Last Updated on 2025-05-16 23:17 by admin
なぜ5月1日なのか
1956年5月1日、熊本県水俣市の保健所に「原因不明の中枢神経疾患」が報告されました。これが、いわゆる「水俣病」の公式な発見日です。水俣病は、工場排水に含まれていた有害なメチル水銀が魚介類を通して人々の体に入り、深刻な健康被害をもたらした公害事件です。この日が「水俣病啓発の日」とされたのは、単に過去の悲劇を忘れないためだけではありません。科学技術の発展がもたらす恩恵と、その裏に潜む危険や責任について、私たち一人ひとりが考えるきっかけにしてほしい、という願いが込められているのです。
水俣病が示した「技術の影」
水俣病の本質は、単なる「事故」や「不運」ではありません。高度経済成長の時代、企業は生産効率や利益を最優先し、工場から出る排水に含まれる有害物質の管理を軽視しました。チッソ株式会社は、工場の排水に含まれるメチル水銀の危険性を早い段階で把握していたにもかかわらず、その情報を隠し続けました。国や行政も、経済成長の妨げになることを恐れて、被害の実態をなかなか認めようとしませんでした。
その結果、被害は長期間にわたって拡大し、多くの人々が苦しみました。水俣病の患者は公式認定だけでも2,000人を超え、認定されていない被害者も含めればその数はさらに多いと考えられています。水俣の海や川は汚染され、漁業や地域社会そのものが壊されてしまいました。
世界と歴史に見る「公害」の連鎖
水俣病は日本だけの特別な出来事ではありません。産業化が進む世界のあちこちで、似たような悲劇が繰り返されてきました。
たとえば、1952年のイギリス・ロンドンでは、石炭の大量消費による「ロンドンスモッグ」が発生し、数日間で1万人以上が亡くなりました。インドのボパールでは、1984年に化学工場から有毒ガスが漏れ、数千人が命を落としました。アメリカのフリント市では、2010年代に水道水の鉛汚染が大規模な健康被害をもたらしました。さらに、古代ローマでも鉛を使った水道管が原因で市民の健康被害があったという記録が残っています。
これらの事例に共通するのは、科学技術や産業の発展が、当初は社会の発展や豊かさをもたらすものとして受け入れられた一方で、管理や責任が不十分だったために、思いもよらぬ形で人々の命や暮らしを脅かしてしまったという点です。
技術と倫理――「できること」と「していいこと」
水俣病が私たちに突きつけているのは、「技術は進歩すればするほど良いのか?」という根本的な問いです。ドイツの哲学者ハンス・ヨナスは、「私たちが今ここで行う選択や行動が、未来の人々や環境にどんな影響を与えるかを想像し、その責任を引き受けるべきだ」と説きました。技術の力が大きくなればなるほど、その使い方や管理に対する責任も重くなるという考え方です。
また、日本の哲学者・加藤尚武は、環境問題に対して「予防原則」――はっきりとした証拠がなくても、危険性があるならば先回りして対策を取るべきだ、と主張しています。水俣病のような悲劇を繰り返さないためには、「今は大丈夫だから」「証拠が揃っていないから」といった理由で問題を先送りにせず、未来の世代や社会全体に対する責任を自覚することが大切です。
現代の私たちに問われること
水俣病の教訓は、決して過去のものではありません。AIや遺伝子編集、再生可能エネルギー、ナノテクノロジーなど、現代の科学技術はますます複雑で強力になっています。その影響は、開発者や利用者だけでなく、社会全体や将来世代にも及ぶかもしれません。
例えば、AIの判断ミスが人権を侵害したり、再生可能エネルギーの普及が新たな環境問題を生んだりするリスクもあります。こうした時代だからこそ、技術を生み出す側も使う側も、「この技術が誰にどんな影響を与えるのか」「本当に社会にとって望ましいのか」を、想像力を持って考え続ける必要があります。
終わりに――「進歩」とは何か
水俣病啓発の日は、単に公害の歴史を振り返る日ではありません。科学技術の進歩が本当に人間の幸せや社会の持続可能性につながるものなのか、私たち一人ひとりが問い直す日です。技術の力を過信せず、未来の世代や社会全体への責任を忘れず、進歩の意味を見つめ直すこと――それこそが、今を生きる私たちに課せられた課題なのではないでしょうか。