.mhlw.go.jp/content/r4h-2-3.pdf
- WHO「Preventing suicide: a resource for media professionals, update 2023」:https://who.int/publications/i/item/9789240076846


















