台湾の立法院は12月23日、人工知能基本法を第三読会(最終審議)で可決した。この法律はAIガバナンスのための法的枠組みを確立し、国家科学技術委員会を中央主管機関に指定する。法律では、AIを機械学習とアルゴリズムを使用して物理的または仮想的環境に影響を与える出力を生成できる自律動作可能なシステムと定義している。
政府によるAI研究と応用の推進は、持続可能性と幸福、人間の自律性、プライバシーとデータガバナンス、サイバーセキュリティと安全性、透明性と説明可能性、公平性と非差別、説明責任という7つの中核原則を遵守しなければならない。法律は内閣に対し、首相が招集する国家AI戦略委員会の設置を義務付けており、委員会は年1回以上会合を開く。デジタル事務省は国際基準を参照してAIリスク分類フレームワークを開発し、リスクベースの管理規範を確立する。
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Taiwan passes AI Basic Act
【編集部解説】
台湾がAI基本法を制定した背景には、同国の産業構造における極めて重要な戦略的判断があります。2025年第3四半期時点で、台湾積体電路製造(TSMC)は世界のファウンドリ市場で約72%のシェアを占め、その売上高の59%がAI・高性能コンピューティング向けチップから生まれています。つまり台湾は、グローバルなAIインフラの「製造拠点」として事実上不可欠な存在なのです。
この法律の最大の特徴は、「原則ベースの基本法」であるという点です。具体的な執行メカニズムや罰則規定は含まれておらず、今後、国家科学技術委員会が主導して詳細な規則を策定することになります。一見すると曖昧に映るかもしれませんが、これは意図的な設計です。急速に進化するAI技術に対し、硬直的な規制で技術革新を阻害することなく、同時に倫理的・社会的な枠組みを確保するという、極めて難しいバランスを取ろうとしています。
グローバルな規制の文脈では、2024年8月に施行されたEUのAI法が世界初の包括的な「ハードロー」として存在します。台湾の今回の法律は、EUほど厳格ではなく、むしろASEAN諸国の「ソフトロー」(非拘束的ガイドライン)とEUの中間に位置すると言えます。法律に明記された7つの原則——持続可能性、人間の自律性、プライバシー、サイバーセキュリティ、透明性、公平性、説明責任——は、OECD、G7、EUのAI法といった国際的な枠組みを参照していますが、台湾独自の産業構造と社会的価値観を反映した形で再構成されています。
興味深いのは、法律が労働者保護に相当な紙幅を割いている点です。AIによって失業した労働者への雇用指導や支援、スキルギャップの削減、労働力参加の促進などが明記されており、技術進歩と社会福祉の調和という理念が明確に示されています。これは、AI導入が社会に与える影響を、単なる技術論や経済論ではなく、人間の尊厳と生活の問題として捉えているということです。
今後の課題は、デジタル事務省が策定するAIリスク分類フレームワークの詳細です。国際基準に準拠しつつ、どのような具体的な管理規範を設けるのか、高リスクAI製品にどのような評価ツールを適用するのか。これらの実装フェーズでこそ、この法律の真価が問われることになります。
日本を含むアジア諸国にとって、台湾のアプローチは重要な参照点となるでしょう。技術革新を促進しつつ社会的価値を守るという、両立困難な目標に対し、台湾がどのような具体的解決策を示すのか。その実践から学べることは少なくありません。
【用語解説】
立法院(りっぽういん)
台湾の国会に相当する立法機関。一院制で、113名の立法委員(国会議員)で構成される。法律の制定、予算の審議、行政監督などを担う。
リスクベースの管理
AI システムを潜在的なリスクの高さに応じて分類し、リスクレベルに応じた異なる規制や義務を課す管理手法。高リスクシステムには厳格な要件、低リスクシステムには緩やかな要件を適用することで、イノベーションと安全性のバランスを取る。
ファウンドリ
半導体製造を専門に請け負う企業のこと。自社で半導体製品を設計・販売せず、他社が設計したチップの製造のみを行うビジネスモデル。TSMCはこの分野の世界最大手。
CoWoS(Chip-on-Wafer-on-Substrate)
TSMCが開発した先進的な半導体パッケージング技術。複数のチップをウェハー上に積層し、それを基板上に実装することで、高性能なAIチップの製造を可能にする。
EU AI法(AI Act)
欧州連合が2024年8月に施行した世界初の包括的なAI規制法。AIシステムをリスクレベルに応じて4段階に分類し、高リスクシステムには厳格な要件を課す。グローバルなAI規制の先駆けとなっている。
【参考リンク】
国家科学技術委員会(NSTC)(外部)
台湾のAI政策を統括する中央主管機関。科学技術の発展、研究開発の推進を担う。
デジタル事務省(Ministry of Digital Affairs)(外部)
2022年設立の台湾のデジタル政策担当省庁。サイバーセキュリティとデータガバナンスを所管。
台湾積体電路製造(TSMC)(外部)
世界最大の半導体ファウンドリ企業。2025年第3四半期時点で世界シェア約72%を占める。
台湾ニュース(Taiwan News)(外部)
台湾の英語ニュースメディア。政治、経済、社会など幅広いニュースを英語で発信。
中央通訊社(CNA – Central News Agency)(外部)
台湾の国営通信社。1924年創立。台湾で最も信頼性の高いニュース情報源の一つ。
【参考記事】
AI Basic Act passed, tries to balance AI promotion with social welfare – Focus Taiwan(外部)
台湾の立法院がAI基本法を可決。法律の7つの中核原則と政治的背景を詳述。
Legislature passes new artificial intelligence law – Taipei Times(外部)
AI基本法の可決について、国民党と台湾民衆党が支持し民進党が反対した経緯を報道。
Taiwan Passes Landmark AI Governance Basic Act – AI CERTs News(外部)
法案の起草から可決までの18カ月の経緯を時系列で解説。リスク管理を強調。
AI Chips Are Driving a Foundry Boom. Why TSMC Is Winning the Most(外部)
2025年第3四半期の世界半導体ファウンドリ市場が約17%成長し約848億ドルに達した。
Why Taiwan Semiconductor Manufacturing is the Ultimate Buy for AI-Driven Growth in 2026(外部)
TSMCが3nm/2nmファウンドリ市場で90%のシェア。2025年の売上成長率は30%と予測。
Balancing Risk and Innovation: AI Governance Strategies in South Korea, Japan, and Taiwan(外部)
東アジア3カ国のAIガバナンス戦略を比較分析。台湾がEUのAI法を参考にした分析。
Taiwan crafts balanced AI regulations as EU enforces strict AI Act and global frameworks diverge(外部)
EUのAI法が施行される中、台湾がバランスの取れた立法を起草している状況を報告。
【編集部後記】
台湾がこのタイミングでAI基本法を制定した意味を、皆さんはどう捉えられるでしょうか。世界のAIチップ製造の7割を担う国が、技術推進と社会福祉の両立を掲げたことには、私たち日本にとっても示唆的なものがあるように感じます。
EUの厳格な規制と、ASEAN諸国の柔軟なガイドラインの中間に位置するこのアプローチは、アジアにおけるAIガバナンスの新しい可能性を示しているのかもしれません。皆さんは、日本がどのような立ち位置でAI規制に向き合うべきだと思われますか。ぜひご意見をお聞かせください。































