オーストラリアのアルバニージー政権は2025年12月1日、人工知能を管理するための独立した法制化を見送り、新たな国家AI計画を発表した。
産業・科学大臣のティム・エアーズが発表したこの計画は、AIの経済的機会に焦点を当て、民間企業と公共サービスが保有する膨大なデータセットをアンロックしてAIモデルのトレーニングを支援することを目指す。元大臣エド・フシックが推進していた欧州連合型の独立AI法案は却下され、既存の法律で対応するとした。
計画には来年設立予定のAI安全研究所への3000万ドルの予算措置が含まれる。データセンターは2024年に約4テラワット時(TWh)の電力を消費しており、これは送電網供給電力の2%に相当し、2030年までに3倍になる可能性があると指摘された。
【編集部解説】
オーストラリアのアルバニージー政権が打ち出した国家AI計画は、世界的なAI規制の潮流の中で独自の立ち位置を示す重要な決定です。欧州連合(EU)が2024年8月に施行した世界初の包括的AI法(EU AI Act)とは対照的に、オーストラリアは独立したAI法案の制定を見送り、既存の法的枠組みで対応する方針を選択しました。
EU AI Actは、AIシステムをリスクレベルに応じて分類し、受け入れられないリスクを持つシステムの禁止、高リスクシステムへの厳格な規制、限定的リスクシステムへの透明性要求など、段階的な規制アプローチを採用しています。これに対し、オーストラリアは「技術中立的」な既存法によるセクター別対応を選び、規制当局がそれぞれの管轄領域内でAI関連のリスクに対処する分散型のアプローチを取りました。
この決定の背景には、規制によるイノベーションの阻害を避けたいという産業界の強い要望があります。オーストラリアには既に約650社のAI企業が本社を置き、2023年だけで20億ドルのベンチャーキャピタルがAIアプリケーションに投資されています。政府は2030年までにAIと自動化が年間6000億ドルの経済効果を生み出すと予測しており、この成長を妨げない柔軟な規制環境を目指しているのです。
注目すべきは、政府が民間企業と公共機関が保有する「高価値データセット」のアンロックを計画している点です。統計局などの「機密性のない」公的データセットをAI企業に開放する可能性が示唆されていますが、これは著作権保護を求めるクリエイター側と激しい対立を生んでいます。政府は以前、ニュース報道や書籍、映画などの著作権素材でAIモデルを訓練するための「テキスト・データマイニング免除」を支持するよう求めるビジネスコミュニティからの要請を却下していましたが、今回の計画では新たなライセンス制度や補償の可能性を排除していません。
AI安全研究所の設立に3000万ドルを投じる決定は評価できます。この研究所は、新興AI能力を評価し、潜在的リスクに対処するための情報共有とタイムリーな行動を支援します。ただし、これはあくまで助言機関であり、将来的に新たな法律が必要かどうかを判断する役割にとどまっています。
最も深刻な課題の一つが、データセンターのエネルギー消費です。2024年にオーストラリアのデータセンターは約4テラワット時(TWh)の電力を消費しており、これは送電網供給電力の2%に相当します。オーストラリアエネルギー市場オペレーターは、この数字が2030年までに6%まで上昇すると予測しており、これは現在の医療・社会福祉産業のシェアを上回る規模です。さらに投資銀行の分析によれば、2030年までにデータセンターの電力需要は14〜43TWhの範囲に達する可能性があり、最も楽観的なシナリオでも3倍増が見込まれています。
国際エネルギー機関(IEA)の報告によれば、世界のデータセンター電力消費は2025年の448TWhから2030年には980TWhへと倍増すると予測されており、その主な要因はAI最適化サーバーです。これらのサーバーの電力使用量は2025年の93TWhから2030年には432TWhへと約5倍に増加する見込みです。
水資源の消費も無視できません。データセンターは冷却のために数千万リットルの水を消費する可能性があり、オーストラリアのような水資源が限られた地域では特に深刻な問題となります。政府計画は新しい冷却技術の開発と水使用量の削減を求めていますが、具体的な規制措置や目標値は示されていません。
産業・科学大臣のティム・エアーズは、AIの恩恵がどれだけ広く共有されるか、不平等がどれだけ削減されるか、そして労働者がどのように支援されるかで「成功」を測定すると述べました。労働組合がAIによる雇用の置き換えに警鐘を鳴らす中、政府は労働者の再教育と支援を約束していますが、具体的なプログラムや予算配分については詳細が不足しています。
オーストラリアのアプローチは、迅速な技術革新を促進しつつ、潜在的なリスクに柔軟に対応しようとする試みです。しかし、法的拘束力のある規制がないことで、AI開発における倫理的配慮や安全性確保が企業の自主性に委ねられるリスクがあります。EU AI Actのような明確な法的枠組みがない中で、オーストラリアがどのように「人間中心」のAIを実現し、技術革新と社会的保護のバランスを取るのか、今後の展開が注目されます。
【用語解説】
国家AI計画(National AI Plan)
オーストラリア政府が2025年12月に発表したAI戦略の総合的枠組み。独立した法制化を見送り、既存法で対応する方針を示した。経済機会の獲得、恩恵の広範な共有、国民の安全確保を三本柱とする。
AI安全研究所(Australian AI Safety Institute)
2026年に設立予定のオーストラリア政府の助言機関。新興AI能力の評価、情報共有、潜在的リスクへの対処を担当する。設立予算は3000万ドル。将来的に新たな法律が必要かどうかを判断する役割も担う。
テラワット時(TWh)
電力量の単位。1テラワット時は10億キロワット時に相当する。オーストラリアのデータセンターは2024年に約4TWh、送電網供給電力の2%を消費した。
EU AI Act(欧州AI法)
2024年8月に施行された世界初の包括的AI規制法。AIシステムをリスクレベル別に分類し、受け入れられないリスクのシステムは禁止、高リスクシステムには厳格な規制を課す。違反時の罰金は最大3500万ユーロまたは全世界年間売上高の7%のいずれか高い方となる。
テキスト・データマイニング免除
AI企業がニュース記事、書籍、映画などの著作権素材を無許可・無料でAIモデルの訓練に使用できるようにする法的免除措置。オーストラリア政府は2025年10月にこの導入を却下した。
大規模言語モデル(LLM: Large Language Models)
膨大なテキストデータで訓練された大規模なAIモデル。ChatGPTなどの生成AIの基盤技術。コンテンツを「吸い上げる」ことで著作権保護の問題が指摘されている。
データセンター
サーバー、ストレージ、ネットワーク機器を収容する専門施設。クラウドコンピューティング、AI処理、データ分析などを支える。大量の電力と冷却用の水を消費することが環境負荷として問題視されている。
【参考リンク】
オーストラリア産業・科学・資源省(外部)
オーストラリア政府の産業政策、科学技術イノベーション、資源管理を統括する省庁で国家AI計画を主導している。
National AI Centre(国家AIセンター)(外部)
2021年設立のAI推進機関。中小企業のAI導入支援、AI倫理原則の策定、任意のAI安全基準の開発を担当する。
Australian Energy Market Operator(AEMO)(外部)
オーストラリアの電力・ガス市場を管理する独立公益組織。データセンターのエネルギー消費動向を監視している。
EU Artificial Intelligence Act(外部)
2024年8月施行の世界初の包括的AI規制法。リスクレベル別の分類と厳格な規制枠組みを提供している。
【参考記事】
Labor’s National AI Plan has no standalone AI Act, asks businesses to police themselves(外部)
国家AI計画が独立したAI法を持たず企業の自主規制に依存する任意の透明性措置を採用していることを詳細に分析している。
Power-hungry data centres threaten Australia’s energy grid(外部)
データセンターが2030年までに送電網供給電力の6%を消費すると予測しエネルギー効率改善の3つのステップを提示している。
EU AI Act: first regulation on artificial intelligence(外部)
EU AI Actの公式概要でリスクベースの分類システムや高リスクAIシステムへの要件など包括的規制枠組みの詳細を提供している。
Data Centres and Energy Demand – What’s Needed?(外部)
データセンター電力需要が2030年までに23TWhから43TWhに達する可能性を分析し電力効率と再生可能エネルギー統合の課題を詳述している。
Global Data Centre Electricity Demand to Double by 2030(外部)
世界のデータセンター電力消費が2025年の448TWhから2030年には980TWhへと倍増するGartnerの予測を報告している。
【編集部後記】
オーストラリアが選んだ「独立したAI法を作らない」という判断は、EUとは対照的なアプローチです。規制による革新の阻害を避けたい産業界の声に応えた形ですが、一方で法的拘束力がないことへの懸念も残ります。日本もまた、AI規制のあり方を模索している最中です。
私たちinnovaTopiaは、技術の進化を追いかけながら、同時にその社会的影響にも目を向けていきたいと考えています。オーストラリアの選択が成功するのか、それともEU型の包括的規制が主流になるのか。データセンターのエネルギー消費という現実的な課題も含め、AI時代の規制とイノベーションのバランスについて、みなさんはどうお考えでしょうか。






























