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EU・欧州委員会、2035年エンジン禁止を再設計へ|EV一択が崩れた理由と技術多様化の行方

EU・欧州委員会、2035年エンジン禁止を再設計へ|EV一択が崩れた理由と技術多様化の行方 - innovaTopia - (イノベトピア)

2035年から内燃機関車の新車販売を原則禁止する——。このEUの方針は、世界の脱炭素政策を象徴する「強いメッセージ」だった。そのEUが今、条件付きとはいえ事実上の方針転換に踏み切ろうとしている。

これは環境政策の後退なのか。それとも、脱炭素が次のフェーズへ進んだ兆しなのか。今回の決断の背景をたどると、そこには理想と現実が交差する、きわめてテクノロジー的な判断が浮かび上がってくる。


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EUはなぜ「2035年エンジン禁止」を掲げるに至ったのか

EUが2035年に内燃機関車の新車販売を原則禁止する方針を打ち出した背景には、長期的かつ段階的に積み重ねられてきた気候政策の流れがあります。この規制は突発的に生まれたものではなく、少なくとも2010年代から続く脱炭素戦略の帰結でした。

転機となったのは2015年のパリ協定です。EUは地球温暖化を産業革命前比で1.5度以内に抑えるという国際目標を強く支持し、主要排出源である運輸部門、とりわけ自動車のCO₂削減を最優先課題に位置づけました。

その後、2019年に欧州委員会が発表した「EUグリーンディール」によって、2050年カーボンニュートラルという長期目標が明確化されます。2035年エンジン禁止は、この2050年目標から逆算された中間マイルストーンとして設計されました。

さらに2021年に打ち出された包括的政策パッケージ「Fit for 55」では、2030年までに温室効果ガス排出量を1990年比で55%削減することが法制化され、自動車の新車CO₂規制も大幅に強化されました。この流れの延長線上で、2035年に新車の排出量を実質ゼロとする案が採択されたのです。

重要なのは、EUがこの規制を「特定技術の推進」ではなく、「排出量ゼロ」という成果目標として設計していた点です。結果的にEVが事実上の前提となりましたが、当初の思想はあくまで市場と技術開発を規制によって誘導するという、EU伝統の政策手法に基づくものでした。

つまり2035年エンジン禁止は、環境意識の高まりによる感情的な判断ではなく、国際合意・長期戦略・制度設計が積み重なった結果として生まれた、きわめて論理的な政策だったと言えます。その理想的な設計が、いま現実との調整を迫られている段階に入った、というのが現在の状況です。

2035年エンジン禁止は、なぜ成立し、なぜ限界を迎えたのか

EUが掲げた2035年エンジン車禁止は、単なる環境規制ではありません。EUグリーンディールや「Fit for 55」に象徴されるように、規制によって市場と産業を動かすという、EU独自の産業変革モデルの延長線上に位置づけられていました。

ゼロエミッションを義務化することで、メーカーにEVへの全面移行を迫る。思想としては明快であり、政治的にも強いメッセージ性を持っていました。しかし、実装フェーズに入った瞬間、その単純さが揺らぎ始めます。

充電インフラの地域格差、電力供給の制約、再生可能エネルギー比率の問題。さらに、バッテリー原材料をめぐる地政学リスクも顕在化しました。EVは失敗したわけではありませんが、「社会全体で一気に置き換える」には想定以上に複雑な課題を抱えていたのです。

EUはなぜ「90%削減」という数字を選んだのか

今回の見直しで注目すべきは、「完全禁止の撤回」そのものよりも、90%削減という具体的な数値設定です。100%ではなく90%。この10%の余白こそが、EUの現実的な政策設計を象徴しています。

この基準は車両単体ではなく、新車販売全体の平均値で評価されます。つまり、EVを主軸としながらも、ハイブリッド車や合成燃料車といった“例外的技術”を制度的に許容する設計になっています。

これは妥協ではありません。雇用、地域経済、中小部品メーカーを含む巨大な産業システムを、一気に壊さないための高度なチューニングだと考えられます。EUは理想を捨てたのではなく、壊れない形に組み替えたのです。

「EV一択」から「技術多様化」へ — 何が再評価され始めたのか

この決断によって最も大きく変わるのは、技術の評価軸です。これまでの「EVか否か」という二元論から、「どの技術がどの条件で最適か」という多元的な視点へと移行しつつあります。

ハイブリッド車は、長らく“過渡期の技術”と位置づけられてきました。しかし実際には、インフラ依存度が低く、実使用環境でのCO₂削減効果も高い技術です。完成度の高い低炭素技術として再評価されるのは、自然な流れと言えるでしょう。

合成燃料(e-Fuel)や内燃機関の高効率化も同様です。既存資産を活かしながら排出量を抑えるアプローチは、「すべてを捨てて作り直す」よりも現実的な場合が多くあります。

この決断で、産業と技術開発はどう変わるのか

産業面では、自動車メーカーの研究開発戦略が大きく変わる可能性があります。EVへの一点集中投資は、技術的にも経済的にもリスクが高いからです。今後はEVを軸としながら、複数技術を並行して育てるポートフォリオ型の研究開発が主流になっていくと考えられます。

この流れは、日本の自動車産業にとっても無関係ではありません。長年「全方位戦略」として語られてきたハイブリッド重視の姿勢は、結果的に技術的な選択肢を温存してきた戦略だったとも解釈できます。

脱炭素競争は、単線ではなく複線で進みます。EUの判断は、その現実を制度として認めた、最初の大きな転換点になる可能性があります。

脱炭素は「ゴール」ではなく「設計思想」になった

今回の方針転換が示しているのは、脱炭素が単なる数値目標ではなく、社会システム全体をどう設計するかという問いへと変化した、という点です。

どの技術が勝つかではありません。どの社会、どの用途、どの地域に、どの技術が適しているのか。脱炭素は、複雑さを引き受けながら前に進む段階に入ったと言えるでしょう。

【用語解説】

Fit for 55
EUが掲げる気候・エネルギー政策パッケージであり、2030年までに温室効果ガス排出を1990年比で少なくとも55%削減することを目的とする法案群である。政策対象は輸送、エネルギー、産業、建物など多岐に及ぶ。

欧州グリーン・ディール(European Green Deal)
EUが2050年までに気候中立(ネットゼロ排出)となることを法的目標とし、経済・社会・産業全体を脱炭素に向けて再構成する包括戦略である。2030年までの中間目標としてCO₂削減が設定されている。

内燃機関(Internal Combustion Engine:ICE)
ガソリンやディーゼル燃料を燃焼させて動力を得るエンジン技術のことであり、電気モーターとは異なる仕組みである。自動車産業の従来技術として長く使われてきた。

CO₂排出量規制
新車や特定車両群に対して、走行中の二酸化炭素排出を法的に削減する基準。EUでは2030・2035年を節目として強化されてきた。

ゼロエミッション車
走行時にCO₂を排出しない車両を指す概念であり、一般に電気自動車(EV)や燃料電池車(FCEV)が該当する。ただし、CO₂排出量のライフサイクル評価や再生可能燃料の利用条件により定義は議論されている。

【参考リンク】

European Green Deal — European Commission(外部)
EUが2050年までに気候中立を目指す包括戦略であり、経済・社会・産業全体の脱炭素化ロードマップを示す公式政策サイトだ。

Fit for 55 — Delivering on the proposals|European Commission(外部)
「Fit for 55」と呼ばれるEUの気候政策パッケージの提案と進捗を公式に解説しているページ。2030年の温室効果ガス削減目標などが掲載されている。

Cars and vans – Climate Action|European Commission(外部)
EUにおける乗用車・商用車のCO₂排出規制と脱炭素化の概要を公式に説明するページ。2035年以降のゼロ排出車規定についても言及がある。

【参考記事】

EU waters down landmark ban on new petrol and diesel cars(外部)
欧州議会が予定していたガソリン・ディーゼル車の新車販売禁止を条件付き緩和に変更する方針を報じる記事。反対意見や自動車産業側の事情など複数のステークホルダー視点を含んでいる。

Factbox: What’s in the European Commission’s proposal to reverse the 2035 combustion engine ban?(外部)
欧州委員会の新提案の中身を整理した記事。CO₂90%削減という新しい基準や平均的な規制設計など、制度設計の詳細をわかりやすく解説している。

Volkswagen welcomes EU move to drop combustion engine ban(外部)
自動車メーカー側の反応を報じた記事。規制緩和を歓迎する業界の声を伝えており、産業側から見た政策インパクトを理解するのに重要である。

【編集部後記】

数年前、トヨタの豊田章男会長は、EVシフトが世界的な潮流として語られる中で、「本当にそれが唯一の道なのか」「すべてをEVにして大丈夫なのか」といった趣旨の問いを、繰り返し投げかけていました。当時はその発言が、EV化に消極的な姿勢として受け取られる場面も少なくありませんでした。

しかし今、EUが2035年エンジン禁止を見直し、技術の多様性を制度として認めようとしている状況を見ると、あの問いの意味が違って見えてきます。豊田会長が問題にしていたのは、EVそのものではなく、「単一の技術解に未来を賭けることのリスク」だったのではないでしょうか。

CO₂削減の効率だけでなく、インフラ整備の速度、電力供給の現実、資源をめぐる地政学、産業や雇用への影響。そうした複雑な要素を含めて初めて、技術は社会に根付くものになります。技術的に正しいことと、社会として持続可能であることは、必ずしも同義ではありません。

EV一辺倒ではなく、ハイブリッドや内燃機関の改良、合成燃料といった複数の選択肢を並行して育てる——それは「決断を先送りにする態度」ではなく、失敗に耐えるための設計思想です。EUがいま示している方向性は、結果的にその現実主義に近づいているようにも見えます。

脱炭素はゴールではなく、長い過程です。単純化された未来像ではなく、複雑さを引き受けながら前に進む。その姿勢こそが、技術を人間の進化につなげる条件なのだと思います。

投稿者アバター
TaTsu
『デジタルの窓口』代表。名前の通り、テクノロジーに関するあらゆる相談の”最初の窓口”になることが私の役割です。未来技術がもたらす「期待」と、情報セキュリティという「不安」の両方に寄り添い、誰もが安心して新しい一歩を踏み出せるような道しるべを発信します。 ブロックチェーンやスペーステクノロジーといったワクワクする未来の話から、サイバー攻撃から身を守る実践的な知識まで、幅広くカバー。ハイブリッド異業種交流会『クロストーク』のファウンダーとしての顔も持つ。未来を語り合う場を創っていきたいです。

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