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Apple、AI光学設計スタートアップinvrs.ioを買収——次世代Vision ProとARグラスへの布石か

EUへの届け出により、AppleがAI駆動のフォトニクス設計ツールを開発するスタートアップ・invrs.io LLCの資産を取得し、同社の唯一の株主兼従業員である創業者のMartin Schubertを採用したことが明らかになった。Appleは2025年10月にEUへこの取引を届け出た。

Schubertは以前、MetaでリサーチサイエンティストとしてAR・VRディスプレイ技術などの研究に携わり、GoogleおよびMicronでも先進ディスプレイ・チップ・光学技術の分野で10年以上の経験を持つ。invrs.ioはフォトニクス研究向けのオープンソースフレームワークを開発し、AR/VR・データセンター・自動運転車向けコンポーネントを対象とした光学分野のAI設計推進を目的としていた。Appleが取得したツールや人材を社内でどのように活用するかは現時点では公表されていない。

From: 文献リンクApple acquires startup specializing in AI-powered light and optics design tools – 9to5Mac

【編集部解説】

今回の買収は金額非公開の小規模な「アクハイア(acqui-hire)」、つまり人材獲得を主目的とした買収です。invrs.ioは創業者のMartin Schubert一人だけの会社であり、Appleが手に入れたのは資産と、この一人の頭脳です。

注目すべきはSchubert氏の経歴です。GoogleおよびMicronで先進ディスプレイ・チップ・光学技術の分野で10年以上のキャリアを積み、GoogleとMetaではAI駆動の設計プロジェクトをリードしてきました。AppleInsiderによれば、登録済み特許は約100件に及びます。

ここで押さえておきたいのが「逆設計(Inverse Design)」という技術です。従来の光学コンポーネント設計では、エンジニアが構造を仮定してシミュレーションを繰り返す「試行錯誤型」が主流でした。逆設計はこれを逆転させ、「こういう光の振る舞いを実現したい」という目標を先に定め、AIがその目標を達成する構造を逆算して導き出します。設計の自由度が飛躍的に高まり、人間の発想では到達できなかった超小型・高性能な光学部品の実現が可能になります。

この技術がAppleにとって価値を持つ理由は明白です。カメラ、LiDAR、ディスプレイ、センサーなど、Appleのデバイスはすでにフォトニクスへの依存度が高い。さらにAR/VRヘッドセットでは、軽量かつ広視野角を実現するための超薄型光学系(メタサーフェス)が課題であり、AI駆動の逆設計はまさにこの問題に直接的なアプローチを与えます。

将来的な影響という観点では、Apple Vision Proの次世代モデルへの応用が最も現実的な見立てです。ただし、Appleが取得したのは「ツールとフレームワーク」と「一人の専門家」であり、即座に製品へ反映されるものではありません。R&Dの深部に組み込まれ、数年単位で製品の光学性能に貢献するタイプの投資といえます。

潜在的なリスクとして注目したいのは、invrs.ioがオープンソースプロジェクトとして公開していたフレームワークの行方です。Appleは伝統的にオープンソースへの貢献より内部クローズドな開発を優先する傾向があり、この買収によってコミュニティへの技術的な貢献が滞る可能性があります。研究者やエンジニアが自由に利用できていたツールが、Appleの内部資産として非公開になるシナリオは十分考えられます。

また、EUへの届け出が義務付けられているという点も見逃せません。EUはデジタル市場法(DMA)などを通じてビッグテックの買収活動への監視を強めており、今回のような小規模買収でも透明性の確保が求められる時代になっています。Appleにとっては規制環境の変化を見据えた慎重な動きの一つともいえます。

【用語解説】

フォトニクス(Photonics)
電子(エレクトロン)ではなく光子(フォトン)を使って情報を伝達・処理する科学技術の総称。カメラのイメージセンサー、LiDAR、光ファイバー通信、AR/VRのレンズ系などが代表的な応用分野である。

逆設計(Inverse Design)
従来の「構造を決めてシミュレーションする」設計手法とは逆に、「実現したい光の特性」を先に目標として定め、AIや最適化アルゴリズムが最適な構造を自動的に導き出す設計手法。人間の直感では発想できない複雑な微細構造の設計が可能になる。

invrs-gym / invrs-leaderboard
Martin Schubertが開発・公開したオープンソースのフォトニクス逆設計ツールキット。様々な設計チャレンジと共通インターフェースを提供し、研究者が自分のアルゴリズムを同一条件でベンチマークできる環境を整えている。GitHubにて公開されていた。

メタサーフェス(Metasurface)
波長以下のサイズのナノ構造を平面上に配列した超薄型の光学素子。従来のレンズや光学部品を大幅に薄型化・軽量化できるため、AR/VRヘッドセットの小型化において非常に重要視されている技術。

アクハイア(Acqui-hire)
「Acquisition(買収)」と「Hire(採用)」を組み合わせた造語。企業そのものや製品よりも、優秀な人材の獲得を主目的とした買収の形態を指す。スタートアップエコシステムでは一般的な手法である。

デジタル市場法(DMA:Digital Markets Act)
EUが制定したビッグテック規制法。大規模プラットフォーム事業者を「ゲートキーパー」として指定し、買収・合併の事前通知や公正な競争確保を義務付けている。今回のAppleのEU届け出はこの規制の枠組みに基づくもの。

【参考リンク】

Apple(アップル)公式サイト(外部)
iPhone・iPad・Mac・Apple Vision Proなどを展開する世界最大級のテクノロジー企業の公式サイト。

invrs-io GitHub リポジトリ(外部)
Martin Schubertが公開したフォトニクス逆設計ツール群。invrs-gymやleaderboardなどが収録されている。

invrs-gym論文(arXiv)(外部)
Schubertによるinvrs-gymの学術論文。ナノフォトニクス逆設計ツールキットの設計思想と技術詳細を解説。

【参考記事】

Photonics research firm Invrs.io & its single employee acquired by Apple – AppleInsider(外部)
AppleInsiderによる詳細報道。Schubertの申請特許約100件など具体的な数値を確認できる重要記事。

Martin Schubert – LinkedIn プロフィール(外部)
GoogleおよびMetaでのAIガイド型設計プロジェクトへの関与やキャリア詳細が確認できる公式プロフィール。

invrs-gym: a toolkit for nanophotonic inverse design research – arXiv(外部)
Schubertによる学術論文。invrs-gymの設計思想・標準化・再現性向上の目的が詳細に記述されている。

Inverse Design in Photonics: How AI Is Revolutionizing Optical Design – FindLight(外部)
AI逆設計技術の概要とメタサーフェス・光学コンポーネントへの応用事例を解説した技術解説記事。

Apple’s Next Acquisition Revealed – MacRumors(外部)
EUへの届け出を最初に発見・報告したメディア。今回の買収報道の発端となった情報源。

【編集部後記】

「たった一人の研究者の買収」と聞くと、小さなニュースに見えるかもしれません。でも、Appleが次のXR競争を「光学の設計力」で制しようとしているとしたら、この静かな一手はずいぶんと大きな意味を持ちます。

MetaがRay-Banスマートグラスで市場を盛り上げ、各社がAR光学技術の特許を積み上げている今、私たちの目に届くデバイスの「見え方」は、こうした水面下の技術競争によって静かに塗り替えられていきます。

みなさんは、XRデバイスの普及を阻んでいる「壁」はどこにあると思いますか?価格なのか、コンテンツなのか、それとも光学系の完成度なのか——ぜひ、そんな視点でも次のApple発表を眺めてみてください。

投稿者アバター
乗杉 海
SF小説やゲームカルチャーをきっかけに、エンターテインメントとテクノロジーが交わる領域を探究しているライターです。 SF作品が描く未来社会や、ビデオゲームが生み出すメタフィクション的な世界観に刺激を受けてきました。現在は、AI生成コンテンツやVR/AR、インタラクティブメディアの進化といったテーマを幅広く取り上げています。 デジタルエンターテインメントの未来が、人の認知や感情にどのように働きかけるのかを分析しながら、テクノロジーが切り開く新しい可能性を追いかけています。

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