ミャンマーの国境地帯に存在する詐欺施設が、イーロン・マスクのStarlinkを利用して活動を継続している疑いがあることがAFPの調査で明らかになった。
2025年初頭にミャンマー、タイ、中国が民兵組織に詐欺センターの活動停止を迫り、約7,000人が解放されたが、衛星画像では新たな建物や寮の建設が確認されている。タイ・ミャンマー国境のミャワディ周辺の施設には多数のStarlinkアンテナが設置され、地元当局によるインターネット遮断を回避している。
これらの施設では推定最大12万人が人身売買により強制的に働かされ、ロマンス詐欺や暗号資産詐欺を実行している。カリフォルニア州検察官が2024年7月にStarlinkへ警告したが返答はなく、現在は米国議会の超党派委員会が調査を開始している。SpaceXはコメント要請に応じていない。
From: Elon Musk’s satellite internet is powering something unexpected — scam cities
【編集部解説】
この問題は、最先端技術が組織犯罪にいかに悪用されるかという、極めて深刻な事例として注目に値します。
ミャンマー東部のミャワディは、タイとの国境に位置する「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれる地域にあります。この地域は長年、麻薬取引や密輸の温床として知られてきましたが、COVID-19パンデミック以降、新たな犯罪の形態として詐欺施設が急増しました。
衛星画像の分析によると、最大規模の施設「KK Park」では1つの建物の屋根だけで約80台のStarlinkアンテナが確認されています。2025年2月以前、Starlinkはミャンマーのインターネットプロバイダーランキングに入っていませんでした。ところが4月下旬に56位で初登場し、7月3日から10月1日まで毎日1位を維持していたのです。APNICの最新データでは、市場シェア12.37%で2位となっています。
この急増の背景には、タイ政府の取り締まりがあります。2025年2月、タイは国境地域への電力供給とインターネット接続を遮断しました。しかし衛星インターネットはこうした地上インフラの遮断を回避できるため、詐欺施設はStarlinkへと移行したのです。
被害規模は想像を絶するものです。米国財務省によれば、2024年だけで米国人は少なくとも100億ドル(約1.5兆円)の被害を受けており、前年比66%増となっています。FBIのInternet Crime Complaint Centerの2024年レポートでは、暗号資産投資詐欺だけで58億ドル以上の被害が報告されています。
この事案で特に注目すべきは、技術と人権侵害の複合的な問題です。施設で働かされている人々の多くは、偽の求人広告で誘い出され、人身売買の被害者となっています。国連薬物犯罪事務所の2023年のレポートでは、ミャンマーだけで最大12万人、カンボジアでさらに10万人が強制労働させられている可能性があると指摘しています。
AFPの調査では、中国・雲南省出身のSunという男性の証言が得られました。彼はタイで誘拐され、ミャワディの詐欺施設に65万タイバーツ(約2万ドル)で売られました。施設内では、タイピング速度を上げる訓練を強制され、ノルマを達成できないと暴行を受けたといいます。
技術的な観点から見ると、Starlinkはミャンマーで正式なライセンスを取得していません。しかし、同社のローミングプランにより、アクティブな端末はミャンマーからも接続可能となっています。SpaceXの利用規約では違法行為を禁止していますが、闇市場で機器が転売されているため、執行は困難な状況です。
2025年3月には、タイ当局が2回にわたりStarlink機器を押収しています。3月11日に10台、3月23日には38台の機器が国境で差し押さえられました。しかし、押収される一方で新たな機器が持ち込まれ続けているのが実情です。
米国議会の動きも重要です。Maggie Hassan上院議員は2024年7月にSpaceXに11の質問を送り、対応を求めました。そして2025年10月、米国議会合同経済委員会が正式に調査を開始しました。この委員会はマスク氏を証言させる権限を持っています。
さらに10月14日、米英両政府は協調して東南アジアの詐欺ネットワークに対する大規模制裁を発表しました。カンボジアを拠点とするPrince Groupの会長Chen Zhi氏が起訴され、関連する146の組織が制裁対象となりました。米司法省は150億ドル相当のビットコインを押収し、英国はロンドンの不動産19件(1,200万ポンドの邸宅を含む)を凍結しました。
この問題が投げかけるのは、グローバルなテクノロジー企業の責任についての根本的な問いです。Starlinkのような衛星インターネットは、インターネットアクセスが制限された地域に自由な通信をもたらす可能性を秘めています。実際、2022年にはイラン政府による検閲に対抗するため、マスク氏自らがStarlinkの活性化を発表しました。
しかし同じ技術が、組織犯罪の強力なツールとなり得ることも、今回の事案は示しています。地方自治体が地上インフラを遮断しても、衛星インターネットはそれを回避できます。これは独裁政権に対する抵抗手段となる一方で、法執行機関による取り締まりをも困難にするのです。
今後、グローバルテック企業には、より厳格な顧客確認(KYC)プロセスの導入や、不審な活動パターン(詐欺地域からの複数ログインなど)の監視が求められるでしょう。Stimson Centerのアナリストは、Starlinkに対してこうした対策の実施を求めています。
また、この事案は国際協力の重要性も浮き彫りにしています。詐欺施設は国境をまたぐ複雑なネットワークとして機能しており、ミャンマー、タイ、中国、カンボジア、ラオスなど複数の国が関与しています。単一の国家による対応では限界があり、国際的な枠組みでの取り締まりが不可欠です。
被害者の多くは米国にいますが、犯罪インフラは東南アジアに存在し、技術は米国企業が提供しているという、まさにグローバル化した犯罪の典型例と言えるでしょう。
【用語解説】
ピッグ・ブッチャリング詐欺(Pig Butchering Scam)
中国語で「殺猪盘(シャージューパン)」と呼ばれる投資詐欺の手法。被害者を豚に見立て、長期間かけて信頼関係を構築しながら「太らせ」、最終的に全資産を奪う「屠殺」に至ることから命名された。SNSやデート・アプリを通じて接触し、恋愛感情や友情を利用して偽の暗号資産投資へ誘導する。2016年頃に中国で始まり、COVID-19パンデミック期に東南アジア全域へ拡大した。
ゴールデン・トライアングル
ミャンマー、タイ、ラオスの国境が接する地域の通称。歴史的にアヘンやアンフェタミンの生産、麻薬取引、密輸の温床として知られる。近年は内戦による権力の空白と汚職により、組織犯罪グループがサイバー詐欺事業を大規模に展開する拠点となっている。
APNIC(Asia-Pacific Network Information Centre)
アジア太平洋地域のインターネット資源を管理する地域インターネットレジストリ。IPアドレスの割り当てやインターネットインフラの統計データを提供する非営利組織である。
KK Park
ミャンマー・ミャワディにある最大規模の詐欺施設。ミャワディ周辺には27の詐欺センターが存在するとされ、KK Parkはその中で最大。2025年3月から9月の間に新たなセクションが建設され、セキュリティチェックポイントも大幅に拡張された。単一の建物の屋根に約80台のStarlinkアンテナが確認されている。
Shwe Kokko
米国財務省が「暗号資産投資詐欺の悪名高い拠点」と指定するミャンマーの詐欺施設群。ミャンマー軍事政権と連携するKaren National Army(カレン民族軍)の保護下にある。2025年9月、米国政府はShwe Kokkoに関連する9名と企業を制裁対象とした。
ミャワディ(Myawaddy)
ミャンマー東部カイン州に位置し、タイとの国境に面する町。モエイ川を挟んでタイのメーソートと向かい合う。内戦により中央政府の統制が及ばず、民兵組織が支配する地域となっており、大規模な詐欺施設が集中している。
【参考リンク】
Starlink公式サイト(外部)
SpaceXが運営する衛星インターネットサービス。低軌道衛星を利用し地上インフラが不十分な地域でも高速通信を提供する。
米国財務省プレスリリース:Prince Group制裁(外部)
2025年10月14日発表。カンボジアの詐欺ネットワークPrince Groupに対する大規模制裁を発表した。
米国司法省:Prince Group会長起訴(外部)
Prince Group会長Chen Zhi氏の起訴を発表。150億ドル相当のビットコインを押収した。
APNIC公式サイト(外部)
アジア太平洋地域のインターネットレジストリ。ミャンマーにおけるStarlinkの急激な利用拡大データを提供。
国連薬物犯罪事務所(UNODC)(外部)
東南アジアの詐欺センターに関する調査レポートを発表。ミャンマーで最大12万人が強制労働と推定。
【参考記事】
Myanmar scam cities booming despite crackdown(France24)(外部)
AFP通信による詳細な調査報告。KK Parkで80台のStarlinkアンテナを確認した。
U.S. and U.K. Take Largest Action Ever Targeting Cybercriminal Networks(米国財務省)(外部)
米国人が2024年に最低100億ドルの被害を受け前年比66%増となったことを発表した。
Chairman of Prince Group Indicted(米国司法省)(外部)
Prince Group会長Chen Zhi氏の起訴を発表。2024年の暗号資産投資詐欺で58億ドル以上の被害。
Starlink a lifeline for Myanmar scam compounds(Protos)(外部)
APNICデータによるStarlinkの市場シェア12.37%という具体的数値を報告した。
Pig butchering scams have stolen billions(The Conversation)(外部)
ピッグ・ブッチャリング詐欺の詳細な手口と東南アジアの詐欺施設の規模を分析した。
Thai officers intercept Starlink transmitters(The Record)(外部)
タイ当局が3月11日に10台、3月23日に38台のStarlink機器を押収したことを報告。
Myanmar scam cities expand despite crackdown(LiCAS.news)(外部)
人身売買被害者の証言を含む詳細な現地レポート。労働者が2万ドルで売買された事例を報告。
【編集部後記】
テクノロジーは本質的に中立ですが、その使われ方によって善にも悪にもなり得ます。Starlinkのような革新的な衛星通信技術は、検閲と戦う人々に自由をもたらす一方で、今回のように組織犯罪の強力なツールにもなってしまいます。私たちは、技術の進歩を手放しで歓迎するだけでなく、その影の側面にも目を向ける必要があるのではないでしょうか。グローバル企業は、自社の技術がどのように使われているかを監視し、適切に対処する責任をどこまで負うべきなのか。一緒に考えていきたいテーマです。