Snap社が2026年に消費者向けARグラス「Specs」の一般販売を開始することを正式発表した。これは同社初の大衆市場向けARグラス製品となる。
Snap社は2025年6月10日(現地時間、日本時間6月11日)、カリフォルニア州ロングビーチで開催されたAugmented World Expo 2025において、2026年に消費者向けARグラス「Specs」を発売すると発表した。CEOのエヴァン・シュピーゲル氏は「デジタル体験と物理世界を自然に統合するコンピューティング革命の時が来た」と述べ、来年の一般向け発売への意気込みを示した。
新製品「Specs」は従来の「Spectacles」から名称を変更し、消費者市場への本格参入を象徴している。同社は過去11年間で30億ドル以上をAR技術開発に投資してきており、2026年版では大幅な軽量化と小型化を実現する予定だ。現行の開発者向けSpectacles(第5世代)は重量226グラム、視野角46度で、月額99ドルでのレンタル提供されているが、消費者向けSpecsはこれらの仕様を大幅に改良する。
技術面では、透明レンズを通じて現実世界にデジタル体験を重ね合わせる「シースルーレンズ」技術を搭載し、高度な機械学習により周囲環境を理解する機能を持つ。AI支援機能として、これまでのOpenAI ChatGPTに加えて新たにGoogle Geminiのサポートも追加され、3次元空間でのAI支援を提供する。
マルチプレイヤー機能では、友人とのゲームや体験共有が可能で、ブラウジング、ストリーミング、作業用途にも対応する柔軟なワークステーション機能を提供する。現在、Snapchatカメラでは1日80億回のARレンズ利用があり、40万人以上の開発者が400万以上のレンズを制作している実績がある。
価格については具体的な発表はないが、Apple Vision Pro(3,499ドル)より安価で、Meta Ray-Ban(約300ドル)より高価な中間価格帯になると予想される。同社は2016年に初代Spectaclesで消費者市場参入を試みたが販売不振に終わっており、今回が約10年ぶりの消費者向け製品挑戦となる。
競合環境では、Meta、Google、Appleなどの大手テック企業がAR市場に参入しており、特にMetaのRay-Ban Metaスマートグラスやサムスン・Google共同開発のAndroid XRグラス(2026年予定)との競争が激化している。
from:Snap’s CEO Told Me About Its New AR Glasses, Coming in 2026 | CNET
【編集部解説】
Snapが発表した2026年消費者向けARグラス「Specs」は、同社の野心的な賭けであり、テクノロジー業界における重要な転換点を示しています。
最も興味深いのは、Snapが11年間で30億ドルという途方もない投資を続けてきた背景です。シュピーゲル氏が「Snapchatにチャット機能が付く前から、我々はグラスを作っていた」と語ったように、これは同社の根本的なビジョンの実現なのです。2016年の初代Spectacles失敗から約10年、Snapは技術的成熟と市場の準備が整うタイミングを見極めて再挑戦に踏み切りました。
今回の戦略で注目すべきは、製品名を「Spectacles」から「Specs」に変更した点です。これは単なるブランディングの問題ではありません。「Spectacles」という名称は眼鏡としての機能を強調していましたが、「Specs」はより親しみやすく、日常的なデバイスとしての位置づけを示唆しています。実際、ユーザーが既にそう呼んでいることを受けた変更であり、市場との対話を重視するSnapの姿勢が表れています。
技術面での革新も見逃せません。現行の開発者向けモデルが226グラムという重量で日常使用には適さなかったのに対し、2026年版では「大幅な軽量化」が約束されています。しかし、真の革新は重量削減だけではありません。Google GeminiとOpenAI ChatGPTの両方をサポートすることで、Snapは「AIプラットフォーム中立性」という新しい戦略を打ち出しています。これは、特定のAIエコシステムに依存せず、開発者に選択肢を提供する姿勢であり、Apple、Google、Metaとは一線を画すアプローチです。
価格戦略も巧妙です。Apple Vision Proの3,499ドルより安価で、Meta Ray-Banの約300ドルより高価という中間価格帯を狙うことで、「プレミアム機能を持ちながらも手の届く製品」として差別化を図っています。この価格設定は、AR技術の大衆化における重要な分岐点となる可能性があります。高すぎれば普及せず、安すぎれば技術的妥協を強いられる。Snapはこのジレンマを解決する価格帯を模索しているのです。
競合環境の分析も興味深い展開を見せています。Metaは2026年に開発者向けOrionグラスを提供し、2027年に消費者向けAR「Artemis」グラスの投入を予定し、GoogleとSamsungも2026年にAndroid XRグラスを計画しています。しかし、Snapには他社にない強みがあります。それは、3億人を超えるSnapchatユーザーと、1日80億回というARレンズ利用実績、そして40万人の開発者による400万以上のレンズ制作という豊富なコンテンツエコシステムです。
この既存基盤の活用こそが、Snapの真の戦略なのです。他社が技術的優位性や資本力で勝負する中、Snapは「コミュニティとコンテンツ」で差別化を図っています。ARグラスの成功は技術だけでなく、魅力的なコンテンツとユーザー体験にかかっているからです。
一方で、プライバシーとセキュリティの課題は深刻です。2016年のGoogle Glass失敗の教訓を踏まえ、Snapは慎重にアプローチしていますが、常時装着可能なカメラ付きデバイスが普及することで生じる社会的影響は計り知れません。特に、AIが現実空間の詳細な情報を収集・分析することで、個人の行動パターンや生活環境が詳細に記録される可能性があります。
長期的な視点では、ARグラスの普及は社会インフラの根本的変化を促す可能性があります。現実空間にデジタル情報が常時表示される環境では、都市計画、交通システム、教育制度、さらには人間関係のあり方まで見直しが必要になるかもしれません。
Snapの挑戦は、単なる新製品の投入ではなく、「人間とテクノロジーの関係性」を再定義する試みなのです。成功すれば、同社は次世代コンピューティングプラットフォームの先駆者として歴史に名を刻むでしょう。失敗すれば、30億ドルの投資は水泡に帰すことになります。2026年は、Snapにとって運命の年となるでしょう。
【用語解説】
シースルーレンズ:透明な光学レンズを通じて現実世界を見ながら、同時にデジタル映像を重ね合わせて表示する技術。ARグラスの核心技術の一つ。
Snap OS:Snap社がAR専用に一から開発したオペレーティングシステム。従来のスマートフォンOSとは異なり、3次元空間での操作に最適化されている。
Lens Studio:Snap社が提供するAR制作ツール。開発者やクリエイターがSnapchat用のARフィルター(レンズ)やSpecs用アプリケーションを作成できるデスクトップアプリケーション。
Augmented World Expo(AWE):世界最大規模のAR・VR技術カンファレンス。毎年カリフォルニア州で開催され、最新のAR/VR技術や製品が発表される業界の重要イベント。
視野角(Field of View):ARグラスでデジタル映像が表示される範囲の角度。現行Spectaclesは46度で、初代の26度から大幅に改善されている。
【参考リンク】
Snap Inc. 公式サイト(外部)Snapchatを運営するSnap社の企業公式サイト。同社の製品、技術、企業情報、投資家向け情報を提供している。
Snap Newsroom(外部)2026年Specs発売に関するSnap社の公式発表ページ。製品詳細、技術仕様、開発背景について詳細な情報を掲載。
Lens Studio(外部)Snap社が提供するAR制作ツールの公式サイト。開発者向けドキュメント、チュートリアル、コミュニティ情報を提供。
Meta Ray-Ban(外部)MetaとRay-Banが共同開発したスマートグラス。Specsの主要競合製品として位置づけられる。
【参考動画】
【参考記事】
Snap to launch AI-powered AR glasses in 2026 | Axios
SnapのAI搭載ARグラス2026年発売について、ビジネス戦略の観点から分析した記事。同社の収益構造とARグラスの位置づけを解説。
「軽さとAI」が武器–Snap次世代ARグラス「Specs」、2026年登場へ | CNET JapanSnap次世代ARグラスの技術的特徴とAI機能について詳しく解説した日本語記事。Google I/Oでの競合製品との比較も含む。
【編集部後記】
スマートフォンが私たちの生活を根底から変えたように、ARグラスは「情報と現実の境界」を再定義しようとしています。今回のSnap「Specs」発表は、その最前線に立つ挑戦であり、単なる新製品の登場ではなく、私たちの「見る」「知る」「つながる」という行為そのものを変革し得る大きな節目です。
Snapの10年近い歳月と30億ドルもの投資を経て、なおも「人間の進化」に寄与するテクノロジーを追い求めている姿勢は、巨大資本や競合ひしめくAR市場で、「コミュニティ」と「体験価値」に根ざしたものでした。Snapchatの膨大なユーザーベースや、日々生まれるARレンズの多様性は、単なるガジェットの枠を超え、デジタル社会の「共通言語」となりつつあります。